お知らせ

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2023/03/01

今週の校長の話(2023.3.1)「新しい出発」―53回生卒業祝福礼拝よりー

【聖書:イザヤ書 2章 4~5節】

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」

 

53回生の皆さまの卒業を心よりお祝いいたします。

皆さんの過ごした3年間は、新型コロナ感染症のために、今まで経験したことのない学校生活になりました。

入学も休校期間が設けられたために、2か月間、先延ばしになりました。

当初、新型コロナの正体が分からないため、感染を防ぐために、今、思えば過剰なほど三密を避けることが呼びかけられました。

それは、人との関わりを大切にしている敬和学園として、大変、厳しい状況でした。

しかし、新型コロナがもたらしたものは悪いことばかりではありません。コロナ禍だからこそ、私たちは日常の大切さに気づかされました。

例年ならば、当たり前のこととして行われていたことが、皆の協力によって実施できたとき、それはかけがえのない貴重な経験に感じられました。

 

53回生の歩んだ3年間は、コロナという災いに見舞われながらも、一人ひとりがそれと闘い、精一杯、充実した学校生活を送ろうとする願いにあふれたものでした。

この経験は将来、皆さんのなかで必ず大きな花を咲かせるものとなるはずです。

53回生がつくりあげたフェスティバル(学園祭)は素晴らしいものでした。

3年ぶりにほぼ完全な形で行われ、幸い天候にも恵まれました。

この日のことは全校生徒の心に刻まれていると思います。

また3年次の沖縄修養会も貴重な経験でした。

沖縄での修養会は敬和学園にとって最初のものです。

しかも、それがコロナ禍において実施できたことは奇跡のように思えます。

沖縄は、日本で唯一地上戦が行われた場所です。

ウクライナでの戦争が続く今、沖縄で平和学習に取り組むことのできた意義は大きいと思います。

また、講師やガイドの方のお話しを聞く3年生の姿勢にも感銘をうけました。

事前学習にしっかり取り組んで参加していること、戦争と平和の問題を自分たちのこととして受け止めていることが伝わってきました。

さすがは敬和学園の3年生だと誇らしく思いました。

 

今日は、昨年10月に行われた「関西敬和の会」での、ある卒業生の言葉を紹介したいと思います。

その方は敬和学園の12回生で50代 後半の方です。Aさんと呼ばせていただきます。

Aさんは娘さんを敬和に送ってくださり、2年前に卒業されました。

敬和の会には親子で参加してくださいました。お父さんは次のように言われました。

 

「自分は敬和の教育で人間としての土台を築くことができたように思う。だから、関西から子供を送るのは大変だったけれど、娘を敬和に入れた。土台がしっかりしていれば、たとえ建物が倒壊しても、もう一回、その土台の上に築きなおすことができるからだ。」

 

このような内容を力強く語ってくださいました。

私はその言葉のなかで、「たとえ建物が倒壊しても」という部分に説得力を感じました。Aさんは阪神淡路大震災を経験されているからです。

 

今、世界は再び、先の見通せない時代を迎えています。

ウクライナの戦争は第3次世界大戦への扉を開いてしまった、と言う専門家もいます。

そのような状況のなかで、生徒一人ひとりのなかに揺らぐことのない土台を築くことの重要性をあらためて思わされました。

将来を楽観することは許されません。

私たちは、今まで当然のこととして信じていた価値観が根底から崩されるようなことを経験しなければならないかもしれません。

しかし、Aさんの言われるように、一度、崩れても土台がしっかりしていれば、その上にもう一度、建物を建てることできる。

学校では、そのための学びと教育が行われなければならないと、あらためて考えさせられました。

 

では、そのような土台はどのように築かれるのでしょうか。

私は、Aさんにとって敬和での3年間がとても楽しかったのだと思います。

その経験が今も彼を支えている。

毎日の学校生活、寮での生活、そこには辛いこともたくさんあったと思います。

しかし、それ以上に楽しかったはずです。本当の喜びがあったのです。

だから、娘さんにも同じ経験して欲しいと願って入学させてくれたのです。

 

