月刊敬和新聞

2018年6月号より「うまくできなかったという成果」

校長 中塚 詠子

ある企業の研修
 大学四年生の時のことです。就職が内定した学生がそれぞれ採用予定の会社で研修を受けていました。会社としては採用を決めたほどの優秀な学生ですから、他の会社に横取りされてはいけないと研修は各社工夫を凝らし長い日数で行われていました。
 その研修が終わってしばらくぶりで会う友人から聞いた話が忘れられません。大手銀行に内定しているAくんが言いました。「おれさあ、この出身大学って就職の時結構コンプレックスだったんだよね。国立大学に落ちて第二志望の私立大学だったから。研修行ったら案の定日本一偏差値の高い大学の学生ばっかりでどうなるかって思ったんだ。」こんな風に話し始めたのですが、顔はにこにこしていますし楽しそうでしたので話の続きが気になりました。

できない時の心持ち
 その研修では私立大学出身者は二人しかいませんでした。優秀な学生たちは何をしてもうまくやれることが前提のようで、研修中にもっとこうしたら良いとかここが足りないという指導をいただいてもそれを素直に受け入れることができなかったというのです。会社研修でどうして自分が指導を受けなくてはいけないのか納得できない人や自分のやり方が絶対正しいと思っている人が多かったというのも話を聞いていた私にとっては驚きでした。
 Aくんが何より驚いたことはご指導いただいたことをダメ出しされたとしか受け取れない学生がほとんどで、落ち込んでしまい寝込む人もいたということです。当時は携帯電話などありませんでしたから、そうした学生たちは毎晩こっそり公衆電話から親に電話をかけてどう対処したら良いのかを泣きながら相談していたというのです。

事柄をどう受け止めるのか
 友人はたった二人きりだった私立大学出身の仲間と「おれたち私立で良かったな」と話したそうです。自分たちはたくさんしくじりをした過去があり、勉強ができない部分があったり、受験で不合格になった経験があったり、就職試験でも不採用になったりといったうまくいかない体験がありそこから成長していると自覚があったからでした。
 特に友人は英語クラブのドラマセクションという英語劇の活動をしていましたので一つの舞台を作り上げる中で仲間と協力すること、情報を共有すること、スポンサーを探して広告料をいただくこと、会場を借りて大道具や小道具を搬出搬入し、音響を調整することなど細々したことをしっかり体験しそこから学んだことも多くある人でした。そんな彼から見ると思ったように結果が伴わないことや自分がよいと思っていることを相手も良いとは必ずしも思わないということ、こちらの都合良く物事は進むわけではないことはあたりまえでした。その上でどのように調整するか、どこを基準にして納得するのか、どうすればいいのかを考え提案することが身についていたのです。
 新入社員の教育担当者に叱られることがあっても多少叱られるくらいはあたりまえで、そのことによって自分の人格を否定されているということではないと友人はとらえていました。その上でAくんは「おれ、たぶん社会人やっていけそうな気がする」と言っていました。

思うようにいかない経験が成長を促す
 多くの人にとって心当たりのある話ではないでしょうか。行事や部活動、勉強などでこんなはずじゃなかったと思ったことがあるはずです。イメージ通りではないことや思ったような結果が得られないことをしっかり体験していますか。その上で何とかしようともがいていますか。
 詩編の作者は71編20節以下でどんなに苦しいことがあってもどん底でもそこから神様が引き上げてくださる、命を得させてくださると高らかに歌っています。うまくいかないことを出発点にしてここから成長するのです。思わぬ結果から学ぶのです。
 誰もが一番を目指します。でも全員が一番を取れるわけではありません。そこからです。そこからまた新たな課題が与えられます。敬和が学校行事を成長の機会ととらえている理由がそこにあります。学校生活を通してルールとマナーの中で精一杯自分を表現してください。存分に表現しきってそこから新たな学びへと進んでほしいと思います。