自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/07/04
【聖書:コリントの信徒への手紙二 12章 7-10節】
また、あまりに多くの啓示を受けたため、それで思い上がることのないようにと、私の体に一つの棘が与えられました。それは、思い上がらないように、私を打つために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。
今日の聖書箇所より、キリスト教の宣教の始まりの人であるパウロは、自分にとげがあり、そのとげを取り除いてくれるよう何度も神に祈った。しかし神はそのとげがあるからこそ、感じるじぶんの弱さに共にあることをパウロに教える。パウロ自身もとげという弱さがあるからこそ、神がともにいてくださることを感じ、弱い時にこそ強いと手紙を書く。
今日の奏楽に浅間クラスの生徒を示した。彼らにとって、奏楽を担うことは、緊張することであり、失敗との葛藤やプレッシャーを感じ、まさに心にとげが刺さった思いであっただろう、しかし、そのとげを克服するため、時間をかけて練習し備え、今日にいたることができた。それは、とげに抗う心の強さであると思う。
彼らの様に、日常生活においても、とげという弱さがあるからこそ、そこに立ち向かう強さが身につくはずである。弱い時にこそ強いとは、意外に身近にあるものである。