敬和学園の教育の土台はキリスト教です。

建学の精神である敬神愛人は、「心を尽くしてあなたの神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」という聖書の言葉に基づいています。

この御言葉の上に人生という建物を築いてください。

先の見通せない不安な時代を生き抜くための知恵と勇気、そして建物が倒れても、何度でも建て直すことのできる不屈の精神が、湧き上がる泉のように、皆さんの歩みを導いてくれるはずです。

 

今日の聖書です。

「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ書2章4~5節)

 

これは紀元前8世紀のイスラエルの預言者イザヤの言葉です。

敬和のチャペル前の掲示板にはこの言葉が1年間、掲示されていました。

昨年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。

戦争の終結を願って、その春休み、富士クラスのYさんに書いていただいたものです。

あのときは、こんなにも長く戦争が続くとは思いませんでした。

 

このイザヤの言葉は、現在、アメリカ、ニューヨークにある国連本部ビルの玄関前の石碑に刻まれています。

イザヤは戦争の武器である剣や槍を、平和の道具である鋤(すき)や鎌などの農機具に打ち直すこと、そのような時が必ず来ると預言しました。

この言葉は今日に至るまで実現されていません。しかし、だからといって、それを無意味なものとして片づけてはいけない。

この言葉は、今も世界が向かうべき方向を私たちに指し示してくれています。

 

イザヤが生きた2600年前の世界は、現在の世界情勢と似ていました。

当時、イスラエルはエジプトやバビロニア、アッシリヤなど大国に囲まれた本当に小さな弱小国でした。

人々は、「このままでは大国に攻められ、滅ぼされてしまう。」と、恐れ、おののいていました。

王様は、どの国と同盟関係を結ぶべきか迷っていました。

イザヤは王様に対し、「同盟など結ぶべきではない、イスラエルは中立であるべきだ。

イスラエルは、大国に頼るのではなく、今こそ、神である主に頼らなければならない、」と繰り返し訴えたのです。

 

今日の聖書は、その時、イザヤの見た幻の一部です。

幻のなかで、イザヤは世界の終末を目にします。

それは次のようなものでした。

イスラエルの神、主の神殿のある山が、他の山々より高くそびえ立ちます。

その山に人々が大河のように向かいます。

世界中の人が、その山に向かって巡礼の旅を始めるのです。

人々は言います。

「主の山に登り、神の家に行こう。

主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう。」(3節)

 

世界の終末の時、神様の言葉に聞き、その道を歩むことこそが、自分たちが救われる唯一の方法だと人々は知っているからです。

そして、この言葉に続くのが、今日の聖書です。

そのとき、「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」

これがイザヤの見た幻でした。

 

イザヤは平和とは、戦争に勝つことによってもたらされるのではなく、主の示される道にしたがうことによってもたらされる、と言っているのです。

武力に頼るのではなく、神様の言葉を信じること、すべてはそのことにかかっている、

なぜなら、神を本当に知る人間は戦争をやめるからだ、自分から武器を捨て平和の道を選ぶからだ、と訴えるのです。

 

残念ながら、イザヤの言葉は王様に受け入れられることはありませんでした。

しかし、その信仰、その精神は後の人々に脈々と受け継がれます。

そして700年後、それはイエス・キリストの十字架へと至ります。

敬和学園もその信仰を受け継ぐ学校です。

 

私たちは、このイザヤの言葉に支えられて、将来、実現される平和のために、それがどんなに小さなことであっても、今、なすべきことをなしていく者でありたいと願います。

新たな自分探しの旅を始める53回生の皆さんが、この3年間の敬和での学びと経験を胸に刻み、平和を作りだす者として歩まれることを願います。

それぞれの場において、この世界の一隅を照らす、光の子として歩んでください。

そして一人ひとりの歩みの上に神様の祝福をお祈りいたします。

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