毎日の礼拝

校長のお話

2018/09/03

「不得意や嫌いの中に」(ヤコブの手紙 3章13~17節)

 誰にでも多かれ少なかれ苦手な人や不得意な人はいるものです。どうしても不得意な先生が二人いました。一人は教務室に生徒を呼んで多くの教員の前でさらし者にするようにきんきんとした声で生徒を指導する先生でした。経験の浅い先生も生徒と同じように叱られていました。私はその先生が大嫌いでした。もう一人は一言で言うと意地悪な先生でした。失敗するとわかっていても教えない。失敗した後でその失敗を責める。いつまでもそのことを覚えていて何かに取り組もうとしても親切そうに笑顔で「前にこういう失敗をしたから気をつけてね」とプレッシャーをかける人でした。意地悪のセンス抜群な方でした。私はこの先生も大嫌いでした。

 

 4年ほど前、病気で仕事を一年お休みすることになりました。とても憂鬱でした。休職が憂鬱だったのではなく、この苦手な嫌いな先生たちと病気のことやお休みのことを詳しく話さなければならないことが憂鬱でした。

 きついご指導の先生は教務担当でした。お休みの間代わりの先生に来ていただくことになりましたので時間割変更などもありどうしてもきちんとお話ししておかなければなりませんでした。意地悪だと私が思っていた先生は、私が担当していた仕事を引き継ぐことになったのでお願いと説明をしなければなりませんでした。

 まず教務の先生です。重たい気分で話し始めたことを覚えています。話し終わると「大丈夫、後は任せなさい」と言ってくれました。そんな方ではないと思っていたのでここは油断してはいけないと構えていましたら、その先生は「私も病気経験者だから」と涙ぐまれました。私よりも年上の先生でしたが、20代後半で大腸がんを患い、ステージⅢで余命告知まで受けていたそうです。仕事のことは気にせず手術リハビリをしてくるようにと励まされました。

 とても意外な展開で気持ちがふわふわしたまま意地悪だと思っていた先生にもお話ししました。

もともと人の噂話や失敗が大好きな方でしたから本当に話すのが嫌でした。案の定話し終えた後に細かいことを根掘り葉掘り聞いてきます。次の通院や検査はいつなのだとか、どんな治療を勧められているのかとかです。適当にいなしながら話していると今度はそんないい加減な態度では病気は治らないと説教される始末です。

 だから話したくなかったんだよなあと思ったそのときです。「どんなにわがままだろうと迷惑をかけようと気にしてはいけない」「休もうと授業を自習にしようと自分の治療を優先させなさい」と強い口調で言われたのです。そう言われてもどんな意地悪が裏に隠れているのだろうとすら私は思っていました。その先生は静かに言いました。「私はね白血病なの。何度も死にかけているの。今は寛解期だけれど完治することはないの。症状が出たらすぐに大学病院の主治医の所に救急車で行くの。」

 裕福なご実家にお住まいだったのに何年か前に勤務先に近いところにお部屋を借りたのは救急車で大学病院へ搬送してくれるエリア内にいるためでした。二週間に一度お休みを取るのは定期的に治療をしなければならないからでした。学校という職場にふさわしくない濃い色のネイルは薬で変形した爪を隠すためのつけ爪でした。いつもきちんとお手入れしているように見えた髪はオーダーメイドのウィッグでした。私が二人の話を聞いて驚いたのは言うまでもありません。そしてこの二人がその時私が最も必要としていたやり方でサポートをしてくれたのです。

 一年のお休みの間、私に必要なことを私が説明せずに先に手配をしてくださったお二人でした。

私は自分の感性がいかに当てにならないかを理解しました。それは、同時に神様はふさわしい助け手を意外な形で備えてくださるという驚くべき体験でした。

 

 二人は変わらずにきつい指導をしていますし、人の不幸が大好きな意地悪さんです。私は今でもこの二人が不得意です。でも、神様がこの二人を用いて私のために備えてくださったことはよくわかります。神様から出た知恵や哀れみは、人の思いを超えたところでその人に最もふさわしい時とやり方で示されます。

 

 三年生はいよいよ進路決定の時期です。書類の書き方や面接の練習などで親や教師が思うようなサポートをしてくれないと感じることがあるかもしれません。むしろ意地悪だとかきついとか叱られたと思うことの方が多いでしょう。その他の学校生活の場面でも同様のことがきっとあるはずです。でもそのような人や事柄を通して神様はあなたの人生に切り込んでくるのです。そして思いもよらないやり方であなたの人生を良い実で満たしてくださるのです。不得意なものは不得意なままで、嫌いな人は嫌いなままかもしれません。しかし、そのままで神の力は働くのです

その不思議に押し出されてみるとき私たちの歩みは恵みに満たされていると気づくのです。