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	<title>敬和学園高等学校 &#187; 毎日のお話</title>
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		<title>岩原 寅太郎（寮長）</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Nov 2026 00:30:56 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:コリントの信徒への手紙 一 12章 12〜27節】「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:コリントの信徒への手紙 一 12章 12〜27節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　「腸活ブーム」で注目される腸内フローラには、善玉菌・悪玉菌・日和見菌など多様な菌がいて、悪玉菌も含めたバランスと調和が心身の元気を支えてくれている。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一１２章で、人々の集まりを多くの部分から成る「一つの体」に例えた。私たちの学校も同じで、自分と「異なる」人を排除せず、互いを尊重し認め合うことが、神様の望まれる「調和」ではないだろうか。また「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しむ」とあるように、誰かの痛みに気づいて声をかけ合える、そんな温かいお花畑（フローラ）のような居場所をみんなでつくっていきたいと願う。後期の後半、友達の違いも大切にしながら、充実した「敬和生活」を送っていこう。</p>]]></content:encoded>
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		<title>Tさん（57回生）</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Oct 2026 00:30:15 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:コリントの信徒への手紙一  13章  2節】「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」&#038;nbsp [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:コリントの信徒への手紙一  13章  2節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　今回の広島修養会では、事前学習だけでは分からない原爆の悲惨さを、現地を訪れることで深く実感しました。特に、被爆した子どもが自分ではなく母親を思いやる言葉が心に残り、2回目の訪問では、その言葉を写真に残すことができたことに成長を感じました。また、平和を未来につなげるために、本を読んだり、身近な人と広島について話したりと、自分にできる小さなことから始める大切さを学びました。 さらに、修養会実行委員長として、57回生の協力や愛、実行委員の臨機応変な対応に支えられたことを実感しました。聖書の「愛がなければ、無に等しい」という言葉を改めて心に留め、今回の経験を今後の人生に生かしていきたいと思います。最後に、修養会を支えてくださった先生方や関係者、実行委員、そして57回生への感謝を伝えました。</p>]]></content:encoded>
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		<title>Uさん（58回生）</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Oct 2026 00:30:07 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:テサロニケの信徒への手紙一 5章 11節】「ですから、あなたがたは、今そうしているように、互いに励まし合い、互いを造り上げるようにしなさい。」&#160;&#160;私は今回の修養会で実行委員長を務め、リーダーの [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:テサロニケの信徒への手紙一 5章 11節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「ですから、あなたがたは、今そうしているように、互いに励まし合い、互いを造り上げるようにしなさい。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私は今回の修養会で実行委員長を務め、リーダーのあり方について考えました。最初は自分の考えやペースを優先し、焦って周りが見えなくなっていました。しかし、先生の「内田落ち着け」という言葉をきっかけに、一人で頑張るのではなく、周りの意見やペースを大切にすることに気づきました。また、今まで多くの人に支えられてきたことも実感しました。これからは感謝を忘れず、一人一人が輝けるように支え合えるリーダーを目指したいです。</p>]]></content:encoded>
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		<title>Hさん（59回生）</title>
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		<pubDate>Wed, 28 Oct 2026 00:30:23 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:箴言 16章 21節】「心に知恵ある人は聡明な人と呼ばれる。優しく語る唇は説得力を増す。」&#160;　59回生は、福島県の猪苗代湖で3日間の修養会を行いました。テーマは「他者と出会う　共感・共苦への第一歩」。講 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:箴言 16章 21節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「心に知恵ある人は聡明な人と呼ばれる。優しく語る唇は説得力を増す。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>　59回生は、福島県の猪苗代湖で3日間の修養会を行いました。テーマは「他者と出会う　共感・共苦への第一歩」。講師の松谷信司さんのお話や、食事班・ウォークラリーの班をランダムにした活動を通して、普段あまり話す機会のない人とも新たに出会うことができました。