お知らせ

お知らせ

2021/08/26

今週の校長の話(2021.8.26)「後期始業に向けて」

校長 小田中 肇

【聖書:イザヤ書 10章1~2節】

災いだ、偽りの判決を下す者 労苦を負わせる宣告文を記す者は。

彼らは弱い者の訴えを退け 私の民の貧しいものから権利を奪い

やもめを餌食とし、みなしごを略奪する。

 

夏休みが終わり、新学期が始まりました。今年の夏は暑かったので、暑いのが苦手な人は大変だったと思います。

コロナによる、様々な制限がある中でも、勉強や部活動の大会に向けてがんばった人もたくさんいたと思います。

 

さて、今年の夏は東京オリンピックが大きな話題になりました。開会までは、国民の約半数が中止すべきだ、と考えていたのが、いざ始まると、連日のメダルラッシュで空気が変わりました。

私もテレビを観て楽しみました。特に、女子ソフトボール、柔道、卓球、スケートボード、女子バスケットなど、日本の若者たちが大きな舞台で力を尽くしている姿に元気をもらいました。

 

また、普段あまり馴染みのない競技の魅力にも触れることができました。

例えば、水泳の飛び込みです。これは水面に落下するまでの数秒間で結果が決まります。

一人、飛び込み台の上に立ち、飛び込む直前までの、選手の表情が画面に映し出されます。それぞれ何を考えているのかは分かりません。しかし、そこからは強烈な集中力が伝わってきます。

何かに集中するときの人間の表情とは、これほど深く、美しいものかと、思いました。

 

空手の形(かた)という競技も初めて見ました。これも演じる人の集中力がすごいと思いました。男子の金メダルは、日本(沖縄)の喜友名諒(きゆな りょう)さんでした。

喜友名(きゆな)さんは、形の本質とは何か、という質問に次のように答えています。

「手や足の位置や角度、軌道などすべてが先人の知恵。それをしっかり理解して反復練習することです。」

選手たちは先人の知恵を学ぶために、どれほど反復練習をしたことか、その練習の厳しさが偲ばれます。そして何事にも「型」を大事にする、日本人らしさが伝わる言葉だと思いました。

 

日本人選手の活躍を光とすれば、東京オリンピックは、日本社会の闇、具体的には日本人の人権意識の低さをも明らかにしました。

女子ソフトボールで金メダルをとった選手が、名古屋市長を表敬訪問した際、市長はマスクを外し、その金メダルを、「がぶり」とかじりました。全く理解できない行動です。もちろん市長に対する抗議の声が殺到しました。

選手が所属するトヨタ自動車も「不適切かつあるまじき行為」という異例のコメントを出しました。IOCは新しい金メダルを再度、贈ることになりました。

 

私はこの名古屋市長の行為を知った時、大会前に起きた組織委員会による様々な不祥事を思い出しました。「またか・・・」という思いです。日本人として恥ずかしいと思いました。

開会式のショーディレクターを務める方が開会式直前に解任されました。以前、お笑いコントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」と発言した動画がネットで拡散。アメリカのユダヤ人人権団体から抗議を受けました。

開会式の音楽担当の方は、中学生のときに同級生や障がい者に対するいじめを過去の雑誌で発言していたことが問題になり辞任しました。

2人とも、今のことではなく、20年以上前の若いころの言動が問題とされました。どんなに才能があり、またそれが若いころの言動であっても、国際的には、許されるものではないことが示されました。

また、全体統括の方も、女性タレントの容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚し3月に辞任しました。

 

残念ながら、東京オリンピックをとおして、日本人の人権感覚が国際水準に追いついていないことが明らかになりました。

最近は減ってきましたが、以前、日本のお笑いは、人を馬鹿にしたり、貶めたりするネタで笑いをとることが普通に行われていました。

 

いじめも同じです。昔ほど、ひどくはありませんが、弱い人、変わっている人を仲間外れにしたり、いやがらせをすることは、程度の差はあっても、日本中の学校や職場で行われています。

では、なぜ、日本人の人権意識はこのように低いままなのでしょうか。

 

まず日本人がこのような問題としっかり向き合って来なかったことがあると思います。それは、日本人が、個人よりも組織を重視する傾向が強かったことと関係しています。

 

個人よりも自分の所属する組織(学校や会社、国家)を優先すること、それが日本の社会が昔から大事にしてきたことです。もちろん組織のために働くことは大事です。しかし、そこにはバランスが必要です。

組織を優先し、集団に合わせて生きるだけでは、「個人」は育ちません。

なぜでしょうか。

 

実は、組織に合わせて生きるのは、楽なのです。なぜなら、自分の頭で考えないで済むからです。周りの空気、雰囲気に流されて行けばよいからです。

その結果、大きな問題が起きても、深く反省することはありません。自分は周りに流されてやったにすぎない、周りも同じことをやっている、自分は運が悪かっただけだ、そのような言い訳ができてしまうからです。

これは日本社会の大きな問題です。日本人の人権意識の低さとも関係があります。

 

周りに流されて行動するのではなく、もっと一人ひとりが自分で考え、自分の良心にしたがって行動しなければならない。私たち日本人は、今回のオリンピックからそのことを学ぶべきだと思います。

 

今日の聖書は、預言者イザヤの言葉です。旧約聖書の預言者とは、単に未来を予言する人のことではありません。読んで字のごとく、神様の言葉を預かり、それを人々に伝える人です。

 

「災いだ、弱い者の訴えを退ける者、 私の民の貧しいものから権利を奪い

みなしごを略奪する者は」

預言者イザヤは、社会的に弱い立場の者、貧しい者、夫を亡くした女性、両親を亡くした子供たちの権利を奪う人たちを厳しく糾弾します。彼らの権利が、何よりも守られなければならないと訴えます。

預言者は、自分が人からどう思われようと、また自分の身がどのようになろうとも、そのことを人々に訴え続けました。

ここには、周りに流されて行動する人間とは、まったく対照的な人間の在り方があります。

私たちもその恵みを覚えて今日の一日を共に歩むものでありたいと願います。