のぞみ寮通信

みぎわ館

2019/06/03

みぎわ館 23号

《倉庫整理しました》

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 5月27日(月)の礼拝後、みぎわ館リサイクル委員主催の倉庫整理なるものが行われました。倉庫整理とは、雑誌や新聞・段ボールなどの古紙出しの事です。40人が生活しているのですから、古紙出しも月一やったって結構な量です。今年度はおおよそ2カ月ぶりにやることになった倉庫整理。3年生ミーティングでどうやってやる!?と話し合いになりましたが、今回は1年生に倉庫整理とはどういうものかわかってもらうために、1年生全員参加でお願いしよう。そして、その教える係りとしてリサイクル委員と3年生の有志が数名で行うことになりました。

 いざ、本番。倉庫整理が始まりました。1年生たちの呑み込みの早い事!「こうして!」「あーして!」と3年生たちの指示を受け、何となく先を読み、サラサラ進んでいる倉庫整理。3年生たちも、「1年生すごいわ~!」とほめてくれていました。この倉庫整理のポイントは2つあります。1つは古紙の縛り方。2つ目は古紙倉庫への出し方です。みぎわ館で古紙をサイズ別に、種類別に山を作り、いよいよ1つめのポイントに。「縛り方教えるよ!」と3年生が声を掛けると、1年生たちが「くくれます!」と。しか~し、「違うんだよ。すごいくくり方あるから!ちょっと見てくれる?」と懇切丁寧に教えてくれる3年生たち。さすがです。この縛り方、私がのぞみ寮に初めて来たとき、その当時寮務教師をされていた大ベテランの先生から教えて頂いた縛り方です。この方法でやれば、怖いものなし。どんな持ち方したって崩れません。すごいんです。その縛り方を3年生が1年生に直伝してくれました。「知っている」と思っていた1年生たちも目からうろこ。「なるほど~!!」と。お父さん・お母さん、帰省した際、ぜひ披露してもらってください!!

 完璧に縛った古紙たちを次のポイント、古紙倉庫へ。13人の1年生と6人ほどの3年生有志たちで2個3個と縛った古紙を持ち、古紙倉庫へと運びました。まるでみんなで夜のお散歩のように星空を見ながら「きれ~い!!」なんて叫びながら、結構楽しく運びました。1年生にとっては未開の地、古紙倉庫に、そこも種類別に崩れないように積み上げる。丁寧に。適当に放り投げるのではないのです。その見本をリサイクル委員のダブルMさん(2人)が見せてくれ、きっちり・ぴっちり仕上げてくれました。

 すべて終えて館に戻ったら、ダブルMさんの放送が流れていました。「1年生の皆さん、協力してくれてありがとうございました。おかげで全部終わりました。ご協力ありがとうございました!」と。それを聞いた途端、倉庫整理の一端を担ったことが嬉しく・誇らしく思えました。

 色んなことを仲間にお願いしたり、ボランティアを募ったりする機会のとっても多い寮生活。思い返すと、メンバー揃わなくて困った……なんて経験したことがありません。いつでも・どんなことにでも「いいよ」と手を貸してくれるみぎわっ子たち。なんて温かい人たちの集まりなのだろうと思います。それもこれもきっと、先輩が気持ちよくいつでも「いいよ」と手を貸してくれるから、助けてもらえて心暖かくなった人たちがまたそれを真似て、自分も助けを求められたときいつでも「いいよ」と言える人になるのだろうと思います。それがのぞみ寮のステキな循環なのだと思います。私もいつもそこに触れられて、心暖かくなったり、ハッとしたり、反省したりの毎日。そんな日々を送りながら、みんなと一緒に自分探しをたっぷりしていきたいなぁと思います。

 倉庫整理、お疲れ様でした!ありがとう!!

 

 

 

《3年生の8時会》

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 3年生はよ~くミーティングをします。っていうか、毎日やっています。みんなでダラダラするときもあれば、恋話に花を咲かせることもあり、悩みを共有し合う時もあれば、真面目に「ねぇ、どうする?」と話し合うことも。これを始めてどれくらいになるでしょうか。最初はとにかく集まる事、ただそれだけで精いっぱいだったような気がします。面倒くさいと背を向ける人もいました。ですが、くじけず・あきらめず、続けたのがこの人たちのすごいところ!やり続けて、今、色んなことを話し合える場になっています。それが「8時会」。

migiwa023_23 先日、その8時会でフェスティバルでの各自の取り組みについての話が挙がっていました。共に暮らす仲間ですが、連合としてはライバルです。でも、互いに励まし合い・たたえ合ってやるのはみぎわっ子3年生のすごいところ。ワイワイ話しているうちに、事務室にあるホワイトボードに目が行きました。未だ「Welcome to Migiwa-kan!」となっていたホワイトボード。「そろそろ書き換えようよ!」とブロック長のHさんの一言でフェスティバルの連合テーマに関する落書き会が始まりました。この落書き会、落書きの域を超えています。サラサラ書いていたのですが、書き始めたのは一生絵を描き続けたいと願ってやまないMさん。うまいに決まっています。龍や狼、人形やドクロ、鳳凰や猫があっと言う間にホワイトボード前面に。あまりの絵のうまさに大歓声の事務室。暑くて忙しい1日を終え、疲れたひと時だったはずですが、とっても元気に1日を終えられる時間となりました。みんなで集まると元気になれるって、改めてステキだなぁと思います。こんな仲間と過ごせる限りある時間を、みぎわで一緒に過ごしながら日々大切にしていきましょうね!

 

 

 

《礼拝のお話》

3年 N.S 茨城県出身

「神様との対話なのです」

 

 以前片岡先生がお話をしていましたが、お祈りの最後に必ず言う「アーメン」は今の言葉に訳すと「それな」なのです。丁寧に言えば、「その通りです」という同感を表す言葉なのです。今日はお祈りの時に言うもう一つの言葉についてお話したいと思います。それはお祈りの最後に言う「イエス様のお名前によってお祈りします。」という言葉です。きっと敬和で初めてお祈りを聞いた人は「何で?」と思ったのではないでしょうか。私自身もこの言葉を使う理由を中3の頃の教会のお説教で初めて知りました。

 私は母の胎内にいる時から教会へ通い、幼稚園の頃からずっとお祈りの最後には「イエス様のお名前によってお祈りします。」と言っていました。クリスチャンになってからも、今までずっと理由もわからず唱えごとのように言っているだけでした。

 この言葉を何故言うのか、それは祈ることをキリスト教では神様と私の対話と言います。聖書の授業でも習いましたが、イエス様は私たちの罪を背負って十字架にかけられた、私たちの身代わりという存在になります。でも、神様という存在に罪の多い私たちは近づくことが出来ない。だから私たちの身代わりであられたイエス様に私たちの心の想いを預けて、あなた(神様)にこの祈りを聞いてもらう、神様と人間の中間にイエス様にいてもらうことで対話・祈る事が成立するのだそうです。だから、「イエス様のお名前によってお祈りします。」と祈りの最後に言うのです。

 私はこのことを知った上で祈ってみると少し祈りというものに親近感がわきました。その日、その時の悩みや嬉しかったこと、悲しかったことを神様と対話すると思うと、お祈りももっとしやすくなるのかなぁと思います。