のぞみ寮通信

のぞみ通信

2019/03/15

のぞみ通信 2019年3月6日 第243号

寮修了礼拝の様子

のぞみ寮修了特集
 寮修了礼拝より 修了生代表の言葉
 「辛くて楽しかった3年間」 S.S(光風館3年 福岡県)
 私が敬和に来た理由は幸せな高校生活が送りたかったからでした。中学3年生の秋、初めて前校長の小西先生とお話をした時、「幸せな高校生活を送りたいならここに来なさい」と言われ、その幸せな高校生活を期待して、寮生活での刺激に期待して私はここに来ました。しかし、それから私の期待とは真逆の高校生活が始まったのでした。
 理想と現実のギャップに悩まされ、様々な努力が徒労に終わり、不満やストレスを溜め込んでいき、徐々に私は他者との間に壁を作り、本気でぶつかることもせず、斜に構えて来ました。何のために敬和に、のぞみ寮に来たかも忘れ、堕落して行く自分に気付きながらも、なかなか素直になれず、心に抱えた矛盾に苦しめられていました。
 自分を気にかけてくれていた多くの存在があったのに、「どうして心を開けず、素直で居られなかったのか」と自分を責め、敬和で関わってくれた人たちに本当の自分を見せずに斜に構えてきたこと、親切心や優しさを無駄にしてきたことを申し訳なく思います。
 それでも私が寮生活を幸せなものとして終わりを迎えることが出来たのは、やはり共に3年間を過ごした49回生のみなさん、そして今ここに居る寮生一人ひとりのおかげです。のぞみ寮生との出会いが私を変えていきました。
 私は幾度となくこの雰囲気に馴染めず苦しみ、斜に構えて時に周囲を傷つけてきました。しかし、ある時は救われ、多くを学ぶことが出来ました。私が敬和に来る選択をしなければありえなかった、とても貴重な出会いです。今まで遠回りしたけど、みんなの存在がなかったらこの幸せに辿り着くことすら出来ませんでした。
3年間、共に生活をし、苦労もし、いろんな話し合いを重ね、衝突もありました。その事が私を成長させてくれました。敬和での3年間は、常に誰かが側にいました。一人になろうとしても、なかなかなれませんでした。そんな中、自然と互いに気を遣ったり、相手の事を思ったりする事が多くありました。
 私にとって寮とは、まさに人間性を鍛えるジムのようなものでした。様々な価値観を持った人と、ほとんどの時間を共に過ごさなければなりません。それは楽とは言いがたい事です。しかし、苦しい想いをするからこそ鍛えられます。
 ようやく今日、のぞみ寮というジムを出る事が出来ます。トレーニングをしていたのだからきつかったと思うのは当然の事です。しかし、もう一度自分自身を見つめ直すと、3年前とは比べ物にならないほどの自分の姿が見られるはずです。そして、このジムには素晴らしいトレーナーがいました。サボっているところを見逃さず、ラストスパートをかけさせてくれ、その時に寄り添ってくれるとても重要な存在でした。
 私達は、そんな素晴らしい空間で生活出来ていたのに、その素晴らしさに気付けず、不満に思ってしまいます。
 きっと、50・51回生のみなさん、そしてこれから入ってくる後輩も、寮生活に多くの不満や苦しみを感じることでしょう。でも、その生活こそが価値のある、意味のあるものだと信じる事が出来たら、幸せな高校生活に出会えるはずです。
 最後になりますが、3年間共に過ごした49回生のみなさん、こんな先輩でも慕ってくれた後輩、常に側にいて見守り、支えてくれた先生方、3年間食事を用意して下さった調理員の方々、様々なトラブルに対処して下さった用務員さん、そして敬和に通わせてくれ、寮に入れてくれた、お父さんお母さん。ありがとうございました。私達は本当に多くの方に支えてもらってきました、しかし、感謝の気持ちは言葉には出来ても、生き方で伝える事はなかなか出来ません。だから、、これからの人生をかけて、少しずつ形は様々でも、感謝を伝えていけたらと思います。
 私はそんな人生を歩んでいきたいと思います。
 
 
 
 

