のぞみ寮通信

のぞみ通信

2019/05/27

のぞみ通信 2019年5月24日 第246号

 

「平和を作り出す人たち」
数学科・宗教主任  小田中 肇
 今日は、私と寮生との関わりで特に印象に残ったことについて、いくつかお話ししたいと思います。
 敬和学園に就職した一年目、私は「本当に良い学校に就職出来た」と思いました。生徒は、授業もよく聞いてくれました。そして、生徒が先生を信頼してくれている、そのことが驚きでした。みなさんは「そんなことか」と思うかもしれませんが、そうでもないのです。30年も前ですが、当時は行き過ぎた管理教育が原因で、日本中で校内暴力がひどい状態でした。多くの学校が荒れていました。学校は教師に対する不信感でいっぱいでした。ところが、敬和は違いました。生徒と教師の間に強い信頼関係が保たれていました。なぜでしょうか。答えはすぐにわかりました。寮があったからです。寮生が抱く学校への信頼と愛校心が学校全体のベースにありました。ですから、他の学校がどんなに荒れても、敬和は大きく揺らぐことがありませんでした。寮生が、創立以来の「敬和らしさ」=生徒と教師の揺らぐことのない信頼関係を守ってきたのです。
 また、行事が盛んなことにも驚きました。「こんなにも行事を真剣に取り組む学校があるのだろうか」と思うほどでした。これも敬和に寮があったからです。寮生がいなければフェスティバルをはじめとする、これだけ多くの行事を成功させることは出来ません。通学生の中には「寮生は他に楽しみがないから……」などと言う人もいましたが、寮生が行事を引っ張って来たのは事実です。行事において、いつも寮生たちが輝いていました。
 もう一つ、印象に残ったことがあります。それは「男女の仲が良い学校だなぁ」と感じたことです。当時はまだ他の学校では、名簿も男子と女子は別々でした。学校の様々な場面で男女が別々でしたから、男子は男子、女子は女子で行動することが他の高校では普通でした。しかし、敬和は違っていました。私は地方の男子校出身でしたから、男女が楽しく学校生活を送っている敬和生が外国の学校の生徒のように見えました。「出来ることなら、自分ももう一度敬和に入学して、寮生となって、青春をやり直したい」冗談抜きで、そう思いました。私の連れ合いも初めて声楽部のコスモスコンサートを聴きに行った時、男女が照れることなく互いに協力して舞台を作り上げる姿を見て、「敬和生は自然に男女が協力出来て、素敵な高校生だ」と言って、驚いていました。このように男女の仲が良いのも、やはり寮の存在が大きいと思います。これらの印象は、今もみなさんに引き継がれています。今日の寮祭を見て、改めて確信しました。
 私もクラス担任を何回か経験しましたが、その度に寮生には助けられました。担任にとって、寮生は実に頼りになる存在です。私だけでなく、他の先生もみんな感じていることだと思います。去年は一年Mクラスの担任をしましたが、その時も寮生に助けられました。なかなか大変なクラスでしたが、学年の後半修養会が終わった頃からクラスの雰囲気が良い方向に変わってきました。それには、評議員を中心とした寮生たちの働きが大きかったと思います。寮生活を通して、人間的な力をつけてきている彼らが、様々な場面で力を発揮してくれました。彼らのおかげで私も教員生活最後の担任を充実した思い出深いものにすることが出来ました。感謝しています。
 さて、寮生との関わりでもう一つ、どうしても忘れられないことがあります。それは2011年の寮祭のことです。2011年と言えば、何があった年でしょうか?三月に東日本大震災がありました。その時の礼拝では「のぞみ寮の祈り」が一同によって捧げられました。この祈りは礼拝委員の生徒によって考えられたものですが、その年の寮祭のプログラムに印刷されていました。あまりにも素晴らしいので、私は大切に保管していました。今日はその祈りの前半部分を紹介します。
