のぞみ寮通信

のぞみ通信

2020/03/25NEW!

のぞみ通信 2020年3月18日 第253号

「のぞみ寮修了礼拝」急遽チャペルでの開催となりました。50回生の歩みを礼拝で終われたことに感謝します。

 

 

のぞみ寮生のみなさんへ ~災いの中を生きる~

寮長 東 晴也

 敬和学園では、今、臨時休校の二週目を迎えています。みなさんはお元気でお過ごしでしょうか。2月29日からあのようなかたちで臨時休校となり、残念な思いで一杯です。保護者の皆さまにおかれましては、遠方よりお迎えに来ていただき本当にありがとうございました。

 今年度の私たちは、6月の新潟山形地震、夏の酷暑、10月の台風19号、そして、今回は新型コロナウィルス感染症の猛威にさらされています。大自然の前で、人間がいかに小さな存在であるかをこれでもかと思い知らされています。しかし、私たちは無力ではありません。一年間でこれだけの禍をくぐり抜けて生きています。これらが経験となって、みなさんには確実に知恵が身についているはずです。

 3月10日の毎日新聞の記事「集団感染 防ぐには」の一部を紹介します。「新型コロナウィルス感染症の政府専門家会議は9日、感染拡大の要因となっているクラスター(集団)を発生させないために日常生活で気をつけるべき点」として「①換気の悪い密閉空間」「②人が密集」「③近距離での会話や発声」などの「三つの条件ができるだけ同時に重ならないようにすることが対策となる」としています。もうしばらくの期間、私たちはこれらを十分考慮した日常生活を送ることが、重症化した感染者を出さないことに繋がるということをよく覚えたいのです。みなさんのように元気な若者は感染したとしてもほとんど軽症のまま治癒するそうですが、感染者の20%が重症化してしまうと校医の先生は仰っていました。専門家会議は、換気の励行、二方向の窓を開ける。人と1~2m離れる。近くでの会話ではマスクを推奨しています。

 比較的長い春休みです。みなさんは普段とは違う「時」を過ごしているはずです。未知の危機に過度に怯える必要はありません。日本は医療の先進国です。予防策を講じつつ、今、自分に出来ることに努めましょう。自身の健康維持に心がけましょう。早寝早起きをし、ちゃんと食べ、適度な運動をしましょう。先ほど電話で話した某ブロ長は「筋トレをしている」そうです!素晴らしい!いい本を読みましょう。心が耕されます。そして、あなたの「隣人」に優しいひと声をかけ、笑顔で手伝ってあげましょう。では、桜が満開の4月のキャンパスでの再会を楽しみにしています。どうぞお元気で。

「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」イザヤ40章8節

 

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大望館 。元気よく感謝を伝える姿に胸が熱くなります。

各館ブロック長が寮修了証書を代表して受け取りました。

各館ブロック長が寮修了証書を代表して受け取りました。

 

 

 

 

≪のぞみ寮修了礼拝  50回生 修了生の言葉≫

『 乗り越えていく勇気を与え続けてくれるもの 』N.N(みぎわ館三年・中国広東省)

 私の寮生活は誰かを率いて歩むというより、みんなに支えられ、引っ張ってもらって歩んできた三年間でした。「どこの学校でもいい。とにかく日本の大学につながる進路を……」ということで、選んだ敬和学園でした。自分探しをするつもりなどなく、キリスト教教育を受けたかったわけでもなく、ただ長期休み以外、ずっと寮で生活出来ること。三度の食事を提供してもらえること。その二点から敬和学園への進学を決め、のぞみ寮入寮を決めました。

 そんな私が、ここでかけがえのない仲間たちと出会い、彼女たちと過ごした三年間で、大きく変えられました。今、改めて「敬和に来てよかった。のぞみ寮に入寮してよかった。みんなに出会え、共に暮らせて幸せだ」と感じています。

