毎日の礼拝

校長のお話

2018/07/03

「内なる賜物を軽んじてはなりません」(テモテへの手紙一 4:14~16)

 4月のことです。メキシコで96歳の女子高生が初登校を果たしたというニュースがありました。グアダルーペ・パラシオスさんは、元気に高校生活を送って100歳の誕生日までには卒業したいと語っていました。その年齢や白い髪、肌に刻まれた深いしわだけでなく、誰よりも頑張り屋な生徒としてクラスで際立つ存在です。「全力を尽くせると思う。今日はとても素晴らしい日ね」と制服の白いポロシャツと黒のスカートで初登校したパラシオスさんはインタビューにこたえています。制服の上にピンク色のカーディガンを羽織って、自分らしさを出して初登校です。この高校の生徒たちは、「ドナ・ルピタ(ルピタさん)」とグアダルーペの愛称に敬称を付けてパラシオスさんを呼び、拍手でクラスに迎えました。化学や数学の授業で熱心にノートを取るパラシオスさんは、ダンスの授業でもなかなかの活躍を見せているそうです。

 

 先住民の村で貧しい家庭に育ったパラシオスさん。子どもの頃は家業のトウモロコシ畑や豆畑を手伝い、学校には通えませんでした。大人になってからは市場で鶏肉を売って稼ぎ、2度の結婚で子ども6人をもうけました。こうした暮らしの中で計算はできるようになりましたが、読み書きを習得する機会はありませんでした。

 92歳になったとき、一念発起して読み書きの講座を受講したそうです。さらにそこで立ち止まることなく、2015年には小学校の成人向けコースに申し込み、4年足らずで中学校の課程まで修了しました。そこまで勉強しましたが、高校には成人向けコースはありませんでした。そこで普通の公立高校に入学し、80歳年下のクラスメートと一緒に学ぶことにしたのです。

 

 そんなパラシオスさんは、既に高校卒業の先を見据えています。いつの日か幼稚園の先生になることが夢だそうです。パラシオスさんのことをみなさんはどのように感じますか?素晴らしいと思いますか?年齢を考えると間に合わないと思いますか?体力的に無理だと考えますか?

 私はパラシオスさんの挑戦がとても素晴らしいと感じると同時に世の中うまくいかないなあとも思います。パラオシスさんは生きるために生活するために家族を養うために子どもの頃からずっと学ぶ機会がありませんでした。ですから読み書きができなかったのです。勉強したい時に学ぶ機会の与えられない人が多くいる一方で学ぶ機会を与えられているにもかかわらず学ぼうとしない人や学びの場にいても学びが身につかない人もいます。学ぶ喜びを体験してほしいと学校はいろいろな仕組みを考えます。教師はいろいろな取り組み方を工夫します。話し合いやPC使用などが代表的な例でしょう。

 見方を変えると学校で学ぶということはたいへん贅沢なことだと感じている人が世界中にたくさんいるということです。パラシオスさんのように自分のため子どものため家族を養うために働かざるを得ない人たちがいます。戦争や災害で学ぶ環境にない人たちもいます。健康の問題で学ぶどころではない人もいるでしょう。

 

 今朝の聖書では聖書の朗読とすすめと教えに専念しなさいと言っています。イスラエルの人々には学校はありませんでした。羊を飼いながらおじいさんからお父さんへ、お父さんから息子へと民族にとって大切なお話や決まりを伝えていくことが学びだったのです。その言い伝えがやがてまとめられて聖書になりました。学ぶときにはあなたの内にある賜物を軽んじてはなりませんと続きます。

 私たちは神様からたくさんの力をいただいています。話す力、考える力、伝える力、笑う力、泣く力、共感する力、走る力、飛ぶ力、歌う力、寄り添う力、数え上げればきりがありません。その力を使っていますか。その力を信じていますか。

 明日から第二定期テストです。与えられた力をしっかり使いましょう。与えられた学びの環境をしっかり生かしましょう。不得意でもできなくてもいいのです。今の自分を今の自分の力で表現しましょう。そこから人生が、進路が拓けていきます。