自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/03/16
中華丼・春雨サラダ・ワカメスープ・牛乳・プリン
「みんな変な人になろう!そして、このクラスは、変な人が変な人でいられるような、共同体になろう!」
23回生で初担任を持った俺はクラスにこう宣言した。
そのクラスにHという男の子がいた。
こいつが変わったやつで、「ねえねえ、ぼくと宇宙の神秘について語り合わない」などと言う。
いつも黒い小さなケースを持ち歩いていて、「そりゃ何だ?」と聞くと、「これはぼくの命の次に大切なモノなの」と言う。
「だから何なんだ」と重ねて聞くと、
「ク・ラ・リ・ネ・ッ・ト」と答える。
まだお湯を張る前の寮の風呂桶の中で一人で歌を歌ったりもする。
言葉遣いが女っぽいのは、昔から東京には少なくないが、新潟には皆無だった。
入学三日目で、Hくんのロッカーはボコボコにされた。
Hくんはよく俺の家に遊びに来た。
なかなか友達ができず、俺を話し相手に宇宙の神秘を語る。
俺は、Hくんの個性が当たり前に認められるクラスにしたかった。
それが、「変な人が変な人でいられるような共同体」であるかどうかの試金石だと思った。
一年の讃美歌発表会の時、音楽が好きで才能もあるHくんが指揮者に立候補した。
クラスはそれを否決した。一番人望のある女の子が指揮者になったが、賞は取れなかった。
二年の讃美歌発表会の時、Hくんは再び指揮者に立候補した。また否決された。
留学生のハンサムな男の子が指揮をしたが、賞は取れなかった。
三年生になると、今度はクラスのみんなの方からHくんに、「指揮者になってくれ。おまえじゃなきゃ勝てない」と頼んだ。
敬和で三年暮らすうちに、みんなが自分らしく生きるようになり、それぞれが変人になっていたので、Hくんの個性は全く目立たなくなっていた。
三年かかって、クラスはHくんの個性が自分達に必要だと認められるようになったんだ。
ちなみに、23回生は一度もクラス替えをしなかった学年だ。
ところが、練習が始まって三日で問題が起こった。
Hくんが、「そこはもっとフォルテ!そこはピアノからのクレッシエンド、からのルバート!」などと指示を出すものだから、元気のいい男子が「おめえは一体何語で話してんだ!」とブチ切れてしまった。
男子は練習をボイコットし、女子は泣き出した。
それまで周りにどれほど圧力をかけられても自分を曲げなかったHくんが、初めて深刻に悩み始めた。
俺はHに、「お前は悪くない。自分を貫け。周りが大人になるべきだ」と言った。
数日後、Hくんはクラスのみんなに、「もう一回だけ指揮をさせてくれ」と頼んだ。
女子も男子にお願いして、男子が渋々集まって来た。
練習が始まると、Hくんは、「そこはもっと大きく!はい、小さくしてからだんだん大きくして!そして最後はゆっくり!」と指示を出した。
Hくんが自分流を曲げた。
「すげー分かりやすい!」とみんな大喜びだった。
讃美歌発表会の結果は最優秀賞だった。
個性が認められる集団が一番強い。これが俺の確信になった。
協調生とは、押し付けられるものではなく、個性を認められた時初めて生まれるものだということも知った。
そして、本当に個性が認められる時、人は自分を変える勇気を与えられるのだ、ということも。
(T.H)