 私は日本人の父と中国人の母を持つ、いわゆるハーフです。今の私はそのことが誇りですし、幸せだと思っていますが、敬和に来るまで、来てからしばらくも、自分が何者かわからず自信が持てず、自分を好きになることが出来ずにいました。日本に来るまで、私はハーフのせいで周りの人たちに「違う物扱い」をされていると感じていました。周りの敵意なのか、興味本位なのかわかりませんが、「あいつ日本人だぞ!」という言葉にいつもドキッとし、傷つき小さくなっていました。

 私は、生まれも育ちも中国広東省です。もちろん中国語で生活していましたし、日本語はほとんどわかりませんでした。なのに、ハーフだと言うことだけで指を指されることが多く、だんだん周りに過剰に反応するようになっていきました。「日本人は○○だよね」という言葉には、例え良いことであっても聞こえた瞬間にドキッとし、後ろめたくなっていました。誰かと意見を交わすことや友達や自分にさえも本気で向き合うことは一度もなかったのです。中国での生活は人との交わりを極力持たず、考えず、言わず、聞かず、言われたことだけをしておけばよい、人形のように過ごせば心を乱されることのない生活でした。それを私は楽だと思っていました。

「修了生の言葉」3年間の歩みを自分の言葉で一生懸命に伝えてくれました。もらい泣きした人、多かった…。

「修了生の言葉」3年間の歩みを自分の言葉で一生懸命に伝えてくれました。もらい泣きした人、多かった…。

 そんな私は3年前の4月、のぞみ寮に入寮しました。「日本だってアジアだし、これまで通り普通に暮らしていける」と考えていました。入寮直後から私の想像とここでの生活は大きく違いました。何より人との関わりが多すぎました。そして、覚えなくてはいけないことも多かったです。先輩に使う敬語、寮の中のルール、同級生との会話も日本語のわからない私にとって、全てが課題やテストのようでした。言葉の意味がわからず、それでも「わからない」と言えない私が居ましたし、察して説明してくれる人もおらず、不安でたまりませんでした。波風立てずにコミュニケーションを取る方法を必死に考え、表情や口調でこの話は喜ぶべきか悲しむべきかを見分けることを学びました。つまり、人の顔色をうかがうこと。私がコミュニケーションの手段として最初に選んだのは、そういうことでした。しかし、人の顔色をうかがって誰かとわかり合えることなどありません。みぎわ館50回生のみんなが段々仲良くなっていく様子を見て、また誰とも仲良くなれていない自分に気付き、みんなの関係がうらやましくて仕方がありませんでした。私もみんなの輪の中で笑い合いたい、語り合いたい、仲良くなりたいと思いました。生まれて初めてこんな気持ちになりました。自分でもびっくりしました。しかし、「人と心を通わせて関わったことのない、つまらない私を誰が受け入れてくれるのか。また中国人だとか言われたらどうしよう」と不安な気持ちが大きく、なかなか最初の一歩が踏み出せず、自分の気持ちを伝えることから逃げ続けていました。「仲間に本音を言わなくて過ごす時間がもったいなくないか?」と自分自身へ問いかけ、布団の中で一人泣きながら考えることが何度もありました。「私は独りぼっちだ」と、ずっとそう思っていました。

 でも、今振り返ってみると、そんな時、みぎわ館の仲間たちはいつも弱っていた私に気付き、寄り添い続けてくれていました。私を思いやり、励ます手紙を何通もらったでしょうか。電気もつけずに布団にこもって泣く私に手を添え、何度話を聞いてもらったでしょうか。私がみぎわ館の中でどんなに大切にされているかを、50回生の仲間たちは伝え続けてくれていました。みんな、ありがとう。「この人たちだったらこんな私でも受け入れてくれるかもしれない」と思えるようになった時には、もうすでに入寮して一年が経過しようとしていました。

