自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/06/29
雑穀ごはん・厚焼玉子・ひじき煮・けんちん汁・牛乳・ミニクレープ
榎本先生の思い出話をもう一回だけ。
榎本先生は保護者からも信頼されていた。
三十年前にも、いわゆる、モンスターペアレントはいた。誰でも、自分の子供が問題を起こせば、防衛的になる。そのような保護者に、榎本先生は、
「お父さん、お母さん、わたしたちは子供を責めてるんじゃありません。大切な成長の機会と向き合おうとしているんです。いっしょに、この子のために頑張りませんか」と言った。すると、たちまちファンになってしまった。
ある時、謹慎を言い渡した生徒を保護者が東京から迎えに来た。
真冬であった。
その保護者はクリスチャンだったが、学校の対応を批判した。
榎本先生は頑として譲らなかった。
その帰り道、生徒と保護者を乗せた車が雪道でスリップして横転事故を起こしたのである。
幸い怪我人はいなかったが、先生は責任を感じ、一晩中もだえ苦しんだ。
ところが一夜明けて、その保護者から先生に電話があった。
「先生、天罰が下りました。わたしが間違っていました。どうぞ、息子を立ち直らせるために手を貸してください!」
榎本先生は無欲な人だった。質素な借家に住み、古びた服を着て、原稿料が入ると若い教師におごってくれた。
「わしゃ、世界一の金持ちじゃ。毎朝、阿賀野川の河川敷を散歩する。その景色をながめてな、これは全部わしのお父さんの作ったもんだと思うと、実に豊かな気持ちになる。」もちろん、ここで言うお父さんとは神様のことだ。
先生には私利私欲、保身がなかったから、多くの人が信頼したのだ。本当に子供達の幸せだけを願っていたから、ぶれることはなかったのだ。過ちを犯しても、責める人はいなかった。
榎本先生は食べることが何より好きで、生徒指導がたてこみ、毎晩夕食は学校で、というような時、「今日は何のご馳走かな?」と、こちらはもう飽き飽きしている店屋物にパクつくのが常だった。
昔の生徒は元気が良かったから、生徒指導も大変だった。
先生たちはへとへとだが、榎本先生だけは元気なのだ。
若かった俺は、「先生は、信仰がなければただの食い意地の張ったおっさんだな」と、つい憎まれ口を言った。
東北私学研修会というのがあって、当時生徒指導主任だった俺は、校長と一緒に発表を行った。俺は、ずいぶん準備して一時間以上しゃべった。榎本先生は、俺の後に演壇に登り、「ただいまTが発表した通りであります」とだけ言って、壇を降りた。
研修会が終わり、俺は二万円の謝礼をいただいた。
「校長、二万円もらったぞ」と俺が自慢すると、
「わしゃ、五万もらった」と校長。
「なんだって!俺は一時間もしゃべって、先生は一言しかいわなかったじゃないか!」と憤慨すると、
「おまえは一時間二万円。わしゃ一言で五万。格の違いじゃ、ワッハッハ!」
榎本先生は愉快そうに大笑するのだった。
「食い意地の張ったおっさん」と言った仇をとられた訳だ。
先生はこの話が気に入って、ことあるごとに「Tは一時間二万、わしは一言五万」の話をするので、閉口した。
(T.H)