自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2022/07/22
校長 小田中 肇
【聖書:コリントの信徒への手紙二 3章 2~3節】
「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべて人から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。」
今日は前期の終業日で、いよいよ明日からは夏休みです。
こうして無事、終業日を迎えることができること嬉しく思います。
私たちは一般に過去を振り返り反省するとき、できなかったこと、足りなかったことを中心に考えがちです。
しかし、それ以上に大事なことは、与えられた状況のなかで自分にできたことを前向きに認めることです。
なぜなら、自分にできたことをしっかり認めることによって、次の一歩を踏み出すための自信と勇気が与えられるからです。
この3か月間で自分にできたこと、やり遂げられたことを、数えてみてください。
どんな小さなことでも構いません。
何か必ず、あるはずです。
1年生は初めてのことばかりで特に大変だったと思います。
友達づくりも大変だったでしょう。
しかし、日を追うごとに成長していることを実感できた3か月間だったのではないでしょうか。
フェスティバルでも、今年は1年生の活躍が目立ったように思います。
確実に、敬和生に成長しているのを感じることができて、私も嬉しく思いました。
2年生はクラス替えがありました。新しいクラスに慣れることは大変だったと思います。
そして2年生という学年はなかなか難しい学年です。
1年と3年に挟まれて、目標が設定しにくいのも2年生です。
しかし、そういう状態のときにこそ、人は成長しているのです。
植物でいえば、地に深く根を張る時期といえます。
芽を出したり、花を咲かせることはありませんが、重要な時期です。
そのことに自分では気がつかないかもしれません。しかし、学年の先生方は気づいています。
ある学年の先生は、2年生にもリーダーが確実に育ってきていると言います。
修養会の実行委員に多くの生徒が立候補してくれて、少しずつ学年が成長しているように思うと、その先生は嬉しそうに話されました。
2学年をどのようにすごすか、それが来年につながります。
秋からは、2年生が学校の中心になります。
これからの2年生のさらなる成長に期待したいと思います。
3年生は、すばらしいフェスティバルを作ってくれました。
3年ぶりの2日間にわたるフェスティバルです。
1日目は楽しいオープニングに始まり、演劇と合唱、どちらもクオリティの高いものでした。
2日目は、力のこもったダンスを観たり、みんながグラウンドで、マスクを外し、思いっきり泣いたり笑ったり、楽しい時間をすごすことができました。
天候にも恵まれ、コロナ禍の中、奇跡のように素晴らしい2日間でした。
それも3年生がそれぞれ自分の役割をしっかり担ってくれたからできたのです。
そういう3年生の姿は1,2年生の心に刻まれたはずです。
これから3年生は進路に向けて、それぞれが残りの高校生活にしっかり取り組んで欲しいと思います。
しかし、この3か月間、自分は特に何もやれていない、普通に生活していただけだ、という人もいるかもしれません。
ところが、普通にやること、これも実は大変なことなのです。
皆さんは、朝起きて、ごはんを食べ、当たり前のように登校します。
学校では礼拝を守り、授業に出て一日を過ごし、放課後は部活動に参加する人もいるでしょう。
他にも行事に取り組んだりテスト勉強に励んだりしてきたはずです。
友達との関係を維持するのも大事なことです。
しかし、これら当たり前と思われることが、つらいと思う時が誰にもあったはずです。
苦しくてこれ以上、先に進めない、と思った時もあったかもしれません。
それでも、多くの人は、それをあまり表に出さず、何事もなかったかのように学校生活を送って来たことでしょう。
個人差はありますが、このように人は誰でも、毎日、心の中で小さな闘いを闘っているのです。
何のための闘いでしょうか。
普通に生活するための闘いです。普通の生活とは私たちの日常のことです。
だから、皆さんが普通に学校生活を送っているだけだとしても、それ自体、価値ある立派なことです。
それぞれが心のなかで、小さな闘いを闘ってきたはずだからです。
さて、4月からの世界情勢は、新型コロナ、そしてウクライナにおける戦争のために、多くの人の平和な日常が失われました。
この3か月間、私たちは、あらためて平和と日常の大切さを学びました。
そして何よりも人の命の大切さ、そのかけがえのない尊さについて教えられました。
私は、先月、20年ほど前、敬和の寮長、副校長をされていた北垣俊一先生の「お別れの会」に出席しました。
先生は今年の5月に、すい臓がんのため86歳でお亡くなりになりました。
敬和の寮長をお辞めになった後、山形市にある山形学院高校の校長先生に就任されました。
去年まで21年間、校長を勤められ、授業もお持ちだったといいます。
とてもお元気で勉強熱心な先生でした。私も先生から、いろいろなことを教えていただきました。
お別れの会は6月30日に山形学院のチャペルで行われましたが、その会の最後のご挨拶で、北垣先生のお連れ合いである成子(しげこ)先生が、今日の聖書の箇所を引用してお話しされました。
今日の聖書には、「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべて人から知られ、読まれています。」と書かれています。
つまり、私たち自身は神様からの推薦状で、その手紙の内容は私たちの心に書かれている、というのです。
成子先生は次のようにお話しされました。
「この聖書にあるように、北垣も神様から私たちに送られてきた手紙です。
長年、一緒に暮らして来ましたが、自分にはまだ北垣について分からないことがたくさんあります。
北垣は天に召されましたが、その心に記された神様からの手紙をこれからあらためて読んでみたいと思います。」
確か、このような内容だったと思います。
私はとても感動しました。人の命の尊さについて、あらためて教えられたからです。
私たち一人ひとりは神様からの推薦状であり、私たちの心には神様からの手紙が書かれている。
しかも、手紙とは人に読んでもらうためのものです。自分の中に留めておいてはいけない。それは人に届けなければなりません。
だから、私たちは勇気をもって、多くの人の中に出て行かなければならない、そして、自分の信じることを語り、行動できる人にならなければなりません。
なぜなら、多くの人にその手紙を読んでもらうことが私たち一人ひとりに与えられた使命なのだから。私はそのように思いました。
そして北垣先生は、人生の若い時期に、ご自身の心に記された神様からの手紙を丁寧に読んでくださる良きパートナーと出会うことができました。
そのようなお二人の関係も素敵だと思いました。
お二人の人生に神様の祝福を感じることができたからです。
それでは楽しい夏休みをすごしてください。
新学期、元気な皆さんと会えることを楽しみにしています。