『神様、今日このように2011年度ののぞみ寮の寮祭を多くの方々と行えることを感謝いたします。去る3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする東日本大震災が東北地方を襲い、住む家や日々の生活、そして多くの尊い命が奪われました。震災によって亡くなられた方々、今なお行方がわからない方々の魂をお守りください。また、被災された方々に心の安らぎと未来への希望をお与えください。被災を免れた地域にいると、いくら想像してもそれが現実のものとして起こっているという実感が湧きづらい私たち、月日が流れ徐々に被災地への意識が薄れてしまいそうになる私たちです。どうかそのような私たちに今、なすべきことを判断出来る智恵と、それを実行に移す力をお与えください。』
「このような祈りを、生徒自らが考え、捧げる学校が他にあるだろうか」と思いました。『被災地への意識が薄れてしまいそうになる私たちに今、なすべきことを判断出来る智恵と、それを実行に移す力をお与えください。』そのように祈る寮生たちに感動しました。敬和の教育が目指すものが、この祈りの言葉の中に表現されていると感じました。生徒が社会的な問題に目を向け、自分たちに何が出来るかを考えていく姿勢も素晴らしいと思いました。
  日本では、元号がもうすぐ変わります。来年は東京オリンピックを迎えます。国中がこれから祝賀ムード一色に染め上げられていきそうな勢いです。しかし、日本にも様々な問題があり、困難や差別の中にある人がたくさんいる現実は変わりません。今の日本の状況は、何か重要な問題から目を逸らそうとしているようで、不安になります。世界に目を向けると、トランプ大統領が登場し、「アメリカ・ファースト 自国中心主義」を唱えました。世界中に分断と対立が広がりつつあります。このような状況の中で、私たちはどのように生きたらよいのでしょうか。
  今日の聖書から学びたいと思います。手の麻痺した一人の男が会堂にいます。その日は安息日に仕事をしてはいけないと、厳しく定められていました。イエスに敵対する人々は、イエスがこの人の手を治すかどうかを監視しています。それはイエスを訴える口実を探すためです。もし、イエスがその人を治そうとしたら、訴えてやろう……。そのように企んでいます。イエスは、彼らの心を見抜いて言います。
「安息日に許されているのは、善を行うことか。命を救うことか、殺すことか」彼らは黙ってしまいます。イエスは彼らに、怒りと悲しみを覚えながらも、この男を呼び出し、その手を癒してあげる。そのようなお話です。
 ここで注目したいのは、イエスに敵対する人たちの態度です。彼らには、目の前にいる手の麻痺した人の苦しみがわかりません。それよりも、イエスが安息日の戒めを守るかどうか、つまりイエスが自分たちの側の人間か、それとも敵か。それしか興味がありません。これは宗教的ナショナリズムに捕らわれた人たちの態度です。分断と対立を、お互いの間に作っていく態度です。その結果、身近な人の気持ちや痛みが見えなくなってしまっているのです。しかし、この物語にはこのような状況を乗り越える道も示されています。それは、身近にいる困難を抱えた人に勇気をもって近付くこと、その人たちに声を掛けることです。一歩、踏み出す勇気を持つことです。「手を伸ばしなさい」と声を掛けたイエスのように、その人の助けになろう、その人の隣人になろうとする生き方です。その時、必ず奇跡が起きる、そのように聖書は教えます。
  みなさんが卒業後、出ていく世界は一見平和そうに見えます。しかし、そこには分断と対立、そして様々な暴力が隠されています。そのような状況だからこそ、みなさんには「平和を作り出す人」になってほしいと思います。日本だけではなく、広く世界にも目を向け、様々な困難や差別の中にある人たちの隣人となる生き方を送ってください。そのために必要な知恵と勇気を三年間の寮生活を通して、身に付けてほしいと願います。(4月27日寮祭の礼拝より)
 