 2年生になり、私はみんなに寄り添い続けてもらっている恩返しと丸一年を無駄にした悔しさから、一歩を踏み出す決心をしました。そして、ミーティングで少しずつ自分の意見を言い始めました。「自分がされて嬉しいことを相手にしよう」と、みんなとの関わりを大切にしたいと願うようになりました。これらの思いが少しずつ形になり、これからもうまくやって行けそうだと自信を持ち始めた時、また大きな困難が私にやってきました。

 ある夜、みんなで映画を見ていた時のことです。映画に出てきた印象の良くない登場人物に対して「中国人みたいだね」と感想を言った仲間がいました。それを聞いた時、私は凍りつき、中国にいた時のようにまた何も言えず、気付かないふりをしてその場から逃げました。本当はすごく傷ついていました。誰にも何も言えず、もやもやして何日も過ごしていました。でも、私はみんなのおかげで変わりたいと願い、みんなの中でなら出来そうだと感じ、そのための一歩を踏み出す決心をしていたことを思い出しました。勇気を振り絞って、初めて自分の気持ちを言葉にしました。彼女は私の話を真剣に聞き、理解してくれて「ごめんね」と言ってくれました。二人で仲直りのハグをしました。彼女の「ごめんね」に私の心がどんなにホッとしたか、彼女が私の気持ちを理解し受け入れてくれたことがどんなに嬉しかったのか、言葉になりません。

 みんなと出会っていなければ、こんな機会がなければ、私はまだ怖がりのまま、人に自分の気持ちをはっきり伝える勇気がないままでした。彼女だからこそ、みぎわ館で共に暮らす仲間だからこそ、私のことを受け入れてくれると信じられるようになっていました。私もみんな同様、大切な一人だと教えてくれたこと、いつも大好きだと伝えてくれること、感謝の気持ちで一杯です。みんな、本当にありがとう。私もみんなが心から大好きです。

 お父さん、お母さん。遠い中国から私を敬和に送り出してくれてありがとう。敬和に来てから、家族は本当にかけがえなく大事な存在であることに気付かされました。離れていても、いつも私のことを応援し続けてくれてありがとう。たくさん心配かけたと思います。私はここに来て自分で勉強をするようになりました。私はここでみんなと出会って、強くなりました。お母さん、そんなに心配しなくても、もう大丈夫だよ。お父さん、初めての反抗期が昨年末にありました。生意気言ってごめんなさい。でも、思っていることをお父さんに打ち明けられた私は幸せ者です。許してくれて、理解してくれてありがとう。二人が私を世界一愛してくれていることを実感しています。そして、私も二人をずっとずっと愛しています。

 最後に、のぞみ寮での三年間は長いようで早かったです。今夜でみんなと過ごす、のぞみ寮での生活が終わります。だけど、私を変えたここでのみんなとの出会いと経験は、将来また困難に出会った時、乗り越えていく勇気を与え続けてくれるものだと確信しています。そして、みんなとのこの友情が変わることなく、いつも互いの心に仲間たちがいることを願っています。

 50回生の保護者の皆様、私たちをのぞみ寮に送り出し、たくさんの出会いのチャンスを与えてくださり、ありがとうございました。私たちはここでかけがえのないたくさんの仲間と出会うことが出来ました。三年間祈り、支えてくださったこと、いつも味方でい続けてくださったこと、心から感謝します。

 寮生をはじめ、のぞみ寮で関わってくださったたくさんの皆さん、三年間本当にありがとうございました。そして私の第二の家族みぎわ館のみんな。心の底からありがとう。大好きだよ。

めぐみ館1・2年生 見事なリズムを生み出し、最高の歌を送り届けてくれました。

めぐみ館1・2年生 見事なリズムを生み出し、最高の歌を送り届けてくれました。

光風館1・2年生 国民的ヒーローがウイルスに勝ってくれて、僕たちに愛と勇気を与えてくれました。

光風館1・2年生 国民的ヒーローがウイルスに勝ってくれて、僕たちに愛と勇気を与えてくれました。

 

