のぞみ寮通信

のぞみ通信

2019/07/01

のぞみ通信 2019年6月28日 第247号

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みぎわ館ホールにて部屋替え前夜、1年生からサプライズで手紙のプレゼント!

 

 

「6・18『新潟・山形地震』報告」
寮長  東 晴也
 6月18日夜10時22分、新潟県内で最大震度6強の地震がありました。気象庁によると震源は山形県沖で、震源の深さは14キロ、マグニチュード6.7と推定されました。
 寮本部にいた私は、窓ガラスが強い風で大きく揺れたように感じました。その揺れが次第に足下にも感じられて、すぐ地震だと分かりました。すぐテレビをつけ状況確認をしながら、館内放送でこんな主旨の内容を慌てて何回も喋りました。
「地震です。すぐに机やテーブルの下に隠れて、身の安全を確保しなさい!これは訓練ではありません!」
 テレビではすぐ地震の規模や予想される津波の高さと地域が表示されました。「新潟市は津波注意報、予想される津波の高さは1m。」私は頭が半分真っ白になりながら、(ここは標高10mはある。津波1mなら避難しなくても大丈夫か。でも想定の10倍の津波が来たら?余震は?想定外を想定しないと……)そして、再度館内放送で「すぐに避難を開始しなさい。友愛館に避難しなさい」と避難指示をしました。
 すでに友愛館は施錠していました。すぐ開けに行くと、女子生徒2、3人が泣きながらこちらに向かって来ます。「大丈夫だよ!」と根拠のない言葉を投げかけ、友愛館の電気をつけました。校舎屋上の最終避難場所に行くために、夜警職員に内線で校舎裏玄関と屋上の解錠、校舎内の点灯を依頼。生徒がぞくぞくと集まり始めました。中塚校長や寮務教師も集まり、点呼開始。森口主任から生徒の点呼結果・全員無事を確認するまで、地震発生からほぼ8分でした。津波注意報は警報に変わっていました。
 あっという間でした。その後、校長先生が次々に指示を出し、A先生は状況を随時生徒に説明し、B先生は近隣の寮生のご家族や卒業生の安否を電話で確認してくれました。C先生とD先生は「○○さんは3・11で辛い経験しているよね」と動揺する生徒に声をかけてくれました。ある3年生E君はF君を脇に抱きかかえながら、「寮長室貸して下さい」と率先して介抱してくれました。
 23時10分を回り、警報が注意報になり、想定される津波の高さが「1m」から「微弱」に変わり、余震もないことから、各館内の安全を各教師が確認したところで、生徒に状況を説明。その後、各館に戻しました。
 一人になった寮本部から再び館内放送をしました。
「今日の避難はとても良かった。協力してくれてありがとう。津波は今、沿岸に到達中ですが微弱で危険はありません。柏崎の原発でも異常はありません。とりあえず差し迫った危険はなさそうです。安心してお休み下さい。念のため避難しやすい服装で休んで下さい。お祈りします。神様、今夜私達を地震と津波の危険からお守り下さい。アーメン。」
 皆様のお祈りを感謝いたします。
 
 
 