 
 
 
 < 寮 生 リ レ ー >
 

  
「少し変われたような気がする」N.H(光風館1年 新潟県村上市)
 この寮祭で、光風館1年生は「一休さん」の劇をしました。
 僕は中学校に行けていなかったので、劇など大勢の人の前で上手く出来るか不安だったし、女装役だったので余計に不安になりました。でも、本番ではセリフも自分の役の動きも、「上手く出来たんじゃないか」と思ったし、劇全体も上手く出来たので良かったです。
 僕は、中学校時代では出来なかった大勢の人の前でする劇や、一生のうちで一~二回するかしないかくらいの女装などをして、この寮祭を通して僕は少し何か変われたような気がしました。
 これからの敬和生活のスタートのために、面倒くさい事もやるなど自分に負けないように頑張りたいし、同じ失敗を繰り返さないように、もうスタートした3年間の敬和生活を頑張っていきたいです。
 
 
 

 
「カレーパンのルミナ」U.R(みぎわ館1年 新潟県阿賀野市)
 入寮して2週間、寮祭の練習が始まった。「一体、何をするのかな?」と思っていた。初日、2年生の先輩たちが去年演じた劇を見せてくれた。恥ずかしいと思った。私たちも劇をすることになったが、人前で演じるなんて小学校5年生以来だったので、考えただけでも緊張した。
 実際に練習が始まり、私はカレーパンの役だった。セリフの読み合わせをした時、本当に私が言いそうな言葉がセリフになっていて、台本に共感出来たし、一人一人の自己紹介が劇の中にあったが、「その自己紹介もいいな!」と思った。特に、「みんな、おつかれ~!」と言って、私の自己紹介が始まる所で、みんなも「おつかれ!」と返してくれるところがすごく好き。自己紹介の決めポーズも一人一人あって、私のポーズは私がアドリブでやってみたら、先輩たちが「いいねぇ!」と言ってくれ、それが採用になった。カレーパンのルミナポーズの決定だ。
 ダンスの練習もあり、それは難しかった。踊りながらジャンプしながら歌うシーンは、笑顔で大きな声で歌えるようにみんなで何度も練習して頑張った。10日間、毎日みんなで集まって、いっぱい練習した。
 4月27日、いよいよ本番。スポットライトの熱い光を浴びて、たくさんの拍手をもらって、成功したんだと嬉しかった。
 10日間、毎日練習があって、最初は「大変だなぁ」と思ったけど、やっていくうちに練習もみんなで集まることも楽しかった。恥ずかしいと思った出し物も、みんなでやれば何も恥ずかしくなかった。みんなが一緒だったからだと思う。やってよかった。この練習のおかげで、私はみんなを好きになった。みぎわ館で過ごせることを嬉しいと思った。
 
 
 
 

 
「大成功だった寮祭」H.H(大望館2年 新潟県三条市)
 今年から2年生になり、後輩が出来ました。中学の頃は、後輩とはそんなに関わらなかったため、先輩というものにはそんなに慣れておらず、距離感もよくわかりませんでした。
 1年生が入って来てすぐ寮祭の話が出てきました。1年生は、1年で一番緊張すると思われる行事。1年生は、盛り上げるために何をすればいいのか、考えてしまう行事です。
  大望館は、毎年一発ギャグとダンスをやっています。例年通り、「今年もやろう!」という話になりました。ダンスはAくんを中心に上手くいっていました。そんな中、一発ギャグには悩まされました。今年は昨年度と人数が違うということもあり、ネタの時間を出来るだけ長くするなど考えなければいけないことが多かったのです。2年生も面白い一発ギャグが多く思い付くこともなく、数人が未完成のまま1回目リハーサルを迎えてしまいました。リハーサルでは、「ネタが見づらい、聞きづらい」など言われてしまいました。
  私たちは、本番直前にして数名のネタを変えるという決断をしてしまいました。時間が無い中でネタを変えるという事で1年生に不安感やストレスを与えてしまいました。その後、友達のKくんに「だから初めから否定するのは、やめろって言っただろう。」と言われてしまいました。焦っていた私にも考えはありました。しかし、それは1年生を不安にさせてしまうようなものでした。Kくんと話し合い、私は冷静になることが出来ました。
 本番当日、ネタを変え不安で緊張する1年生に私は寄り添うことしか出来ませんでした。大望館の発表が始まり、私はステージ裏側に行きました。そこには、緊張する1年生の顔がありました。一人ずつ一発ギャグが始まり、帰ってきた顔はやりきった顔をしていました。そして、一番苦労をかけてしまった1年生の番になりました。私も緊張してしまい、その時の事は覚えていません。ですが終わった時、その子はやりきった顔をして帰ってきてくれました。
 大望館はダンスも一発ギャグも成功し、一番面白かったと思っています。大望館の発表を成功に導いてくれた1年生には、感謝しかありません。そして、1年生みんなに不安を与えてしまったことが今回の反省点だと後悔しています。今後も行事など頑張って、今までの反省を繰り返さないように楽しく生活していきたいです。
 
