のぞみ寮通信

光風館

2019/06/01

光風 19号

礼拝のお話

「神様の導き」

K・S君(光風館1年 長野県伊那市出身)

kofu0019_01 僕は中学3年の1学期に学校を不登校になりその時点では敬和に専願で入ろうと思っていました。しかし、2学期からまた学校に行きはじめ友達が行くからという理由だけで、地元の公立高校を第一志望にし、敬和を第二志望、いわゆるすべり止めという形で受けました。しかし、そんな舐めた理由で受けた地元の公立高校には見事に落ちました。公立高校の受験に落ちて敬和に来ると決まった時にはなかなか気が進まず、嫌だなあとまで思っていました。しかし、いまは敬和に来てよかったと思っています。
 これは神様が敬和に導いてくれたからだと思います。そのことに感謝したいです。これからの敬和生活でも神様に感謝して一日一日を過ごしていきたいです。

 

 

 

「自分の成長につなげる寮生活」

S・M君(光風館1年 燕市出身)

 私が敬和学園に来ることになったのは、母から「敬和学園で寮生活をしてみないか?」と言われたのがきっかけです。敬和学園について聞いたとき、入りたくないというのが自分の気持ちでした。それも、私は中学時代不登校で、中学時代のほとんどを家で過ごしてきたからです。そこから、いきなり寮生活をすることは自分にとって難しいと思っていました。ですが、寮生活をすることで自分の成長に繋がるんじゃないかという別の思いもあり、悩んだ結果、敬和学園に進学しました。
 敬和学園に来たことは私にとって悪いことではなかったと思います。人と会話することも中学の時と比べればできるようになりました。学校にも毎日登校できています。
 不登校であったという事は良いことではないですし、両親にも負担をかけてきました。ですが、そうした経験をしたからこそ、ここでの何気ない出会いは、人生を変え豊かにしていくきっかけになるんじゃないかと前向きに考えています。敬和学園との出会いで自分を少しでも良くしていけるよう努力していきたいです。

 

 

 

「志」

R・M君(光風館1年 新潟市出身)

 初めに、寮に入った理由をお話します。理由は二つあり、その一つ目は学校に通うためです。私の家は、ここからは遠く通学が難しいので寮に入ろうと思いました。二つ目の理由は、「家を離れ寮というところで生活するのはどんな感じだろうか」と興味を持ったからです。周りの人はだれ一人として知らず、身近な家族がいない寮で生活したらきっと成長するだろうと考え、寮に入ろうと思いました。
 次に、「凌雲」という名の由来についてお話ししようと思います。母にこの名の由来について聞くと「辞書で調べると載っているよ。」と言っていたので調べてみました。調べてみると「雲をしのぐほど高くぬきんでること」とありました。名前に込めた願いがあったかどうかわかりません。聞きそびれました。ですが、この名のように勉強や日々の生活など凌雲の志で頑張っていきたいと思います。

 

 

 

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 今週は、なかなか忙しく、このホームページに着手することができませんでした。案の定、女子寮のあっちの館はこの間にも更新を進めています。なかなか差が縮まりません。このままではやばいと何かを書こうと思っても、写真がなければ・・・。とカメラのデータを見てみると、「ん?」誰かがとってくれてるではないですか。
 という事で、せっかくある写真を載せて、無理やりコメントです。

kofu0019_19 この写真によると、有志を集め、網戸の網を張り替え、事情があってしばらく寮を離れていたK君が、寮に帰ってきたら、中国から千円で取り寄せたiPodタッチの新しい画面が届いていたので、割れた画面と交換にチャレンジしている写真のようです。
 結果、網戸は完璧に仕上がりましたが、K君の方は悪戦苦闘。だいたい、中国から千円という微妙な金額の新しい画面。その時点で怪しい。後々聞いてみたら、自分で訳の分からない英語の会話を、インターネットを駆使して、自分で取り寄せたらしいのです。箱を開けると、説明書はついてません。「やめとけ」という周りのアドバイスは届かず、分解。そして、ずっと分解したまま。しばらくしたら、なんか探し物中。どうやら、小さいねじを落としてしまったそうなんです。再起不能にならねば良いが・・・。
 そして最後のおまけの一枚。3年生の間に1年生。10数年前、私が赴任したころののぞみ寮からはありえない光景ではないでしょうか。学年を超えた兄弟のような交わりを楽しんでいます。