毎日の礼拝

校長のお話

2018/03/16

「本能寺ホテル」(ヨハネによる福音書13章11節)

本能寺ホテルという映画があります。

主人公の女性は会社が倒産して失業します。

それをきっかけに付き合っていた人のプロポーズを受け、あいさつもかねて男性の実家がある京都にやって来ます。

6月20日のことです。

ところが何の間違いか、予約したホテルに泊まることができませんでした。

そこでしかたなく、観光がてら泊る場所を探します。

そんな彼女が見つけたのが、何とも古めかしい建物のホテルでした。

ダメもとで尋ねたところ、運よく部屋は空いていました。

そのホテルの名前が本能寺ホテルです。

本能寺という名前から、すぐに頭に思い浮かべることのできる出来事があります。

それは「本能寺の変」です。

本能寺の変は日本の歴史上、最も有名な出来事の1つです。

1582年6月21日に起こりました。

400年ちょっと前の出来事です。

本能寺の変を説明しなさいといわれたら、天下統一を目指していた織田信長が明智光秀に宿泊していた本能寺を襲われ、自害をした出来事です、と答えるでしょう。

これによって織田信長は天下統一ができなかったと考えられる出来事です。

 

主人公には悩みがありました。

それは自分にはこれといってやりたいことがないことでした。

次の就職先を見つけるために、相談している時にも、自分がどんな仕事をしたいのか、自分にはこれができるということを相談員に伝えることができませんでした。

かろうじていえたのは、大学時代に教育実習を受けて、社会科、地歴公民の教員免許を持っているということでした。

しかし相談員からピシャッといわれます。

今の時代教員免許を持っているだけではどうにもならない。

映画本能寺ホテルは、そんな主人公が400年前にタイムスリップして織田信長や家来の森蘭丸に出会い、自分の生き方にも出会うという物語です。

主人公はたまたま知り合った織田信長から、お前のやりたいことは何か、どんな夢を持っているかを尋ねられます。

主人公はすぐに答えることができませんでした。

自分にはできることは何もない。

たとえあったとしてもあなたのような大きなものではない、と答えました。

それに対して信長はいいます。

「何ができるかを聞いているのではない。何がやりたいかだ。そして夢には大きいも小さいもない」。

 

信長は主人公とのやりとりから、自分が家来の明智光秀の裏切りによって、自害をすること、天下統一の夢が潰えることを知ります。

おもしろいのはここからです。

未来から来た人間に自分の悲劇的な運命を知らされた人物が、どのような行動に出るだろうか、です。

逃げ出したくなるはずです

ところが信長はその運命から逃げずに真正面から受け入れます。

信長のやりたいことははっきりしていました。

天下統一によって戦争のない世の中にすること、天下泰平、庶民が平和に暮らせることでした。

信長は主人公が持っていた京都観光のパンフレットから、後の世の中を知ります。

それは紆余曲折があったとしても、400年後の世の中はパンフレットに載っている女性の表情から、笑って暮らせるものになっていることでした。

自分が歴史から逃げない、運命を受け入れる、その延長線上に平和があるということでした。

自分が死ぬことによって、平和な世の中が実現するなら、その通りにとしようと決心したのです。

そこに悩みがなかったわけではないでしょう。

逃げ出したい思いにもかられたでしょう。

しかし何かが信長を踏みとどまらせたのです。

それによって、時間をかけて、今の日本の状況、少なくとも70年以上自ら武力行使をすることのない国になっていることにつながっているのです。

そうすると本能寺の変は、明智光秀の裏切りによって、織田信長が志半ばで命を失った悲劇的な出来事という見方がすべてではないことがわかります。

これはあくまで本能寺ホテルと映画の脚本家と監督の思いや主張を、登場人物に語らせているということです。

信長が本当はどう思っていたかはわかりません。

でも私はこの映画から大いに励まされます。

 

同時に織田信長が自分の運命を受け入れることによって、自分がやりたいことを貫こうとした、それと重なる人物が聖書に登場してきます。

イエス・キリストです。

聖書によるとイエス・キリストは弟子のイスカリオテのユダの裏切りによって十字架に架けられ殺されます。

織田信長の信頼が厚かった明智光秀がなぜ主人を裏切ったかは、本当のところはわかりません。

同じようにイエスの信頼の厚かったイスカリオテのユダがイエスを裏切ったのかもよくわかりません。

さらに織田信長が主人公の言葉から自分の運命を知ったにも関わらず、逃げなかったように、イエスも弟子の一人が裏切ることを事前に知っていましたが、逃げることをしませんでした。

今日の箇所からにそれがわかります。

それは自分のやりたいことが、平和な世の中をつくることにあったからです。

それをやり遂げるのが自分なのか、他の人なのかは二の次だったのです。

自分の損得のためではないことに、自分のやりたいことを見つけることができることが、いかにおもしろいことか、ということを本能寺ホテルの織田信長と、そしてイエス・キリストが教えてくれます。

最近何人もの人から、何でわざわざ大変な状況にある学校に行くことにしたのかと尋ねられます。

私が高知の学校に行こうと思ったのも、イエスの生き方に倣いたいからです。

そこにしんどいこと以上におもしろいこと、そこに今の自分にとってワクワクするようなことがあると思えたからです。

敬和学園には自分をワクワクさせてくれるようなことがちりばめられています。

それに出会ってほしいと選ばれて入学をしてきたみなさんです。

それにしっかり出会う、その思いを持って新しい1週間を過していきましょう。