自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/04/20
ポークカレー・生野菜サラダ・コンソメスープ・牛乳・プリン
昔の敬和には面白い先生がいた。
理科のF先生は、とぼけた人で、誕生日に生徒が教室で爆竹をならした。
授業中だったので、職員会議で問題になり、礼拝後に謝罪させられることになった。
F先生は沈痛な面持ちで全校生徒の前に進み出ると、「先日の爆竹事件、悪いのは生徒ではありません」と語り出した。全校生徒は静まりかえった。先生は生徒をかばう気でいる。
ところが、先生は「悪いのはわたしでもありません」と続けた。生徒も教師も、一瞬、「どういうことだ?」という顔になる。
「悪いのは」と先生は言った。「私の誕生日です。」
「そうきたか!」と生徒は大笑いした。一方、全校に謝罪しろと迫った先生は地団駄を踏んだ。
野鳥の会にも所属し、礼宮さまが福島潟に野鳥観察に来られた時の案内も務めた。
その時、礼宮さまに、「お父さん元気?」と尋ねた。
お父さんとは、時の天皇である。
お付きの人たちも、礼宮さまも、一瞬気色ばんだが、
「陛下はおすこやかであられます」と礼宮様が答えて、場が救われた。
生活指導主任だったとき、新潟陸上競技場でJリーグの試合があった。
選手の中に、日本代表がいたんだが、ユニフォームのシャツを、ズボンから出していた。
敬和学園では、シャツを出すのは校則違反である。
F先生は、その選手が目の前を通り過ぎる時、おもむろに、「〇〇選手、シャツを入れなさい!」と叫んだ。
日本代表選手は、一瞬はっとして、あたりを見回すと、シャツをズボンの中に入れた。
スタンドからF先生に拍手喝采が起こった。
昔は「でもしか」教師といって、優等生は教師にならなかった。
世の中でうまくやれない人々がなる仕事だった。
だから面白くて変な人が多かった。(とんでもない人も、もちろんいた。)
世の中も学校もおおらかで、寛容だった。
今は、優等生しか教師になれず、しかも、「教師になるのが夢」という人がなる仕事になった。
優等生が増えると、世の中、なにかと窮屈になる。
俺やツッチーはもはや絶滅危惧種だ。
そう思うと使命感が湧いてくる。
敬和には電子黒板が配備されたが、俺は最後まで「黒板にチョーク」を貫くつもりだ。
おまけに今年は、筆記体で書くことにした。
最初生徒は戸惑っていたが、「おまえたちは昭和時代の先生に教わる、最後の生徒だ」と言うと、嬉しそうな顔をして、必死でノートをとっている。
そのうち電子黒板に映ったAIが授業をすることになるんだろうが、俺は最後の人間の先生のつもりでいる。
(T.H)