毎日の礼拝

毎日のお話

2024/09/13

野間 光顕(寮長)

【聖書:ヨハネの手紙 Ⅰ 5章 14~15節】

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。」

 

 みなさんおはようございます。

 8月最終週に後期が始まり、まだその時はチャペルに集う事ができない程の酷暑でしたが、この3週間でずいぶん変化が見られるようになってきました。私は、今年の4月からこの敬和のキャンパス内に住んでいますが、朝早く起きて構内を散歩する事が日課となっています。鳥のさえずりを聞きながら、構内をトボトボと歩き、最近は2匹の豚さんへの挨拶を欠かさず行っています。チャペルのカギを開けてドアを開くと、朝のひんやりした風がチャペル内をスーッと駆け巡っていきます。まるで昨日から時が止まっていた空間が再び動き出したような、そんな感じから自分の心や体もスッキリして、「よし!今日もやるぞ‼」とエネルギーが湧いてきます。そこから寮本部の方へ向かうと、友愛館上に広がるうろこ雲が朝日を受けてピンク色に輝いており、その美しさに思わず足を止めて見入ってしまいました。まだまだ残暑は厳しいものの、確実に秋が近づいている事を感じます。

 

 さて、今日最初に紹介したいのが、ある論文に関する話です。少し前の事になりますが、アメリカのコロンビア大学で客員教授を務め、またご自身も脳神経外科医であるニック・スペンサー博士が非常に興味深い論文を発表して話題になりました。論文のタイトルは「The Power of  Dream」つまり「夢の力」というものです。人間は、他の動物と違い『夢』を見ます。ここで言われている『夢』とは、寝ている間に見る夢ではなく、「こんな自分になりたい!!」と強く願う所から生まれてくる『夢』のことです。人間以外の動物は、そのような夢を抱くことはなく、何か積極的な行動を起こしているように見えても、それは本能から来るものである。一方、人間が行動を起こす時には、「こうなりたい!!」という『夢』の力が大きく影響している…というのです。考えてみれば、私たちの身の周りにもこれに類する物が多くあるように思います。私が子どもの頃、「電話」と言えば、こんなに大きくてダイヤルをジーコジーコ回すものでしたが、それが数十年後には胸ポケットにすっぽり収まるような物になるとは誰が想像したでしょうか。たった1ℓのガソリンで30㎞以上走る車ができたのも、地球の裏側に住む友人にクリック1発で連絡が取れるのも、閉店時間のないコンビニで24時間365日いつでも好きな時に美味しい食べ物や飲み物が手に入るのも、それらは全て「こうなったらいいのにな…」という純粋な『夢』の力から生まれたものに他なりません。

 

 しかし、そのような純粋な願いや夢の力が本当の意味で人間を幸せにしたのか?と問われると、私たちは答えに詰まってしまうように思います。先日、校内を歩いていると、教務室下の玄関付近のボードに「佐渡金山」というポスターが貼ってあるのが目に留まりました。この夏の新潟の大きなニュース「佐渡金山が世界遺産に認定された」事を表すものですが、私はそれを見た時、数年前に佐渡を訪れて、この金山を実際に見に行った時の事を思い出しました。佐渡金山は、約400年近く採掘が続けられ、金は合計78t、銀においては2300tも産出した当時世界最大の鉱山で、それらを掘り出した最も有名な場所がいびつに割れた山「道遊の割戸」です。山が真っ二つに割れているだけでなく、近づいてよく見ると、山の斜面には数え切れない程の穴が開けられていました。記録を紐解くと、それらを掘らされたのは仕事や家を持つ事のできない貧しい人々や、朝鮮半島から強制連行された人々である事が分かり、私の心の中に何とも言えない違和感が沸き上がってきました。佐渡に到着する前、フェリーから佐渡の雄大な自然が見えましたが、同じ佐渡の自然であるはずのその山からは全く違う、何か恨み節というか、穴だらけにされた痛みや生活を奪われて強制労働させられた人々の苦しみが叫び声のように響いている…そんな異様な雰囲気が漂っていました。明治時代に作られた精製工場跡も訪れましたが、今は全く動いていない巨大なタンクやベルトコンベアーにはコケや蔓が生い茂っており、美しい佐渡の空気がそこだけ切り取られているような感じがしました。私は少し足を止め、これらが実際に動いていた時代を想像してみました。次から次へと金が生み出される巨大な工場をどこか澱んだ空気と人間の欲望が包み込んでいる…。そんな場所がなぜ今回、世界遺産に指定され、県が諸手を挙げて喜んでいるのか…?私は何か裏側で、大きな権力やこれを通して利益を貪っている人々がいるのではないか…?そんな勘ぐりを抱いてしまいます。

