毎日の礼拝

校長のお話

2010/10/04

「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」 (イザヤ書2章4~5節)

9月の連休に北海道札幌の農業専門学校に通っている娘が久しぶりに帰ってきました。
新潟空港に迎えに行ったわたしに、これおみやげといって、どさっと渡してくれたものがあります。
自分で育てた男爵やメークイン、キタヒカリという種類のジャガイモ、かぼちゃ、ピーマン、にんじんなどでした。
それを札幌から抱えてきたのですから、相当力があることは間違いありません。もともと腕力は強かったのですが、農業専門学校での毎日の農作業によって、ますますパワーアップしたようです。

 
娘は敬和学園の35回生です。
口数は多くなく、人前ではそんなにしゃべりません。
自分から前に出て積極的に人を引っ張るというタイプではありません。
そういう娘が敬和学園にいた時に一番好きだった授業、それは労作でした。
黙々と体を動かす労作の時間、楽しくて仕方がなったといいます。
兵庫県の大学の社会学部に進学をしたのですが、一番やりたいことは農業だと、就職をしないで札幌の農業専門学校に入りなおしました。
今は寮生活をしていて、毎朝4時~5時の間に起きて、7時の朝ごはんまで2時間ほどの作業をしています。
卒業後は青年海外協力隊員として、発展途上国の農業指導員になりたいとの希望を持っています。
連休の間に農業についてあれこれ話してくれたのですが、その中で一番印象に残っているのが、今日の聖書にも出てきますが、鍬とカマの話です。

 
鍬というのはクワのことです。
農作業で土を耕したり、種をまいたりする際に、主に使うのはトラクターだそうですが、農作業の原点は機械ではなく、手作業の道具だということで、必ず毎日クワやカマを使うとのことです。
特にアフリカやアジアの発展途上国に行くことを考えて、クワやカマが自由に使えるようになる必要があるわけです。
クワというのは振りかぶって使うのですが、進む方向は前ではなく後ろです。その際に後ろにまっすぐ進んでいくためには、目の前に見える自分が耕したところをしっかり見つめなければなりません。
いい加減な見方をしていると、必ずゆがみます。
もう一つの道具カマですが、娘はカマにトラウマがあります。
それは敬和学園にいた2年生の修養会で出かけた先の農作業で、カマを使っていて自分の足をグさっと傷つけた体験があるからです。
そうしたこともあってカマを使うが得意ではなかったようですが、最近カマというのは安全な道具だということに気がついたというのです。
カマの基本的な使い方は向こう側から手前にひくように使います
それによって周囲の人には傷つけることはなく、修養会で自分の足を力を入れすぎて切ってしまったが、それはそれで間違いではなかったことに気がついたというのです。
農業専門学校に入った当初は、大好きな北海道で農業をしたいというのが希望でしたが、それが鍬やクワを使った農作業を毎日続ける中で、農業を通して平和にかかわりたいとの思いが湧いてきました。
そこで、青年海外協力隊の農業指導員になりたいと考えるようになりました。私は娘の話を聞いてなるほどと思いました。
今日の聖書の言葉通りだなあと思いました。

 
イザヤ書2章4,5節には2種類の道具が出てきます。
一つは剣と槍です。これは戦争をするための道具、人を殺すための道具です。もう一つは鍬と鎌です。
これは作物を作るための道具、いわば平和を作り出す道具です。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」と書かれていますが、この意味は剣を鋤に作り変える、槍をカマに作り変えることによって、戦争ではなく平和が作られるようになるということです。
剣を上手に使うためには、つまり人を殺す、相手をやっつけるためには、振りかぶった剣を前に振り下ろします。
そうしながら前に進んでいきます。
槍も同じように前へ前へと突きながら進み、相手を刺します。
それに対して、鋤と鎌は先ほどいいましたように、後ろに下がっていきます。聖書は私たちが平和に生きるためには、豊かに暮らすためには、手に剣ではなく鋤を、槍ではなく鎌をもたなければならないのです。
戦争が起こるときというのは、鋤が剣に打ち直される、鎌が槍に打ち直されるときでもあります。
第二次大戦中、政府は人々に、戦争に協力するために、家の中にあるなべやお釜といった金属や、鋳物で作られたお寺の鐘を差し出せと命令しました。
それを供出といいますが、それぞれの家庭で使われているおなべやフライパン、それにお寺さんが朝晩にゴーンゴーンと突く鐘を出さなければならないような状況になったら、そんなことをしなければならないほど、物に困っている国がそれこそ戦争に勝てるはずはないわけです。
しかし時の政府はそれをまじめに人々に命令したわけです。
そしてそんなバカなことが今は起こるはずがないと思う人がいるかもしれませんが、実際はそうではありません。

 
政府は鍬を剣とするようなこと、鎌をやりに変えるようなことを、今もしようとしているのです。
それも鍋やフライパンで武器を作るといったことより、はるかにスケール大きなやり方でしようとしています。
たとえば、ジュゴンが生息できるきれいな海である沖縄名護の反野古を軍用機の滑走路を作るために埋め立てようとしていますが、それはまさに鍬を剣にすることです。
3年生が修養会で広島に行きました。
コース別で岩国に行った人たちがいます。
岩国には米軍の基地があって、そのために周りの人たちはいつも戦闘機の爆音に悩まされ、いつ落ちるかわからない危険な中に生活させられています。
その基地はもともと畑や田んぼだったのです。
持ち主がいるにもかかわらず、その土地を軍隊の基地にしました。
これもまさに鎌を槍に作り変えることです。
修養会で広島に平和学習に行った3年生はかつて日本がすべてを剣と槍に変えた歴史を学んできました。
原爆によって被爆をされた何人もの方の証言を聴きました。
それによって戦争がそして核兵器を使うことがいかに愚かであり罪深いかを改めて知りました。
敬和学園で学ぶということは、そして労作の時間に農作業をするということは、剣を鍬とする、槍を鎌にすることの大切さを身をもって知ることです。
それでは今週一週間労作をはじめとする授業にしっかり取り組みましょう。