< 寮生リレー > ◇ フェスティバルを振り返って ◇
 
「どんな出来事の中でも仲間を大事に思い、感謝する」
   H.T(みぎわ館3年 新潟県三条市)
 敬和学園で最後のフェスティバル。私は「霧島連合で何が出来るのだろうか」と考えた時、「裁縫は出来るのだから衣装チーフをやろう!」とシンプルに思ったのです。しかし、そう考えるだけでは務まる訳がありませんでした。
 まず、衣装を作るためにどういった完成系にするのかデザインを考え、どんな生地を使うのか、何メートル必要なのか、どこで買うのか、型紙は何を使うのかを一からやらなくてはなりませんでした。ハーフパンツ一枚しか洋服を作ったことのない私にとって、ものすごく難しいことでした。活動期間が始まると何から手をつけたらいいのか分からず、必要な分の生地を買うことしか出来ませんでした。
 私は衣装部門に来てくれた1・2年生と共にダンスの衣装と女子総合チーフの衣装を作りました。ダンスの衣装は、男女反転で片方は長ズボン、もう片方はハーフパンツという形で作っていたのですが、男女反転には上手くならず、フェスティバル当日にダンスの人は前後逆で履かなければならないことになりました。当然、私は責任を取らなければならなかったのですが、ただただひたすらやれることをやり続けました。女子総合チーフの衣装はサイズが小さいこともあって、なんとかベストとスカートを終わらせました。しかし、すべて作り終わり、いざ試着させると予定よりずっと小さかったのです。なので、急遽脇の部分を広くし、ファスナーを付けてやっと完成させることが出来ました。
 みんなで作り上げた衣装を全員が初めて着てダンスを披露してくれた日は、私にとって言葉に出来ない感動でいっぱいでした。そして、いろんな不手際があったにも関わらず、2位という素晴らしい順位を取れた事もとっても嬉しかったです。
 ここまで私が出来たのは一緒に頑張ってきたもう一人の衣装チーフ、衣装部門の人達、先生や総合チーフ含め霧島連合のみんな、本部の方々など色々な形で応援してくれたたくさんの仲間のおかげだと心から思います。どんな出来事の中でも仲間を大事に思い、感謝することを私にもう一度教えてくれた素晴らしい経験となりました。
 


「心から願っていること」
K.F    (光風館3年 愛知県みよし市) 
 僕の夢は、東京ディズニーリゾートでキャストをやることだ。それはある本を手に取ったことがきっかけだ。『ディズニーの掃除の神様が教えてくれたこと』その本の題名である。パーク内の清掃係として実際に働いた人が書いた本である。彼らは決して、パーク内の主役になることはない。でも、その役割は重要だ。単に綺麗にするだけでなく、ゲストをもてなすため、自分の持っている才能を持て余すことなくいろんな場面で披露し、夢の国の住人としての働きで、多くの人の心を温かくさせてくれる。僕はそんな存在に憧れた。
 敬和学園で最後のフェスティバル。去年に引き続き、演劇部門で僕は頑張ろうと決意した。本来、人前に出ることは苦でしかなかった。しかし、高校に入っていつの間にか人前に出て、多くの人の笑顔を見ることが楽しくてたまらなくなった。僕の性格上、いろんな場面でリーダーシップを発揮するような主役にはなれない。しかし、今年の演劇でも、僕は舞台の上から多くの人の笑顔を見ることが出来た。僕にしか出来ない役を演じ切ることが出来た。
 もしかしたら、僕だけが一人で満足しているのかもしれない。でも、多くの人の笑顔を見ることが出来る。それが僕の幸せなのだ。
 ディズニーリゾートのキャストは毎日笑顔に包まれる。僕は笑顔に包まれる場で、僕の力を発揮したい。それが、僕の真の願いである。
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「仲間たちに支えられながら」
 E.R    (めぐみ館3年 新潟県柏崎市)
 もともと責任を負う仕事はとても苦手で不安だったのですが、1年生の頃からダンスチーフに憧れていたので立候補し、念願のダンスチーフになることが出来ました。この経験を通して学んだことがたくさんあります。
 楽しいこと、好きなことはたくさんあるのですが、私は一つのことを深く取り組んだことがありません。自分がしたいことをしていて、それについて悩んだり悔しい思いをしたりする人を羨ましく思っていました。しかし、ダンスチーフになり、その思いを経験することが出来ました。
 今年のフェスティバル期間は思ったより短く、あっという間に時間が流れていきました。「本当はこうしたい」というフォーメーションがあるのにアイディアが思いつかなくなり、焦り、妥協してしまいそうになったこともありましたが、出来上がったダンスはダンスメンバーの頑張りで最高のダンスを披露することが出来ました。
 毎日の練習はきつく疲れましたが、毎回楽しかったです。後輩が「練習してきました」と上達していく姿を見て、本当に嬉しかったです。フェスティバルが近付くにつれ、他連合の進み具合やダンスを見たり、聞いたりする度に自信が無くなっていきました。焦ってピリピリとした雰囲気の練習にしてしまい申し訳なかったです。最後まで仲間たちとやり遂げることが出来たことは、本当に感謝です。
 本番では、ダンス部門2位をいただきました。嬉しい気持ちと悔しい気持ちでいっぱいでしたが、連合の仲間たちに支えられながら、ダンスメンバーと一つのことをやり遂げられた達成感と満足感を実感出来ています。最高のフェスティバルです。
 たくさんの人に支えられたからこそ、ダンスチーフが出来たのだと思います。感謝の気持ちを大切にしながら、一日一日を大事に卒業まで残された敬和生活を過ごしていきたいと思います。
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フェスティバルに向けてやる気満々のめぐみ館
 
