毎日の礼拝

校長のお話

2019/12/10

「献げる恵み」(申命記 14章22~23節)

アドベントの2週目に入りました。

多くの教会やキリスト教学校ではこの時期クリスマス献金を募ります。

敬和学園も皆さんに献金をお願いしています。

 

「いくら献金すればいいですか?」と聞かれることがあります。

今日の聖書箇所を始めとして、旧約聖書では収穫の十分の一を献げなさいと記されています。

収入の十分の一を献げなさいと厳しく指導している教会もあるようですが、旧約聖書の時代と現代とでは世の中の仕組みも違いますし、教会という組織はイエスの誕生以後できたものですから旧約時代の決まりを現在の教会にそのまますっぽりとあてはめるのは大変難しいことだと私は考えています。

新約聖書では「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。(コリントの信徒への手紙二9:7)とか「週の初めの日にはいつも。各自収入に応じて、幾らかずつでも手元に取っておきなさい。(コリントの信徒への手紙一16:2)」と記されています。

結局いくらという明確な金額はわかりません。

 

 キリスト教では、お金などの財産だけではなく、私たちの持っているものはすべて神様からいただいた恵みなのだと考えています。

たとえば、今日食事をいただけること、仕事や勉強ができること、得意なことや才能、発表や表現ができる機会、豊かな人間関係や健康、けんかを通して成長したとすればそのけんかですらも恵みです。

それらすべての恵み、一つひとつを神様に感謝します。

感謝のしるしとして一部をお返しするのが献金の本来の意味です。

 

 現在は貨幣中心の経済ですから一旦お金に替えて、人を派遣したり物を贈ったりすることに使うということになります。

少し生活に余裕ができた人は積極的に寄付・献金をする習慣が欧米にはあります。

また、お金だけではなくその人の賜物を活かして社会貢献することも当たり前となっています。

スポーツ選手が子どもたちのために野球教室を行ったり、自分が得点した数だけ車椅子を必要なところに贈ったり、無料で講演会をしたり、災害募金のために自ら募金箱を持って街頭に立つ光景は私たちも目にするところです。

 

 現在さまざまな形で奨学金をいただいている人がいると思います。

大学や専門学校に進学する際に奨学金を受けたいとか申し込んだとかいう人もいるでしょう。

いただくだけで返さなくてもいい奨学金ですが、毎年少しずつ母校にクリスマス献金を続けて30年以上かけていただいた奨学金の金額に達した方のお話を聞く機会がありました。

留学先のその学校の伝統だそうです.

いただいたものを少しずつ母校に返していくことで次の奨学金の資金となり、自分のように奨学金無しでは勉強できない次の世代のために使われるのだから、神様と母校へのご恩返しなのだとその方はおっしゃいました。

 

 敬和学園高等学校 宗教部が呼びかけている献金の送り先は献金封筒の中にお手紙として紹介されています。

この献金は学校へのクリスマス献金とは別のものです。

皆さんからお預かりした献金は一旦宗教部でまとめて全額をお知らせした献金先に振り込みます。

今年は台風19号21号による大きな被害がありました。

昨年の北海道胆振東部地震も一年が経ちますが、まだまだ日常生活を取り戻すことができていない方々がたくさんいらっしゃいます。

東日本大震災も同様です。

特に放射能被害に関しては心配がつきません。

 

 少なくとも私たちは敬和学園での学校生活という恵みをいただいています。

通学できることの感謝、機会が与えられていることへの感謝、成長したことへの感謝、などなど。与えられている恵みに感謝して、このクリスマスには、その恵みの一部を必要とされている方々へおすそ分けすることをお勧めします。

お金だけではなく、心や身体、時間、体力、そして祈りなど、自分にできるやり方を探してください。

そのやり方がわからない人は私のところに来てください。

一緒に考えましょう。

 

喜んで与える人へと成長してほしいと思います。

敬和学園のクリスマスもまた皆さんが考え成長する機会です。