<br />　実行委員として準備を進める中では、地道な作業や思い通りにいかないことも多く、苦労する場面もありました。学年全員の名前を入力したり、しおりを折ったり、礼拝での話や奏楽を依頼して断られたりと、当初思い描いていた華やかな仕事とは違うこともたくさんありました。それでも最後までやり遂げられたのは、同じ苦労を分かち合う仲間がいたからです。準備の大変さもまた、「共感・共苦」を身をもって学ぶ貴重な経験になったと感じています。<br />　修養会では、仲間が誰かのために積極的に行動する姿も印象に残りました。屋外活動の際に自分の分の水まで用意してくれたり、何気なく口にしたお土産の話を覚えていて、売店の営業時間を尋ねに行ってくれたりする仲間がいました。一方で、周りのみんなが成長していくように感じ、自分だけが取り残されているのではないかと焦ることもありました。<br />　しかし、仲間のさりげない優しさに触れる中で、「誰かに頼ること」「人の温かさを素直に受け取ること」の大切さに気づきました。自分の未熟さを感じたことも、成長への第一歩だったのかもしれません。<br />　入学当初は、にぎやかな59回生をどこか客観的に見ていました。しかし、この修養会を通して、仲間の笑顔や優しさ、見えないところでの努力や葛藤に触れ、今では胸を張って「59回生という学年が大好きだ」と言えます。<br />　楽しいことばかりではなかった3日間と、そこに至るまでの準備の日々。共に悩み、苦労を乗り越えた経験が、これから困難に直面したときにも互いに寄り添える、本当の絆につながることを信じています。支えてくださった先生方、講師の松谷さん、実行委員の仲間、そして59回生の皆さんに、心から感謝します。</p>]]></content:encoded>
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		<title>藤巻 伸（地歴・公民科）</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Oct 2026 00:30:43 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:コヘレトの言葉 3章 1節】「何事にも時があり. 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」&#160;&#160;人生の選択する場面で「迷ったら難しい道を選べ」という言葉があります。自分の成長に合わせてその [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:コヘレトの言葉 3章 1節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「何事にも時があり. 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人生の選択する場面で「迷ったら難しい道を選べ」という言葉があります。自分の成長に合わせてその都度、その都度今の自分では少しムリかも…と思う少しハードルの高いことに挑戦しましょう。今日の聖書箇所「何事にも時があり. 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」とあります。神様が我々ひとりひとりの成長にふさわしい機会をご用意して下さっているはずです。しかし、我々が神様の呼びかけに応えられるような謙虚さをもっていなければ、折角の機会は失われてしまいます。「何事にも時があり」という聖書箇所に期待したくなりますが、そこに甘えず謙虚な心で日々を大事にしていきましょう。</p>]]></content:encoded>
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		<title>大倉 雄介（数学科）</title>
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		<pubDate>Fri, 23 Oct 2026 00:30:20 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:エレミヤ書 29章 7節】「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」&#160;&#160;58回生（2年 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:エレミヤ書 29章 7節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>58回生（2年生）は「社会と地域」をテーマに新潟で修養会を行った。生徒たちは平和学習やボランティア活動に取り組み、大塚椋牧師の講演から他者への想像力や「誰ひとり取り残されない社会」について学ぶときを持ちました。聖書のエレミヤ書「その町の平和を求めよ」という言葉を通じ、特別な行事を経た今だからこそ、日々の忙しい日常の中で、挨拶や困っている友人への声掛けなど、皆さんのこれからの歩みが、周りの人々を照らす温かい光となることを願っています。</p>]]></content:encoded>
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		<title>浅妻 和章（教頭）</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Oct 2026 05:12:46 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書：聖書：ルカによる福音書 15章 24節】この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。&#160;&#160;　10月10日のホームカミングデーに、5のつく回生 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書：聖書：ルカによる福音書 15章 24節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　10月10日のホームカミングデーに、5のつく回生の卒業生約150名が集まりました。奏楽が始まるとチャペルは静寂に包まれ、「やはり元敬和生だ」と感じました。その日、ある卒業生のHさんが教務室を訪れ、1年生の時に私の授業に出ず、卒業まで口をきかなかったことを、40歳になった今、謝りに来てくれました。当時の厳しいやりとりも、今となっては恵みの時だったと思えました。ルカによる福音書15章の「放蕩息子」では、帰ってきた息子を父は何も責めずに迎え入れ、「死んでいたのに生き返った」と喜びます。時間が経って、関係がもう一度生き返る場に立ち会えたことに感謝しています。みなさんにも、うまくいっていない関係があるかもしれません。「ごめんなさい」と言って帰ってこられる場所として、敬和があってほしいと願います。</p>]]></content:encoded>
