のぞみ寮通信

のぞみ通信

2019/01/29

のぞみ通信 2019年1月26日 第242号

「君の人生に不可能の文字はない」
寮長 東 晴也

 昨年末からよく聞く言葉に「平成最後の……」という言葉があります。「平成」という時代を振り返ってみると、ある意味で「平和」な時代だったと思います。日本の軍人によって外国人が一人も殺されなかった時代です。その意味で特別の時代でした。
 先月、天皇の誕生日に先立って記者会見がありました。その中で、何度も声を詰まらせながら、平和への思い、沖縄や自然災害による被災者への思いを語られていました。
0082_02 特に私の心に残った所は、「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を求めながらその努めを行い、今日まで過ごしてきました」と「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」です。それは、実父である昭和天皇が大元帥(最高指揮官)として米英に宣戦した太平洋戦争のような日本史上最悪な出来事を2度と起こしてはならないという強い願いを、憲法にある「国政に関する権能を有さない」天皇の立場の範囲内で、可能な限り強い平和的メッセージを語ろうとされたんだと、私は思いました。
 平成という時代がこのような時代だったのは何故か?それは戦争放棄を掲げる日本国憲法があったからに他なりません。しかし、今の日本は残念ながら、戦争放棄を放棄し、再びあのような戦争の出来る国家になりつつあります。今、私たちには、「日本の国家のあり方」と「その理想の実現のためにどんな努力をするか」が問われています。
 昨年の世界の出来事で私が一番印象的だったことは、アメリカが「悪の枢軸」と名指し批判してきた北朝鮮のトップとアメリカ大統領が握手した瞬間でした。私のこれまでの人生の常識が覆された瞬間でした。こんなことが本当にあるんだ!と。そして「人間のあゆみに不可能という文字はない」とさえ思えた瞬間でした。
 私はこの出来事こそ、みなさんの人生に適応してほしい。あなたの人生に不可能の文字はありません!今は、ありえないことが起こる時代です。今年もそうなるような予感がしてなりません。
 そんな時代に、私たちはどう生きるか?。のぞみ寮生の心の習慣は、「自主(自分から進んで積極的に行動すること)、自立(自分のことは自分ですること)、自制(自分がされて嫌なことは、人にもしないこと)、思いやり(自分がしてほしいと思うことを、人にもすること)」です。これらの心の習慣は、どんなに学校で勉強しても身につきません。実際に自分が生きて、他者と交わって、はじめて分かるものです。
 この一年、この習慣を身につけましょう。この心の習慣を身につけた人は、敬和学園卒業後、どこへ行っても必要とされ、愛される人になります。(開寮礼拝より)
 
 
 