「みんな大好きダー!」 Y.M(みぎわ館3年 東京都)
  3年前の私は、いじめや人間関係が理由で、不登校になりました。人と関わるのが怖くなり、家で過ごすようになりました。当然、高校進学が危うくなり、どうしようかと悩んだ時、父が卒業した学校、敬和の事を思い出しました。父は私が幼い頃から、敬和の事を、本当に楽しそうに、いつも私に話して聞かせてくれていました。高校で出会った友達と、ずっと親交を深めているのも知っていました。うらやましいと思っていました。私もそんな楽しい毎日を送りたい。そんな友達が欲しい。今の生活を変えたい。そう願い、敬和に入学し、のぞみ寮で暮らす事を自分で決めました。しかし、人が怖い私が、初めて会う人たちと3年間も一緒に過ごすという状況に、大きな不安を抱えたまま、寮生活を始めることとなったのです。
  最初の1年は、わりとそつなく生活出来ていました。周りに気を遣いながら、黙って、与えられた役割をこなしていれば、そう困る事はありませんでした。しかし、そんな過ごし方をしていくうちに、いつしかストレスが溜まり、周りとどう関わっていいのか分からなくなり、突然、睡眠障害に悩まされるようになりました。夜に寝られず、朝は起きれない。睡眠不足のせいでイライラすることも多く、人格も変わってしまったかの様でした。
  私はたくさんの人達に迷惑をかけました。連日起きてこない私を、みぎわ館の皆や先生方は必死に起こしてくれるようになりました。最初、私はそれが本当に嫌で仕方なかった。人に迷惑をかけている事が申し訳なく、「起こしても起きないよね」と言われる度に、「もう放っといて欲しい」と本気で思っていました。通院しても、どんなに起きたくても起きられず、寝たくても寝られず、みんなに迷惑をかけ続ける自分がどんどん嫌になっていき、起こしてくれるみんなの事を疎ましく思い、余計に起きられなくなっていました。
  しかし、みぎわ館の皆はどんな私であっても、見捨てることはありませんでした。私が踏ん張って起きた日には、みんなはまるで自分の事のように喜んでくれました。私の失敗を、みんなが自分の事のようにフォローしてくれていました。起きても起きなくても、変わらず私と接してくれていました。私が出来なかったことを、知らない間に仲間が担ってくれていたことだって、幾度となくありました。それで責められることなど、一度もありませんでした。
  みんなとのそんな毎日に気が付いた時、こんな私でも大切にされている。心の底からそう感じられるようになっていきました。「そんな生活をするのなら、寮に置いておけないよ」と言われるほど、学校に行けなくなった時でさえも、それでも寮でみんなと一緒に生活を続けたいと願った、私の心も身体も助け、決して見放すことが無かったみぎわ館の皆、本当にありがとう。
  そして3年生の後半、気づけばみぎわ館は、しっかり、私の居場所になっていました。私は、皆の事が好きになり、自分の事も好きになっていました。こんな自分でも、必要とされている、と、実感出来るようになりました。人間不信だった私が、人を知るため、誰かを助けるために、心理学を学ぶ大学へ進学することを決めたのも、みぎわ館で過ごし、みんなとの毎日があったからです。ありがとう。
 私はのぞみ寮生活の3年間で、みんなからたくさん許され、愛されました。敬和に入学し、みんなと出会え、心から幸せです。今この場に立っても、卒業がまだ信じられません。この3年間、いつも、当たり前のように、隣にいてくれていたみんなとの生活に、終わりの時が来てしまいました。まだみんなと一緒に、ここで生活したい気持ちでいっぱいです。
  49回生のみんな、今まで私と関わり、助けてくれて、本当にありがとうございました。私はこれから、どんなことでも乗り越えていける自信があります。それは皆が私を受け入れ、支え、許し、大切にしてくれたからです。みんなとの出会いが、私の未来を生きる確かな力となっています。
  後輩のみなさん、短い間だったけど一緒に生活出来たこと、感謝します。みなさんの周りにもあなたを大切に思ってくれる仲間が、あなたのそばにたくさんいます。そのことに早く気づき、自分も仲間も、もっともっと好きになっていってください。そして、寮生活は長いようであっという間です。仲間と共に、目いっぱい楽しんで下さい。皆に、ここで一生ものの出会いが、たくさん与えられますようにと、祈っています。
  保護者の皆様、今日この時まで、私たちを支え続けてくださり、ありがとうございました。家族と離れて過ごす寂しさはあったけど、でも私たちは、のぞみ寮でこんな素敵なたくさんの仲間たちと出会うことが出来ました。私たちを寮に送ってくれて、ありがとうございました。ここでの3年間を与えてくださったこと、いつも祈ってくださっていた事に心より感謝致します。
  そしてお父さん、「Mに一人でも友達と呼べる存在が出来ればな」と、いつも言っていたよね。私はずっと、「いないよ」と答え続けていたように思います。でも、本当は、私には、こんなにたくさんの仲間がいました。今は、「もちろん、いるよ、たくさん」。そう答えることが出来ます。
  私たち49回生を覚え、祈り、支え、関わってくださったたくさんの方々、この3年間、本当にありがとうございました。
 