 

 

 

≪のぞみ寮修了礼拝 保護者の言葉≫

ただいまと言える場所 』 K.A(大望館三年保護者・兵庫県)

 50回生の皆さん、卒業おめでとうございます。保護者の皆様もおめでとうございます。今日のようなおめでたい日に、皆さんとご一緒出来ること、とても嬉しく思います。そして、子どもたちを三年間、陰になり日向になり、毎日支えてくださった寮の先生方、調理員さん、校長先生をはじめとする先生方、携わっていただいた方々、皆さん、本当にありがとうございました。また、本日は世の中がコロナウィルスで混乱している時に、このような素敵な礼拝の場を設けていただきありがとうございます。

 3年前の入寮の日、もしかしたら子どもより親の方が不安だったのかもしれません。私は、正直なところ息子が敬和に入学することに、大賛成というわけではありませんでした。主人は卒業生なので、高校や寮の良いところを話してくれるのですが、ずいぶん昔のことですので、全てが美化されているような感じに聞こえたのと、自分自身は公立高校に通っていたので、私立の学校にほんの少し抵抗があったというのもあります。ましてやスキー旅行でかすったくらいで、お米・お酒・雪くらいのイメージしかない新潟。学校を見学した時に「みんなニコニコしているから、敬和に行きたい」と言った、息子の言葉がなければ反対していたかもしれません。親の心配をよそに、息子はとても生き生きと頑張っているようでした。学校にも慣れ、寮でも先輩や同級生に可愛がってもらい、すごく安心しました。安心すると同時に、親子共々少し欲が出ました。「中学校の時より頑張っているし、もう少し難しいことにチャレンジしたらいいんや……」と。

 二年目に事件は起きました。知っている人はよく知っている、「俺は異世界へ行く」事件です。ゴールデンウィークの途中でした。先生から電話があり、息子が寮を抜け出したと聞きました。先生から聞くところでは「親の敷いたレールの上を走るのは嫌だ。異世界へ行こうと霊園へ行った」とのことでした。「一度、帰宅させますのでおうちでじっくり話し合ってください」と言ってもらいました。「異世界って、何やねん……」ということは置いておきますが、親が敷いた覚えのないレールが、彼の前に敷かれていることにびっくりしました。

 その次に、一緒に行ってくれた友達がいたことを聞き、「巻き込んでしまってどうしよう」と心配になりました。夜行バスを手配していただき、翌日帰ってきた息子を大阪まで迎えに行きました。眠そうな、しゅんとした感じの息子を見て、泣きそうになりましたが、ぐっとこらえました。大阪から姫路まで車で飛ばして一時間半強。車で送迎される保護者の方はよくわかると思いますが、送迎の時の車の中はなんだか特別です。そこで詳細を聞きました。

 私は嬉しくなりました。まず、ちゃんと悩んで、方法は違ったけれど、反抗出来たということが一つ。そして、寮を抜け出すから一緒に行こうと、誘える友達がちゃんといて、その友達は「一度やめとこう」と止めてくれた。説得が無理とわかったら、自分たちもペナルティがあるかもしれないのに、一緒に行ってくれたこと。それでも心配で、他の友達に話してくれていたこと。その友達がこっそり先生に話をしてくれて、出来るだけ未遂になるように待ち伏せして連れて帰ってくれたこと。本人が家に居るとわかって理由を聞いて「あんたが悪い」と怒ってくれた幼馴染みがいること。一緒にラーメンを食べて「今までのYは今日までで、家で話して新しいYになって帰ってこい」と言ってくれた先輩がいること。全部、息子の為を思って行動してくれたことです。息子は幸せ者です。学校のクラスでも、もちろん仲の良い友達はたくさん出来ますが「これが寮なんだなあ。兄弟ともクラスメイトとも違う。寝食を共にする仲間ということはこういうことなんだなあ」と実感しました。