 

 また、巨大な利益と欲望というキーワードで思い浮かぶのは、いま世界で注目を集めているアメリカの大統領選挙や日本の与野党のリーダーを決める選挙です。政治というのは本来国民の幸せや命を守るために行われるはずなのに、それらは二の次・三の次、莫大な利益を求めて暴走する権力者の姿勢や表情を見ていると、そこにも様々な欲望が渦巻いているように感じます。もっと分かり易い例を挙げるなら「戦争」はどうでしょうか?同じ文化や歴史を歩んできた家族のような同胞にミサイルや銃弾を撃ち込んででも自分たちの利益を求めようとする姿はもう狂気としか呼べない、それこそ欲望の洪水に飲み込まれ、今やこの先の未来も見えなくなってしまっている…。

 

 お話の最初に紹介したように、私たちが抱く願いや夢は、人間の生活をより便利に、更なる発展に導く大切な力を持っています。しかしそれが欲望となって暴走する時、その力は幸せを生み出すどころか、この世界を破滅に導く恐ろしい闇の力になりかねないと思うのです。私は、こんな時代、こんな社会だからこそ、今一度立ち止まって自分の願い求める事柄の源泉に何があるのか? 何を願い、何を求め、どう生きるべきなのか?を冷静に見つめ直す事が求められるように思います。この「一歩立ち止まってその根っこにあるものを考える」事で、実に多くのものを発見する事ができます。例えば、昨日は木曜日、献金日でしたが、ここで集められた献金を9月は核廃絶のために捧げようとしています。今年の8月に広島碑巡りの旅に参加した人は分かると思いますが、79年前の8月に広島と長崎に落とされた2発の原爆、これは世界で今のところ、実戦で使用された最初と最後の核爆弾です。核の恐ろしさを実際に体験した事があるのは、世界196ヶ国の中でも私たちが住むこの日本だけ、ところが唯一の被爆国である日本は世界に向けて核廃絶を表明できていません。そんな日本に生きる私たちが、この敬和のチャペルで毎週核廃絶を願って献金を捧げる、ここに集う生徒たち、世界の未来を担う若い魂が週に一度核廃絶に思いを馳せる…これは規模としては小さいですが、世界平和につながるものすごく重要な機会であると言えないでしょうか? 毎週捧げている献金も、少し立ち止まって考え直してみる事で、その意味やメッセージが見えて来ると思います。

 また、今日共に歌った讃美歌471番「勝利をのぞみ」これも世界を平和に導いた有名な讃美歌です。黒人差別が当たり前だったアメリカで、この讃美歌が人々の良心を呼び起こし、肌の色の違いや偏見を乗り越えて共に手を取り合う勇気を奮い立たせたのです。その働きの中心にいた一人の黒人:マーチン・L・キング牧師と私たちの集う敬和は、非常に重要な歴史のライン上で繋がっています。敬和は今から56年前の1968年4月6日に開校式典を行い、その歩みを始めましたが、実はその2日前、4月4日にキング牧師は反対派の放った銃弾により命を落とす事となります。この悲報は瞬く間に世界へと広がり、同時に深い悲しみと困惑、人類は差別や偏見を乗り越える事ができないのか…? 正義は暴力によって打ち消されてしまうのか…? そんな苦悩に満ちた黒い闇の力が世界を飲み込もうとしたその最中、新潟に来ていた一人の宣教師がここ太夫浜で願い祈った、「今日、歩みを始める小さなキリスト教学校から世界の平和と、正義と、公平を作り出す人物を1人でも多く輩出できますように…」参加者もその祈りに深い黙祷を捧げた…。敬和の歴史、その根っこには、そんな深い願いと祈りが刻まれているのです。

 

 私たちの世界を大きく変える力を持つ願いや欲望、それを制御する確かなヒントが今日の聖書箇所に示されています。それが「御心」です。自分が心に抱いた願い、それを一歩立ち止まって見つめ直す、それが自己中心や我儘ではないのか…? 誰かを傷つけてはいないか…? 何よりこの世界を司る大きな存在からどう見えているのか…?を自問自答する時、それらは単なる願いや欲望を越えて「祈り」へと昇華されるのだと思います。

 9月もはや半ばを迎え、季節の移り変わりと共に、私たちの学びもまた更なる深みを生み出す時期を迎えています。再来週にはちょうど年度の折り返し地点で行われる修養会が迫っており、各学年がそれぞれの成長に合わせて必要なプログラムが準備されています。ぜひこの時、一歩立ち止まって自分の内側を見つめ直してみて欲しいと思います。そこから見えて来る新しい世界、新しい希望が、みなさんの自分探しの旅をより有意義なものへと導いてくれるはずです。