 
 
 
 
保護者代表の言葉 S.Sさん
 49回生寮生の保護者としてお礼を申し上げたいと思います。のぞみ寮の3年生、寮修了おめでとうございます。明日は卒業式ですね。もう高校生活も終わりか……と思うと寂しい気持ちですが、3年間で心も体も大きく成長したことでしょう。中学卒業後、親元を離れ、学校と寮生活で大変なこともあったと思いますが、この日を迎えられ、さぞ嬉しいことでしょう。
 そして寮の先生方、子供たちにたくさんの愛情を注ぎ、育んで下さりありがとうございます。どんな時も親身になって接してくださり、本当に感謝してます。思春期ですので親だったらうまくいく事が進まないであろうことも、先生だからこそできた先生パワーがきっとあったはずです。特に私は、パワーを感じましたし、成長させていただいたと、確信しております。ありがとうございました。
 ここからは、息子の波乱万丈話になります。息子は、親の願うようにすんなり行かない子です。中学1年生で学校が嫌になり、本人が一番辛かったと思いますが、本当に大変でした。「なんで普通に事が進まないのか」。葛藤の日々でした。このまま家にいたらニートになってしまうと模索していた時、敬和学園を教えて頂き、道が開けました。オープンスクール、敬和の会で前任の小西校長先生が任せてくれれば何とかなるとおっしゃってくださり、私は敬和に行かせたい一心でした。しかし寮が嫌でずっと拒んでいました。1月の入試は、二人で新潟へ来たもののホテルから出ず、小雪の降る中帰りました。
 もうこれを逃したら行くところがない2月の入試には、単身赴任の父親の代わりに義理の妹が心配し付き添ってくれたのでした。
 面接では、「ここに行きたいかわからない」と小声で言ってしまうし、下を向いた長い面接でした。
 そんな息子なので入寮できるか心配でした。出発ギリギリまで嫌がっており「とりあえず、一週間やってみろ!」と、父親との約束で新潟へ向かいました。
今でも思い出すと涙が出てしまうのですが、澤野先生が入寮当日「よく来たね~」と大きく手を広げて出迎えてくださいました。息子の顔にやっと笑みが浮かんだとき、私は涙が出ました。その後も心配は尽きませんでした。いつ「帰りたい」と言ってくるかヒヤヒヤでしたが、なんとか先生方、お友達に支えられ過ごすことができました。
寮生の3年間は通学生とはまた違う高校生活の思い出がたくさんあると思います。寝食共に過ごすのですから、色々あった事でしょう。寮生活だからこそできた事、身についた事もあると思います。お友達が我が家に泊まりに来た時、シャワー1つしかないお風呂に、男子2人が楽しそうに入っているので、普通のことなんだなーと変な感心を覚えました。
 息子は、寮生活に慣れてきた2年生ごろからとても活発になり、生き生きとしていました。中学時代にできなかった青春を取り戻すかのようでした。その時、その時で多くの方に導いていただき今があるのです。
 敬和に来て頂いたことの一つは、たくさんの愛情です。そしてもう一つは、かけがえのないお友達です。なんでも言い合える親友がたくさん出来ました。息子を支えて下さりありがとう!
 最後に、ここで出会えた寮生は学年を越えて一生の友達になると思います。出会いに感謝し、それぞれの道で輝けることを祈っています。
 
 
 
 