 そのあと、フェスティバルの時に先生方と話すと、女子寮の先生方も男子寮の先生方も関係なく事情の次第を把握してくださっていて「大丈夫。大丈夫」と言ってくださって、入寮の時に感じた不安は、すっかり無くなりました。

 当の本人は成長した部分もありますが、相変わらずおっちょこちょいで、同じような失敗をしています。でも、親元を離れて過ごしたこの三年間でだいぶ強くなったように感じます。

 私が困難にあった時に、いつも思い出すことが二つあります。息子の乳幼児健診の時に「子育てで悩んでいることはありますか?」と欄に「いつもこれがいいかな、あれがいいかな、と悩んで子育てをしていますが、何が正解かわからず不安です」ということを書きました。小児科の先生は「何が正解かはわからんけど、一般的には何がいいのか悩んで子育てするのが良い子育てっていうんやで」と言ってくださって「ああ、別に正解がわからなくていいんだ。悩んでもいいんだ」と心がパッと晴れました。それからは子育てだけじゃなくて色々な問題が出てきた時も「どうすれば良いのか、一生懸命考えて失敗してもまた考えれば良い」と思っています。

 もう一つは小学校の母親学級の時に、当時の教頭先生が話してくれた子どもたちへのアンケートの結果のことです。「親や家族に言われて一番嬉しい言葉はなんですか?」との質問の答えの第一位がなんと「おかえり・ただいまと言ってくれる。安心して帰る居場所がある」ということが子どもたちには嬉しいんだとのことでした。居場所です。

 のぞみ寮の皆さんには、実家とさらにもう一つ、「ただいま・おかえり」と言える居場所があります。とても羨ましい。

 51・52回生の皆さんは、この居場所を満喫してください。50回生の皆さんの寮生活はもう終わりますが、居場所が無くなったというわけではないと、私は勝手に思っています。もちろん、部屋は無いけれどのぞみ寮で過ごした時間や空気はちゃんと残っていると思います。

 これから進学や就職で社会に出ると、たくさんの困難にぶつかると思います。いっぱい考えて、悩んで、でも一人で色々考えてもわからなくなったら、誰かに相談してください。同年代の友達や親には相談しにくいこともあるでしょう。そういう時は「寮もあるんだ」と心の隅に置いておいてほしいと思います。

 先生方、この三年間、思春期の大変な子どもたちをこのように立派に成長させてくださり感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。厚かましく、最後にお願いします。どうか、これからも子どもたちが「ただいま」と言える場所でいてやってください。よろしくお願いします。敬和学園とのぞみ寮のますますの発展をお祈り申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

みぎわ館1・2年生 3年生ひとり一人への愛情たっぷりの言葉を送り届けてくれました。

みぎわ館1・2年生 3年生ひとり一人への愛情たっぷりの言葉を送り届けてくれました。

 

 

 

 

 

教師からの一言

  小林 渚(女子寮担任)

大望館1・2年生 大望館らしい一発芸で会場を沸かしてくれました。

大望館1・2年生 大望館らしい一発芸で会場を沸かす。

 修了礼拝の日の夜、涙を流しながら50回生に感謝の言葉を伝える1・2年生がいました。そんな後輩達の頭をなでながら、「頑張ってね」と声をかける三年生の姿が思い出されます。

 三年生の背中を見て、多くのことを学んだ後輩達、そして寮務教師の私達です。50回生を超える、新しいのぞみ寮の歴史を築いていきたいと強く思わされました。

 目に見えないウイルスにより、世界中が不安の中であっても、修了礼拝・卒業礼拝が行えたことは、神様からの大きな恵みであったと感じています。新年度も、不安や混乱はまだまだ続くかもしれません。でも、神様の「大丈夫」という御心を信じて、新しい年度を迎えたいと思います。50回生のこれからの道も恵み溢れるものでありますよう心からお祈りしています。