 
 

 
「15分間のミュージカル」I.Y  (めぐみ館2年 新潟県魚沼市 )
 私は今年の寮祭で色々なことを考えさせられました。
 私はミュージカルをした経験があったので、演技指導としてみんなをまとめていました。しかし、他の人が自分の仕事である演技指導をして、なかなか進められず、モヤモヤしていたことが何度もありました。
 初めてのリハーサルでは、台本の内容ごと指摘をされました。それから毎日、2年生で夜中までミーティング。時間もない中、追い込まれるばかりでした。
 それでも、私たち2年生は良い寮祭にしたくて、ぶつかり合いながらも一つひとつの問題をつぶし、「行ける!」と思った最後のリハーサル。それでもたくさん指摘され、寮祭前日だというのに、ついにみんな爆発。1年生の前で言い合いが起こってしまいました。それからよく考え、私たちはどうしたら1年生が楽しんでくれるのか、ようやく気が付くことが出来ました。
 みんなでよく考え練習し、ついに本番となりました。心配な気持ち、応援する気持ち、一緒に頑張りたい気持ちでこっそりみんなを見ていました。本番、あんなに1年生が緊張し不安でいたのに、不安を吹き飛ばす勢いで舞台に立ち、活き活きして可愛くて、すごく感動しました。
 こんな私たち2年生についてきてくれて、一生懸命頑張ってくれて、1年生には本当に感謝しています。今年の寮祭めぐみ館は15分間のミュージカルに向けてみんなで熱くなれました。ありがとうございました。
 
 
 
 
 教師からの一言
        光風館担任 澤野 恩 

 5月1日午前0時。光風館に残っている数名の生徒と新たな時代を迎えた。この時の瞬間を、生徒と共に過ごすことが出来たことは感慨深いものがある。
 平成の30年を振り返ると、戦争がなく平和であったが、災害の多い30年であったと言われる。大きな災害の度に上皇陛下が被災地に回り、被災された方々をねぎらう姿が印象深い。時として周囲の反対を押し切って回ったこともあるそうである。その姿に、大きな力を得ることが出来た人々が多くいたことと思う。
 作家遠藤周作の「イエスの生涯」に描かれているイエス像を思い出す。一部ヨーロッパのカトリック教会からは否定されているそうだが、そこに描かれているイエスは、奇跡を起こせないし、みなの期待にも応えられない。けれど、みなの苦しみを自身のこととして分かち合おうとし、弱い人に寄り添おうとした。ただただ側で一緒に泣いているイエスが描かれている。しかし、そこに神の愛に満ちたキリストを感じることが出来る。
 令和の新しい時代を迎えた今、世界に目を向けてみると、自国第一主義を訴える一人の指導者のつぶやきに、世界が翻弄される。人種、文化、宗教の違いを認め合えず、多くの尊い命が失われている。誰もが平和を求めているはずなのに、それとはほど遠い地域が存在する。
 こんな時代に、私たちには何が出来るのだろうか。残念ながら、私が被災地に行っても、被災された方々を強めるだけの人望は全くない。世界中で起こっている紛争を目の前にした時、全くの無力だ。
 しかし、いつも思いを寄せて祈ることは出来る。目の前にいる弱き存在に身を寄せることは出来る。何よりも、そのことをお預かりした大事な存在に伝えることが出来る。そのことが、平和をつかさどる第一歩であることを私は信じたい。
 
 
 
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