< 寮生リレー >

寮クリスマス
クリスマス会スピーチ
 「敬和での変化」       O.S(光風館3年 千葉県)
 僕は敬和学園に入学して早くも1年半が経ちました。この中に知っている人もいると思いますが、僕は昨年4月に転校生として敬和学園に来ました。今回、僕が敬和学園で感じたことと、自分自身の変化について話したいと思います。
 最初ここに来た時、僕は嫌で嫌で仕方ありませんでした。友達をイジってしまうことで人間関係はうまくいかず注意されて、自分自身もトゲトゲしていて、担任の先生ともいつもケンカばかりしていました。その時はそんな自分が嫌いだったし、ここに来たことをとても後悔していました。時には、学校をやめたいと思ったこともありました。誰にも相談出来ずにひとりで悩んでいました。
 そんな僕はいつの間にか「どうしてこうなってしまっているのだろうか?」と真剣に考え始めました。「なぜ自分はこうなんだ……。なぜ自分は敬和に来たのだろうか?また学校を変えなくちゃいけないのか?このまま担任の先生と和解しないまま、卒業してしまうのだろうか」このようなことをずっと考えていた僕の目には知らずに涙が流れていました。しかし、そんな弱い自分は誰にも見せたくありませんでした。
0126_no02 ある時、学校で担任の先生から呼ばれ、手伝いを頼まれました。今だから言えるけど、あの時は本当に先生が嫌いだったから、話したくありませんでした。手伝いなんて面倒くさいと思っていました。そしたら、急に先生は「人と人との関係に口を出すな」と叱ってきました。急に言われてビックリしたし、思い当たらなかった自分は「俺、何かしましたか?」と聞いたら「自分の胸に手を当てて考えてみな」と言われました。正直、「こいつ、何を言ってるんだ」と思ってしまいました。しかし、それからその言葉の意味についてずっと考えました。でも、答えが見つからないし、何も教えてくれないし、ヒントがなくて本当に困っていました。
 ふと気が付けば自分の机でペンを持って、自分の良いところ・悪いところを紙に書いていました。それでも何も答えが出ませんでした。そして気が付けば、なぜか涙が出ていました。答えが出なかったことが悔しかったのか、そんな自分が情けなかったのか、全くわかりませんでした。今でもなぜ涙が出たのか、正直わかりません。その時は訳がわからなかったので紙をクシャクシャにして捨て、いろいろ考え込んでも仕方ないから、ありのままの自分のことを受け入れようと思いました。
 それで先生からの言葉を思い出して、どうしたら注意されないか考え、人をイジることをやめようと思いました。そうしたら注意されることも無くなり、友達のことも受け入れることが出来るようになっていました。
 人って考え方も捉え方も違う。そこで人を受け入れることも出来たし、友達になったらその関係を続けたらいい。もし合わないと思った人なら違うやり方で接してみる。それでダメなら今は距離を置く。またいずれ関わる時が来る。これが僕なりの答えです。人それぞれだということを先生は伝えたかったのだと思います。
 敬和学園にはいろんな人がいます。自分と合わない人とでも上手に付き合っていかなければいけないということ、人間関係の難しさを学ぶことが出来ました。今では、自分のことを大事にしているし、周りの人のことも大事にしています。その人と真剣に向き合うことも出来ています。後輩から相談されることによって慕われる喜びも経験することが出来ました。今後は敬和学園での経験を活かし、いろんな人と関わり、しっかりと歩んでいきたいと思います。
 
 
 
「感謝できたなら」        O.M(めぐみ館3年 長野県)
 敬和での生活は私にとって重要で、高校3年間をここで過ごせて良かったと思える、そんな3年間になりそうです。
 ではまず、私がどんな感じだったかお話します。私は明るくて、何でもできて、素敵な仲間に囲まれている敬和の先輩に憧れて入学を決めました。憧れや目標を持った私は、そうなれるよう努力すべきでした。しかし思いとは裏腹に、なんともうまくいかず、敬和や新たな生活をする自分に期待していた分、実際の状態と心の中の何かこう頑張りたいとか、こうなりたいという思いとの間に大きなギャップを感じ、自分は一体どうしたいのかわからなくなりました。だから勉強、部活、委員会、友達、恋人と素敵なものに満ち溢れている皆さんのほうが私の目には「すごいな」と映っていました。また、こんなことに悩んでいる自分にも嫌気がさしていました。でも敬和1年目をそれなりに過ごしていましたが、2年生の始まりから、体調を悪くし、友人関係もなんだか上手くいかなくて、なんとも暗い生活が始まりました。
0126_no01 私は敬和が最初から嫌だったわけではなく、なんか来てみたらこんな風に悪い方向へと向かっていってしまいました。そして3年生になり私は「変わったね」とよく言われます。主に先生方からですが、私的には本来の「私」の素が出ているだけの感覚です。でも「変わった」のは事実です。
  何が私を変えたか。それは「変わろう」と思うこと、「許す」こと、「気づく」こと、そして「めぐみ館」という存在です。
 最も良くないのは自分を大事だと思わなくなることです。私は自ら生んだギャップで「私なんかダメだ。何をするにもふさわしい人間に値しない」と思っていました。でも皆さんどうでしょう。周りの人からしたら「あの人が悩んでいる、この人が悩んでいる」というだけ。悩んでいる人間の力になり、手を差し伸べても、その手をとって立ち上がるかどうか、は自分しだいではないでしょうか。単純に毎日くらい顔してめぐみの皆の中にいることが私自身すごくいやなことでした。
 許すこと。それは、自分を価値のない人間だと思っていた私を許すことです。以前の私は、自分を許すためには価値ある人間にならなければいけませんでした。そうではないことに気づかせてくれたのがめぐみの皆、特に3年生のおかげでした。たくさん話してくれて、共感してくれて、私の存在を私に気づかせてくれました。私は許されていると感じると、今まで自分のことしか見えていなかったのが、皆のことも見れるようになって、一人ひとりのいろんな面に気づき、今日までのめぐみでの生活がとても楽しいし、逆に私が友達の力になれたときは、私なんかが役に立ててうれしいのです。

