今日のランチ

今日のランチ

2018/06/22

今日のランチ(2018.6.22)

ポークカレー・グリーンサラダ・コンソメスープ・牛乳・ヨーグルト

 0622

 

 前々校長榎本先生の笑い話を前回紹介したから、今度は先生から学んだことを書いてみたい。駆け出しの教師だった俺は、先生からたくさん学んだんだ。

 先生は敬和を「自分探しの学校」と呼んだ。大企業や国家が求める優秀な人材を作るのが学校だという風潮に対して、教育とは実用の手段ではなく、人間が人間になってゆく過程だと言ったのである。その過程そのものに意味があると言ったのだ。

 受験勉強を第一と掲げる学校も多い。それに対して先生はこんな風に言った。

 「受験問題に必ずあるもんは何だか分かるか?それは『答え』じゃ。答えのある問題に、どれだけ速く、間違えずに到達できるか訓練するのが受験勉強じゃ。例えて言えば、新幹線みたいな教育じゃ。これじゃ本物の人間は育たん。人間は、ゆっくり、回り道しながら、迷いながら、失敗しながら成長する。敬和は新幹線ではなく、『歩く学校』でなけりゃならん。」

 敬和は良い学校だ。しかし、それは敬和が天国みたいなところだという意味ではない。何しろ、血気盛んな十代の若者が六百人も集まっている。子供達はたくさん、問題を起こす。敬和が良い学校なのは、問題がないからではなく、その問題を「自分探し」の大切な機会として、きちんと向き合うところにある。

 「子供たちが問題を起こすと、またか、勘弁してくれと思うじゃろ。ところが、それは子供達の成長に必要なことなんじゃ。問題を起こして初めて子供達は自分と向き合うことになる。教師もしっかりそれと付き合ってやらにゃならん。そして教師もな、そこで宝物を見つけるんじゃ。」これを先生は「なくてはならぬ、あってはならぬこと。」と表現した。

 学校にIT機器が導入され始めたころ、先生はこんな風に言っていた。

 「今の科学技術の世の中はボタンを押せばなんでも出てくる。それが進歩だと威張っている。だがな、ボタンを押すのは猿にだってできる。自分の手を使って、自分の頭で考え、自分の心で感じ、自分の足で歩くのが人間じゃ。本物の人間を育てにゃならんぞ。」

 「本物の人間を育てる」これが榎本先生の一貫した姿勢だった。

 

 若い先生たちが電子黒板を駆使する横で、俺は今年、あえて板書を筆記体でやっている。

 「先生、読めません!」と生徒が文句を言う。

 「あのな、今、先生だって筆記体をかける人は少ない。お前たちは最後の昭和の先生に習ってるんだ。これって素晴らしい経験だろ?」

 敬和生は素直だから、みんな「うん」と頷く。

 俺は黙々と黒板いっぱいに筆記体で教科書の英文を書いてゆく。生徒も黙ってノートを取る。

 そうだ。そうやって、手を動かして心を働かせて、授業の内容だけじゃなく、板書するチョークの音や、友達の息遣い、外から聞こえてくる鳥の声からも、何かを感じて欲しいんだ。

 大好きだった羽衣チョークも廃業してしまった。チョークと黒板はもはや絶滅危惧種なんだろう。

 俺は心の中で、「歩く学校、歩く学校」と呟いている。

(T.H)