毎日の礼拝

校長のお話

2019/05/20

「その『適当』が難しい」(フィリピの信徒への手紙 4:6-7)

 「つらいこと」をなにもかも避けて生きていける人はいません。
それでも、「次はもっとうまくやろう」と何事もなかったかのように楽しげに毎日を過ごす人もいれば、「こんなのやってられないよ」と数日あるいはもっと長い期間、くよくよと「終わったこと」で頭がいっぱいになってしまう人もいます。
できれば、心が折れそうなことがあったとしても、そのイヤな気持ちを「引きずらず」前向きな気持ちに「切り替えて」過ごしたいものです。

 

 『「引きずらない」人の習慣』(西多昌規著、PHP研究所)という本の初めの部分です。
では、「引きずる人」と「引きずらない人」の違いはどこにあるのでしょうか。
人生は、うまくいかないことのほうが多いものです。
でも、その受け止め方は人によって大きな差があります。
ことあるごとに失敗を思い出し、いつまでも引きずっている人がいる一方、切り替えスピードが速く、引きずらない人もいます。
なぜひきずらないのでしょうか。 その理由のひとつは、引きずるヒマもないくらい、あるいはそんなことにこだわっていられないほど「忙しい」ことだというのです。
人は、ヒマになるといろいろなことを考えてしまうものです。
それも、考えるのはたいていの場合、悪いことばかりです。
時間に余裕ができると、過去の失敗や不運を思い出し、ふたたび落ち込むことがあります。しかしそうなると、失敗や不運の記憶がさらに脳へとインプットされていくため、悪いループに入ってしまうのです。
ちなみにこの本によれば、大切なのは、「自分の役割で忙しいこと」なのだそうです。
なんらかの問題に直面したときに、自分でしっかり行うことができれば、自分のためになっているという自信のようなものが生まれます。
自己効力感と言います。
もしも「自分の仕事」という意識ではなかったとしたら、なんのためにやっているのかわからず、忙しくても「自己効力感」は得られません。
さらに悪いことに「なんで自分ばかりがこんな仕事をさせられるのだろう」と考えてしまいがちになります。
こういったときにこそ「引きずりやすい」失敗を重ねやすく、不幸をも招きやすくなるのです。
また、人は他人の話を聞くよりも、自分のことをしゃべりたがるものですが、相手の話を聞くことは、よい人間関係を築くうえで大切なことです。
話の聞き方の違いでも引きずる人と引きずらない人の差が表れるのだといいます。
引きずらない人は、他人の話を充分に聞いていても、深読みしたり邪推したりしないのが特徴です。
話の重要性をうまく振り分けるのが上手だということです。
ただでさえ、人の話を聞くのはストレスのかかることです。
しかも、はじめから終わりまで集中して聞くとなると、非常に疲れてしまいます。
まじめな人は必要以上に、相手の言葉の裏を読んだり、深読みをしたり、邪推したりします。まじめな性格が災いし、あとになって「悪いことを聞いてしまった」などと、あれこれ分析したりしてしまうのです。
さらに「自分が無能だから」と自分を責めたり、「あの人がいるからこんなにつらいんだ」というようにほかの人のせいにするようになることもあります。
シンプルに情報を整理することが基本です。

 

 もう一つは「他人は自分の気持ちを察してくれるだろう」という考えです。
本の中では、この甘えが強い人は、「引きずりやすい人」だと分析しています。
たとえば、「これ、適当にやっておいて」といわれたり、あるいは人にいったりするようなことがありますが、この「適当」が厄介なのです。
なぜなら具体的な内容まで説明していないので、どうしてもずれが生じてしまうのです。私のいう“適当”の意味するところと、聞いた相手の“適当”の内容は同じではないのです。
また、自信たっぷりの思い込みや勝手な期待が裏切られると、ダメージもあとを引いてしまいます。
「こんなはずじゃないだろ!」と、がんばった相手に怒ってしまうこともあるかもしれません。

 

 フェスティバルに向けて連合活動が本格的に始まります。
自分の役割を忙しく果たし、人の話を素直に聞くことを基本にコミュニケーションを取っていく。これが引きずらずに行事を作り上げ、楽しんでいく奥義です。
もし、何かを引きずったとしてもそこにもあなたが成長できるチャンスがあります。
感謝をもって挑んでください。
そこには私たちの思いを超えた神の世界が広がるはずです。