ラストメッセージより
「神様の時間軸の中で」 H.R (光風館3年 大阪府)
  いよいよ敬和での高校生活が終わろうとしています。高校3年間は長く感じますか?それとも短く感じますか?敬和に入学した頃、3年間は長いような気がしたけど、この冬休み、実家に帰った時には家族みんなに「3年間ってあっという間やったなあ」と言われました。
  最後の礼拝メッセージに「時間」について話したいと思います。人間には1秒、1分、1週間、1日や1年という時間の感覚があります。聖書にも時間の表現はたくさん使われています。例えば、創世記のはじめには「天の大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節のしるし、日と年のしるしとなれ」とあり、日や年が区別されています。また、神様は一日ずつを創造され、7日目に完成されたという有名な箇所があります。このように神様も日や年を大切にされていています。僕たち3年生は、この敬和での3年間という時間を大切に出来ていたでしょうか。また、聖書には「これは主が設けられた日である。この日を喜び楽しもう」ともあります。実際、学校生活の中で楽しい日もあれば、最悪な日もあります。フェスみたいに楽しい行事もあれば、先生に叱られた日もありました。
  僕の地元の知り合いで「毎日、神様が良くしてくださったことを書き留めている」という人がいました。「毎日毎日良いことなんて起こらへんわ!」という人もいるかもしれませんが、例えば、「おいしい食事を今日も友愛館で食べられた。友だちとこんな話をした。きれいな夕日に向かって走った」でいいと思います。「こんな小さなこと?」と思われるようなことで言いそうです。実際、僕は書き留めるなんてめんどくさそうでやってはいませんが、文句や不平不満を並べて生きるよりも、小さなことと思えるようなことに日々感謝の気持ちを持てるって素晴らしいなと思いました。しかし、時間を変に意識しすぎると、急ぎすぎて失うことがあります。特に、何でもすぐに出来ることがいい。今の世の中では特にそうです。何でもかんでもすぐに結論を出そうとしてしまいます。
  神様は、全ての人の人生に大きな計画を持っています。永遠である神様の時間軸の中では、いろんなタイミングでそれが起こります。時に、耐えながら待つ時間も僕たちには必要です。そのことを信じ、今与えられたこの敬和での時間を大切にしてほしいと思います。
  最後に、僕が大阪から遠く離れたこの高校に入学したことも、光風館で過ごした日々も、またこの高校を卒業することも、神様の偉大な計画の一つだと今なら言えます。毎日変わらず、寮には先生と友だちがいて、毎日どんな時も調理員さんが食事を用意してくれた。そんな敬和での3年間に心から感謝しています。
 
 
 
 
 

「感謝」 H.M(めぐみ館3年 新潟市)
 私は1年生の夏に途中入寮してこのめぐみ館に来ました。理由はただ単に片道2時間の通学がつらくなったからです。楽しい寮ではありましたが、生活していくうちにある悩みが出てきました。それは自分自身のことについてです。まず、なぜか他人がいると緊張してしまい、どうしても気が張ってしまいました。気を張っていると、とてもエネルギーを使うので体力のない私はとても大変でした。その上、緊張により、寝付けなくなったので疲れが取れず、なんで寝付けないんだ、どうしたら緊張しなくてすむんだとイライラしてました。どうしたらいいかわからず、とりあえずいろいろ試しましたが、結局不眠は薬に頼るしかなくなりました。
  また、寮では人と話す機会が多いので、自分が人と話すことがあまり上手くないということをすごく感じました。話す話題が出てこないし、会話を繋げることができませんでした。「あれ、私ってどうやって人と会話してたっけ?」そう考えた途端に、もうだめでした。
  人と会話することがどんどんわからなくなっていきました。すんなり言葉が出てくるときはいいのですが、言葉が出ないときは相手に対して申し訳なくなりました。そうして私はあまり自分から話すことがなくなりました。ずっとずっと自分自身の至らなさに焦っていました。どうにかしないといけないのにどうしたらいいかわかりませんでした。そして正直、今でも自分から話すことはあまりできません。
  結局私はこの3年間で自分自身のことをよく考えることはできたけど、あまり成長はできなかったのです。だから寮にいるのがしんどかったです。
  しかし私は寮をやめることを考えたことはありませんでした。なぜかというと、めぐみ館の皆の優しさと支えがあったからだと思います。未帰寮のときに電話してくれたり、寮にもどったら「おかえり」といってくれたり、話しかけてくれたり、手紙をくれたり……。今まで恥ずかしくて言えなかったけど、それらのことが私にとって本当に嬉しいことだったのです。皆がいなかったら私はここにいなかったでしょう。自分の会話の下手さに嫌気がさし、申し訳ないと思いながらも、皆と会話することがすごく楽しかったです。自分から話しかけなかったせいであまり話さなかった人もいたことを後悔しています。
  皆さんの優しさや支えは本当に偉大です。私はめんどくさい女だったと思うけど一緒に話してくれてうれしかったし、一緒に居ることができてよかったです。皆には本当に感謝でいっぱいです。今までありがとうございました。

めぐみ館3年生