月刊敬和新聞

2019年8月号より「あなたが『いる』という幸せ」

校長 中塚 詠子

ねことの暮らし
 多頭飼いをしていた友人のところで仔猫が生まれると「いかが?」と毎回声がかかりました。「残念!今の家は動物がダメな賃貸住宅。飼えるところに引っ越したらね。」と適当に相づちを打っていました。その後引っ越しした先は90㎤に収まる動物ならば二匹まで飼育可という住宅でした。引越祝いにその友人が届けてくれた段ボールには、薄茶で縞柄の仔猫がいました。初めての子育てが始まりました。
 わからないことだらけでしたが、仔猫は「かわいいのが仕事」「そこにいるだけで幸せ」ということを教えてくれました。毎日の帰宅は「ねこがまだ慣れていないので」「仔猫が心配なので」とそそくさと職場を後にしました。初めて自分の手からごはんを食べてくれたときの嬉しさや、布団に潜り込んできたねこで、冷え込んだ朝に気づく楽しさを味わいました。昨年七月末にその子を天に送りました。16歳と4ヶ月でした。

ねこに看護される
 私は今から5年ほど前に大きな病気を経験しました。手術の後、一年半治療が続きました。初めの半年は薬の副作用が多く出ました。眠いのに眠れず、気持ちが悪くて食べられず、横になる日が続きました。ねこは私にぴったりと寄り添い、しっぽで「とんとん」してくれました。顔の真横で香箱を結び、ぐるぐるとのどを鳴らしてくれました。しっぽでとんとんされながら、ぐるぐるという音を聞きながら、私は浅い眠りにつくことができました。トイレに立とうものならダッシュで先回りをするのです。私はねこに看護されていました。
 ご飯と水、トイレの始末と、私が世話をしているつもりでしたが、病気とはいえ私がねこのお世話になる日が来ようとは思いもしませんでした。「今日もすまないねえ」と昭和のコントのように言葉をかけ、ねことも一緒に病気療養をしたのです。

見守られていた私
 最期は急激にやせてしまいました。大好きだった押し入れに飛び上がることができなくなりました。ごはんも食べられなくなり水も飲めなくなって、様子がおかしいと思い始めて半月ほどのあっという間でした。最期の日は素人目で見ても今夜持たないかもしれないと思いました。しっかり看取ろうと思いました。きっちり見送るのが私の務めだとも思いました。抱っこされるのも苦しいようでしたので、私の脇に抱え込むように添い寝をしました。最後の最後までじっと私を見つめていました。じっと私を見つめたまま大きく息をついて逝きました。
 大泣きしながら私は気づいたのです。見守っていたはずの私が本当は見守られていたのだと。弱って何もできなくなったねこに見守られていたのは、私だったのだと。もう号泣です。
 その後、しくじりやぼんやりが続きました。典型的なペットロスです。一人になるとダメでした。服についた毛を見ても涙が溢れます。スーパーで大好物だったホタテ貝を見ただけでも泣けるのです。ぼーっとしていて車をぶつけ、ドアを取り替える予想外の出費もありました。あの子がいないことを頭で理解できるようになった頃ぎっくり腰になりました。最近の研究ではぎっくり腰のきっかけはほぼメンタルにあると言われています。痛みに体が固まりながら、これもペットロスあるあるだなと自分を慰めました。

存在の幸福
 たかがねこなのです。しかし私たち家族には大きな喪失の経験でした。たかがねこ一匹の命です。でも他のねこではダメなのです。他のねこには他のねこの存在価値があるのです。あの子の存在価値はあの子にしかないのです。だからあんなに切なかったのだと思います。
 あの説明のしようがない喪失感が私に教えてくれたことは「そこにいる」という存在の幸福です。私たち人間は問います。「なぜ自分はここにいるのか」「なんのために自分は生きているのか」。それを求めることは尊いことです。答えが見つかれば素晴らしいことです。でもその前にまず「生きていること」「存在すること」に途方もなく意味があるのだということに気づいて欲しいのです。ここに「いる」ということを喜んで欲しいのです。
 もし今あなたがいなくなったとしても、世界はそれほど変わらないように感じているかもしれません。それは大間違いです。あなたに連なっている人たちが日常生活を送れなくなるほどの衝撃的な喪失を与えることになるでしょう。一人ひとりの存在はそれほど大きいのです。いらない人間なんていないのです。敬和学園ではそのことを「一人ひとりを大切にする」と表現しています。「自分がここにいる」「友だちがここにいる」。「いる」という「存在」から出発する学園生活を過ごしてください。あなたは「いる」だけで素晴らしいのですから。