 

「3年間で最も良くない 最高のフェスティバル」
A.N  (大望館3年 新潟市西蒲区)
 今年のフェスティバルは、印象で言うと3年間で最も良くなかった。グラウンドはグチャグチャだし、始まるまで1時間かかるし、MCのチャペルでの練習は、1回しか出来なかったし、あまり良いものとは言えなかった。
 1日目は、今までで一番緊張したと言っても過言ではなかった。最初のMC、昼バンド、合唱の連合紹介、昔の自分だったらこんなにたくさんの役割をやるなんてことはなかった。昔なら「えー!」と言って時間が経ってからやんわり断る。そんな感じだった。でも、今年で最後かと思えばやってみて損はないと思った。実際は、そういう役割を頼まれて嬉しかった。頼まれた時、自分が役割を任せてもらえることで必要とされていると感じることが出来た。1日目は、今までの中で最も充実したものになった。
0628_no01 2日目は、あいにくの雨。時間の変更などから競技の数も少なくなり、「最後のフェスティバルはこんなので終わるのか」と思いながら始まった。グラウンドコンディションが最悪な中での競技。ただでさえ雨で気分が下がっている中で、特に3年生競技に苛立ちと不満を持たざるを得なかった。もしやる場所が違うならば、もし途中で切らなければ、そんなことを何度も何度も考えた。負け惜しみであるとわかっていながらも……。
 もう一度言うが、今年のフェスティバルは3年間で最も良くないフェスティバルだった。特に2日目は、過去自分が経験したフェスティバルに比べれば最悪だったとしか言えない。だが、今年のフェスティバルは最高だった。確かに、その日その日の出来事だけを見ると自分にとって不都合な出来事ばかり起こっていた。しかし、悪い状況、総合順位6位と言う結果でも笑顔にしてくれる。何より大きな事故もなく最後まで終わることが出来た。富士クラスで本当に良かったと改めてこのフェスティバルを通して感じることが出来た。富士クラスありがとう。卒業まであと少しよろしく。
 
 


 ◇ 寮生活を振り返って ◇

「人を受け止め自分を見つめる」
O.K(大望館2年 大阪府豊中市 )
 僕は寮生活を1年と少し過ごしています。中学校の頃の自分だったら短いと思う時間でしたが、この1年はとても長く苦しくもあり、そして自分がとても幸せだと確認することが出来る1年でした。
 入寮当初、僕は寮生活をする自覚がなく送っていました。はじめは自分の身の回りのことで精一杯でしたが、東京から来たため自然が多いことが嬉しく、よく海に散歩へ行っていました。その後、自分の身の回りが整ってくると同級生に興味が向き、僕は大望館51回生の中で起きることに興味が湧くようになり、自分に関係のないことによく首を突っ込みました。寮内で問題になることは人それぞれの価値観でした。51回生は人数が多く、そのためよく価値観の違いによる喧嘩や食い違いが多かったのです。そのようなことが起きる度、どちらかの意見や価値観を捻じ曲げることで問題を解決しようとしました。しかし、毎回解決しきることが出来ず、お互いの距離が遠くなるだけでした。
 その状態を寮務教師の山﨑飛鳥先生に相談したら「人の概念や価値観を変えることは難しい上、20人近くの集団になればなおさら難しい」と言われました。お互いの違いを受け止めた上で、それでお互いの違いによって生じる得意・不得意を利用するという結論に至りました。しかし、未だに自分と人の違いを認められず、相手を否定しにかかる癖があり、まだ治したいと思う部分があります。
 この1年を過ごすことでいろんな人と関わりを持つことにより、人を知り、人を受け止め、正面から自分を見つめ、どんな人になりたいかを知ることが出来ました。これからもいろんな経験をし、多くの人の価値観や人間性に触れていきたいです。
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 フェスティバルをやりきって最高の笑顔
 
