自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/03/06
炊き込みごはん・鶏肉照焼・野菜ソテー・味噌汁・牛乳・ミニワッフル
先週48回生を送り出し、学校は少しだけ寂しさが漂う。3Fの教室はがらんとして、空になった靴箱や、表示が全て取り払われたロッカーが、いなくなった人たちのそれまでの存在の大きさを物語っている。堂々と未来を見据える卒業生の姿は立派だった。
その反面、在校生は教務室に悩みを相談に来る者や、はしゃぎすぎて羽目を外す者が目立つ。どちらもわずか1ヶ月先が見えず不安のようだ。しかし、自分自身を思い出しても、高校生のとき将来を見通した事などなかったと思う。漱石の文書にある「あたかもふくろの中に詰つめられて出る事のできない人のような気持」なのである。
「私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、あせり抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく…」とイギリスで苦しみぬいた漱石だが、結果一つの答えを得て帰国する。卒業生もきっと悩みぬいたから晴れの日にあの表情になったのだ。
あわてず、今目の前にあることを一つずつ丁寧に。面倒くさいことを率先して担うこと、それが一番近道なのだよと、目の前で炊き込みごはんを急いでかき込む2年生男子に語りかけたくなった、そんな3月。今日は啓蟄(けいちつ)である。
(S・K)