自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/04/27
筍ごはん・豚肉生姜焼・野菜ソテー・味噌汁・牛乳・オレンジ
変な先生と言えば、前々校長の榎本先生も面白い先生だった。
俺と榎本先生は同期入校で、とてもかわいがってもらった。
榎本先生は「おとなげ」ない人だった。
柔道部の練習をのぞきに行って、「わしも昔は柔道をやってたんや。かかってこい!」と生徒に挑んだ。
「先生、本当にいいんですか?」と生徒が聞くと、
「遠慮せんでいい。おもいきりかかってこい」と先生。
生徒は本気で先生を投げ飛ばし、先生は畳に頭から落ちて救急車で運ばれた。
やんちゃな生徒が好きだった。
謹慎になった生徒は、校長室掃除ということになっていて、校長室には、いつもやんちゃな生徒が集まっていた。
ある時校長室をのぞいたら、先生は生徒に羽交い絞めにされて、秘蔵のお菓子を奪われているところだった。
ある時から、俳句を始めた。
お世辞にも上手とは言えなかったが、本人はご満悦で、校長の訓辞の最後に、必ず一句読む。
すると生徒から失笑が起こる。
時には、「へたくそ!」などと野次が飛ぶ。
先生は真っ赤になって、「うるさい!黙って聞け!」と声を荒げる。
校庭の土留めのコンクリートには、「校長ハゲ」とスプレーで書かれていたが、本人は全く気にしなかった。
囲碁が好きで、しょっちゅう囲碁部に遊びに来ていた。
初心者相手でも手加減しない。
大勝すると、
「ふわっはっは!わしに勝とうなぞ、百年早いわ!」と高笑い。
ところが生徒が腕を上げて、先生を負かすようになると、不機嫌になり、
盤上の石をぐしゃぐしゃにして去って行った。
職員旅行で、旅館のおかみが、用務員さんを校長と間違え、校長を用務員さんだと思ったこともあった。
こんなことばかり書くと、どんな先生かと思うかも知れないが、俺も生徒達もみんな先生が大好きだった。
「ひとりひとりを大切にする」という現在の敬和教育の根幹を作った。
「自分さがしの学校」というキャッチフレーズも、先生が作ったものだ。
俺は教師の「いろは」を榎本先生から教わった。
前教頭のOと俺は、先生を「ご老公」と呼び、先生は俺たちを「助さん、格さん」と呼んだ。
ちなみに現在、北海道クリスチャンセンターの総主事を務めるIは、「うっかり八兵衛」と呼ばれ、三人で良く焼肉をおごってもらったものだ。
その榎本先生が、今年度から学校法人敬和学園の理事長に就任した。
またお仕えできるのは、望外の幸せである。
(T.H)