 
 
◇ 礼拝のお話 ◇
「短所と向き合おう」
T.T  (めぐみ館1年 長野県松本市 )
 私にはすごく抜けているところがあります。すごく大事なことを忘れてしまったり、よく物を無くしたり、肝心なところで抜けてしまいます。中学生の頃はそのせいで苦しみました。中学3年の時、図書委員長をしていました。委員長の仕事はとても多くて大変でした。一度にいくつもの仕事をしなければいけないこともあり、そういう時に大事な仕事を忘れたり、委員会の仕事は出来ていても他のことを忘れていたりしました。その度に先生から怒られていましたが、素直ではない私は「こんなに仕事を与える先生が悪い」と色々考えましたが、やっぱり悪いのは他の誰でもなく自分で、そんな自分が恥ずかしくて大嫌いでした。
 敬和学園に行きたいと思った理由の中にも、こんな恥ずかしい思いをした場所から遠くに離れたいという思いもありました。そんな思いを持って入寮した私は、入寮の初日、正直「来る場所を間違えた」と思いました。なぜなら覚えることが予想よりはるかに多かったからです。その時、私の頭には中学の時と同じように色々と忘れて注意され落ち込んでいる姿が浮かんでいました。
  実際、入寮してからもたくさん忘れました。そこまでは入寮初日の私の予想と同じでした。そこからが違っていたのです。私が忘れてしまって「すみません」と謝ると「大丈夫!気にしないで!」と言われたり、笑いながら「大丈夫だよ」と言ってくれたりしたのです。私は本当に嬉しかったし、「次からは忘れないようにしよう」と思いました。
 また、自分が素直に謝ることが出来たことにも気付きました。これらのことを通して、今までこんなに苦しかったのは、自分の短所を自分で認めず、向き合ってこなかったからなのではないかと思いました。今回、自分の短所と向き合うことで自分の心がちょっと軽くなったかなと思います。
 
 
 
 
教師からの一言
女子寮担任 小林 渚 
 フェスティバル2日目、天候によってこんなにも左右された年は初めてだったのではないでしょうか。イレギュラーな動きがたくさんあった中、限られたプログラムで、限られた場所での発表となりました。それでも、2日目が終わって寮に戻ってきた生徒たちは、「フェスティバル、本当に楽しかった!」と、満足した表情を見せてくれました。
 ふと、めぐみ館のある卒業生が教えてくれた、素敵な言葉を思い出しました。「敬和には、のぞみ寮には、不自由の中に無限の自由がある」と。スマートフォンの無い生活、外出が限られている生活、だからこそ、その中で寮生たちはいかに仲間と楽しさを生み出すかを日々考えます。自分たちで一から楽しいことを生み出すと、ちょっとした事でも腹を抱えて、大声で笑える出来事になります。そんな時、寮って本当に面白い素敵な場所だなと思わされます。
 今年度のフェスティバルも不自由となった環境の中で、いかに最高のフェスティバルにするかということを諦めなかった生徒達の姿に感動しました。フェスティバルで得たエネルギーを力にして、ここでしか出来ない楽しいことをたくさん生み出してくれることを期待しつつ、生徒達の日々の歩みが豊かであることを祈ります。