礼拝講師 宮澤アマリアさん

  変わりたいと思ったら、そこには私を受け入れてくれる仲間がいて、そう気づかせてくれたのがめぐみの皆で、自分が受け取ったことを相手にも与えることができた。だから私にとってめぐみの皆の存在は、本当に大事です。
 これらの体験から、私は「変わろう」と思うこと、「許すこと」、「気づくこと」、そして「めぐみ館」の存在が私を変えたと思うのです。
 少し前まで、悩んでいた自分の心境をあの時のまま思い出すのは、大変でした。環境が変われば、全て過去になるけど、きっと今後の自分の支えになることを私は確信しています。
 何かを乗り越えることが大事なのは、そこから成長することができるからで、そこで自分が向き合った悩みとかが今の自分を成長させたということに気づくことで、より成長できると思います。でも一人では絶対にできないことで、ここで話している私は別に何もすごくないし、悩んでいるときに「ああ、私は成長しているんだぁ」とか思うわけありません。こういうことに気づくのは本当に後になってからだと思うから、とても小さなことでも自分の成長に気づけたり、誰かに感謝できたら、敬和での生活に意味があったと思えるのではないかなと思います。
 
 
 

礼拝委員の活動から
「誰かの役に立ちたい」           Y.C(めぐみ館2年 上越市)
 今年の寮クリスマス、私は礼拝委員としての仕事を務めました。寮クリスマスに向けて、私たち礼拝委員会はたくさん話し合い、準備をしてきました。例えば、讃美歌の練習だったり、プログラム作成や表紙の絵を描いたり、聖書箇所や招詞の箇所を決めたり、献金先を選んだりと、本当にたくさんの仕事をしました。今思うと、あっという間。しかし、当時の私にとって、それは時には荷が重く、話し合いに行くことすら億劫に感じる時さえありました。
0126_no05  しかし、そんな時でも私は人に助けられました。讃美歌の練習という、私にとって不慣れなことをしても、いつもどこかで声を掛けてくれる人がいて、みんなが礼拝を大事にしている気持ちを一つ一つの出来事で知りました。礼拝委員会との関わりもその一つです。クリスマス礼拝という大切な時間をどう作り上げて、どのようにしていきたいかを仲間と話す時間は、私を元気にしてくれました。
  敬和学園のぞみ寮で過ごせる時間は、私にはあと一年とちょっとしかありません。今の私に出来ることは、一日を大切にして仲間との関わりを大切にすることです。そんな中、礼拝という時間でお話を聴き、仲間と向き合うこと。どこに行っても誰かがいて、どこにいても誰かの声がする。その誰かのためにちょっとでも役に立てたのかなあとぼんやりと思います。寮クリスマスという行事で、礼拝を見つめ直す時間を神様から与えられたのだと感じています。
 
 
 
 「讃美の歌声を聴きながら」            T.Y(めぐみ館2年 長野県) 
 私は、のぞみ寮クリスマス礼拝で奏楽をやらせていただきました。光風館生有志によるトーンチャイムの演奏から始まった礼拝。光風館生のトーンチャイムの音色がとてもきれいで、次に演奏する私は、緊張が高まっていきました。いざオルガンを弾くと、のぞみ寮生の賛美の声が重なり合って、演奏しながらとても幸せな気持ちであふれました。
0126_no06  クリスマス礼拝の準備をしていて感じたことがあります。世代交代をして50回生が中心となりのぞみ寮の委員会活動をスタートして3か月。礼拝委員として活動している私は、礼拝委員をしながら、50回生が中心となって行う礼拝がどうあるべきか考える時間を与えられました。
  過去に私は、「幸せとは何か?」とめぐみ館の礼拝でお話をしたことがあります。「今みなさんの心の中で思っている幸せとは何ですか?」と皆に問いました。「私の一番の幸せは神様と一緒に礼拝をすることです」とお話をしました。神様は、一人ひとりの側にいてくださるということ、神様はいつでも側で見守ってくださると、伝えたかったのです。
  クリスマス礼拝の奏楽を通して、イエス様のお誕生を祝福するクリスマスをみんなと祝える喜びを感じています。仲間と共に祈ることが出来る幸せを考えながら、礼拝委員としての仕事を心込めて一生懸命にやっていきたいと思ったクリスマスの時でした。
 