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		<title>大塚 忍（聖書科・労作科）</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Oct 2026 00:26:16 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:ヨハネによる福音書 13章 7節】イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。&#160;　卒業生のわたしにとっても、この体育館には多くの思い出がある。 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:ヨハネによる福音書 13章 7節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。</strong></p><p>&nbsp;</p><p>　卒業生のわたしにとっても、この体育館には多くの思い出がある。入学式や卒業式、毎朝の礼拝、部活動など、高校生活のさまざまな場面が思い起こされる。</p><p>　高校時代には、剣道部での挫折から学校を辞めたいと思ったこともあった。しかし、担任の先生やラグビー部の先輩たちとの出会いによって支えられ、新たな道を歩むことができた。当時は、その経験が自分の人生にどのような意味を持つのかわからなかったが、長い年月を経た今、その大切さに気づかされている。</p><p>　ヨハネによる福音書13章には、イエスが弟子たちの足を洗う物語が記されている。師であるイエスが自分の足を洗うことを理解できないペトロに、イエスは「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と語られた。</p><p>　ドイツ語で礼拝を意味する「Gottesdienst」には、神への奉仕という意味がある。しかし、キリスト教の礼拝理解には、神が人間に仕えてくださるという側面もある。わたしたちは神を見ることができず、その働きに気づかないことも多い。しかし、毎朝の礼拝を通して、神はわたしたちに語りかけてくださっているのではないだろうか。</p><p>　イザヤ書46章4節には、神が人間を背負い、支え、救い出してくださるという約束が記されている。「砂の上の足跡」という詩も、人生の最も苦しい時にこそ、神が人間を背負ってくださっていたことを伝えている。</p><p>人生には苦しみや悲しみ、孤独や絶望を経験する時がある。しかし、私たちが気づかない時にも、神は私たちを支えてくださっている。</p><p>　今は毎朝の礼拝の意味がわからなくても、いつか、その意味に気づく時が来るかもしれない。わたしたちが神の働きを理解するよりも先に、神はわたしたちに語りかけ、仕えてくださっている。どのような困難の中にあっても、わたしたちは一人ではない。そのことに希望を見いだしながら、毎朝の礼拝を大切にしていきたい。</p>]]></content:encoded>
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		<title>鈴木 明香（国語科）</title>
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		<pubDate>Fri, 16 Oct 2026 00:38:18 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【聖書:箴言 16章 9節】「人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。」&#160;桃太郎の物語は、「鬼退治をする話」とも「人々の平和を取り戻す話」ともまとめることができます。目の前の行動だけでなく [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書:箴言 16章 9節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>桃太郎の物語は、「鬼退治をする話」とも「人々の平和を取り戻す話」ともまとめることができます。目の前の行動だけでなく、その先にある目的を考えることで、物事の本質が見えてきます。<br />学校生活でも、行事や部活動、受験などを単にこなすだけでなく、そこから何を学び、どんな自分になりたいのかを意識することが大切ではないでしょうか。計画どおりに進まないことがあっても、一人ですべてを背負い込まず、神様に支えられながら一歩ずつ歩んでいきましょう。自分が本当に大切にしたいことを軸に、目の前の課題の先にある目的を見据え、自分らしい人生を歩んでほしいと願っています。</p>]]></content:encoded>
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		<title>齋藤 正幸（教頭）</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Oct 2026 00:30:57 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[毎日のお話]]></category>

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		<description><![CDATA[【聖書：マルコによる福音書 4章 27節】「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」&#160;&#160;　ホームカミングデーに集まった卒業生たちの姿から、敬和で過 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【聖書：マルコによる福音書 4章 27節】</strong></p><p style="padding-left: 30px;"><strong>「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　ホームカミングデーに集まった卒業生たちの姿から、敬和で過ごした時間が、年月を経ても一人ひとりを支えていると感じた。敬和の教育は30年後に評価されるという。今はその良さに気付きづらいかもしれないが、ここで受け取ったものが、いつか皆を支える力になることを我々は信じている。そして、敬和の教育を自分たちの子供にも受けさせたいと思ってくれたら嬉しく思う。その日に繋がる時間を、今日も皆と一緒につくっていきたい。</p>]]></content:encoded>
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