毎日の礼拝

校長のお話

2018/12/21

「私の名前」(マタイによる福音書 1章18~25節)

授業で新約聖書を担当した時に提出や発表はしませんが必ず出す宿題があります。

それは皆さんの名前の由来です。

どなたがつけてくれましたか。あなたの名前にはどんな意味がありますか。保護者の方にきいてください。という宿題です。

提出も発表も求めていないのですが、多くの生徒が由来を教えてくれます。

聖書の言葉に由来のある人、お父様が大好きだったアイドルと同じ名前の人、御坊様につけてもらった人、映画や小説から取った人など本当にいろいろです。

 

皆さんは誰かに名前をつけてもらって今のお名前があります。

反対に名前を付けた経験はありますか。それはいつのことでしたか。

私の最も古い記憶はたぶん4歳くらいだと思われますが、白い犬のぬいぐるみに「しろちゃん」とつけました。

そのころの私にとってしろちゃんはとても大切なおともだちでした。

しろちゃんは私の言葉だけでなく気持ちも理解してくれていましたし、どこに行くのも一緒でした。

寝るときも泥んこ遊びも一緒でしたのでその人形は黒ずんで汚れていましたが、私にとっては大切な大切なしろちゃんでした。

 

聖書にも名前を付ける場面が出てきます。

誕生告知のなかで ヨセフは「生まれる子をイエスと名づけなさい」という命令を受けます。24節にわざわざ「その子を イエスと名づけた」とも記され、生まれた子がイエスと名づけられたことが強調されています。

21節には「この子は 自分の民を罪から救うからである」と名付けの意味が説明されています。

イエスという名は、旧約聖書に登場するモーセの後継者、ヨシュアのギリシア語訳です。ヨシュアは イスラエルの民を約束の地に導き入れた人ですが、イエスはさらに人々を神の国まさに約束の国「救い」に導く方だとマタイは考えたのです。

イエスとは「自分の民を救う」という意味があります。

さらに「彼はインマルエルと呼ばれる」と記され、「神は我々と共におられる」と解説してくれています。

古代イスラエルにおいて名前を付けるということは大切な意味があると考えられていました。

名前を付けるということはその人の人生に責任を持つとか見守るとか保障するという意味を持つのだというのです。

ですから自分の子ではない生まれてくる子にイエスと名付けたという記述はイエスの育ての親となるのだというヨセフの決意を表してもいます。

名付けには決意があるというのは現代も同じです。

皆さんに名前を付けてくれた人は皆さんの成長を助け、見守り、支える決意のもとに名前を付けたはずなのです。

4歳の私も大切な存在としてぬいぐるみに名前を付けました。

 

カトリックをはじめとするキリスト教のいくつかの宗派では洗礼名(クリスチャンネーム)をつけるところがあります。

洗礼と一緒に洗礼名も付けるのですが、そこに立ち会う人のことをゴッドファーザーとかゴッドマザーと呼びます。

信仰生活を助け、導くのが役目です。

 

いい加減などうでもいい存在に名前は付けません。

皆さんの名前には願いが込められています。

名付けには決意が込められています。

あなたは大切な存在として名前を付けてもらったのです。

まっさらの命としてこの世に生まれた皆さんは名前をいただき、その名前で呼ばれ続けていくうちにその名前に込められた願いにふさわしく育っていくのです。

 

自分の名前の由来を知らない人はぜひ休み中に教えてもらってください。

そこに込められた願いを知ってください。

そして自分をどれほど楽しみに喜んで待っていてくれた人がいるのかを確かめてください。

神様はかけがえのない存在としてあなたをこの世に送り出してくださいました。

その命を神様から託された人があなたの名前を付けました。

明日から始まるお休みの中で自分の存在を喜び確かめてください。

感謝と喜びを持って新しい年へ歩み出してください。