 
 
 
 「言葉を交わすこと」         I.S  (みぎわ館1年 弥彦村)
0126_no03 寮クリスマスは、私たち1年生にとって、大きな試練でした。たった一週間という少ない時間の中、テスト明けの疲れも感じながら、それでも今振り返ると、みんなと一緒に飾りつけを作り上げていくことは、私にとって楽しかったです。
 みんなで一緒に頑張ろうと始めた飾りつけの作業ですが、疲れていくと不満が出てくるようになりました。解決しようと思えば思うほど、51回生の仲に亀裂が入ってしまい、作業している間に愚痴をこぼすこともありました。ですが、最後は自分たちの飾りつけは良い物になったと、胸を張って言える物が完成したことは、私たちにとって良い思い出の一つになりました。
 どうやって亀裂を直すことができたのか。それはミーティングでした。4時間にわたるミーティングは、私にとっては短く感じました。「こうしよう」と相手に自分の意見を押し付けるのではない、和解するためにはたっぷり時間をかけて話し合うことが大切だということに気づきました。
 あらためて振り返ってみて、1年生とたくさん言葉を交わすことで、私は器用ではないけれど、他のみんなが案を出してくれて、自分達の特技を発揮し合えた一週間になったと思っています。
 
 
 

教師からの一言
「だから、今の自分がいる」        片岡 自由(光風館担任)
  のぞみ寮のクリスマス行事は、キャロリングから始まり、アドベントクランツ作りや各館クリスマスが行われ、どんどん盛り上がっていきます。その中でも寮クリスマスは寮祭と同じくらい寮全体にエネルギーが溢れます。
  しかし、1年生にとっては大きな課題が見えてくる行事でもあります。毎年、こんな声が聞こえてきます。「いくら言っても手伝ってくれない。」飾りつけ作りをリードする副ブロック長が困りながら相談してきます。そんな時に「もしかして絵描くことが苦手で何をしていいのか、わからないんじゃないの?それならこの紙をこの形に切ってとお願いしてみたら?」とアドバイスすると、乗り気じゃなかった寮生も徐々に手伝い始め、最終的には学年全員で分担しながら、完成に近付けていきます。この時こそ、寮生がグッと成長する瞬間です。他者に気持ちを伝えることの難しさを感じ、学年の団結力が試される。そして、他者を理解し、完成へ向かおうとする、ひたむきな姿に感動します。
  また、2年生は委員会が引き継がれてから初めての大きな寮行事のため、多くの役割を担うことになります。プログラムを楽しむだけではなく、話し合いを重ねて企画・運営することの難しさを経験します。そこには責任も伴ってくるため、本番が近付くにつれて緊張感も高まってきます。本番で成功しても失敗しても、寮生の表情は明るく頼もしくなり、次の活躍が待ち遠しくなります。
  冬休みが終わると3年生と過ごす時間は残り僅かとなり、各館礼拝ではラストメッセージが語られます。ただの想い出話ではなく、自分の経験談を語ってくれます。「この仲間だったから、ここまで歩んでくることが出来た。3年間で多くの出会いが与えられ、苦しい時、悩んだ時に仲間がいてくれた。だから、今の自分がいる。」その言葉は、私たちの心をグッと熱くしてくれます。
 これまでの歩みを祈り、お支え下さったこと、保護者のみなさまに感謝します。ありがとうございました。そして、いつも共にいて、ここまで守り導いてくれた神様にも感謝します。