自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/02/09
ハヤシライス・生野菜サラダ・コンソメスープ・牛乳・プリン
俺が最初に担任をした時の学年主任は、還暦間近のはつみ先生だった。
はつみ先生は、お父様が明治の洋画家、石井柏亭画伯で、幼少期は、詩人、高村光太郎におんぶされたこともあるというお嬢様だった。
YWCAなど、キリスト教系の社会活動の中心メンバーでもあった。
若く、生意気で、お調子者の俺は、よく先生に叱られた。
会議を忘れて生徒と遊んでいると、「T先生、会議が始まっています。すぐに教務室にいらっしゃい」と放送がかかった。
ご主人のモス先生は、戦後、日本に宣教師として来られ、敬和学園創設に関わり、2代目の校長も務められた。
生涯を、異国の若者の教育に捧げられたが、偉そうなところも、気負いもない、穏やかで誠実な先生だった。
日本にキリスト教主義学校はたくさんあるが、その創設の背景には、このような宣教師たちの献身的な働きがあった。
この方々から感じるのは、純粋な情熱。誠実な人柄。そして、素朴な信仰と倫理観である。
「先生、言葉遣いに気をつけてください」とモス先生に言われると、しゅんとなった。
「よくできました。イエス様もお喜びなるでしょう」と言われると、嬉しかった。
そうした素朴な倫理観と信仰に反発を覚えなかったのは、先生方がご自分の使命に生涯を捧げているという事実の厳粛さだったんだろう。
教師になりたての俺が、こんな先生たちの謦咳に接することができたことは、本当に有難いことだったと思う。
いま、世の中はずっと複雑になり、素朴さは愚かさとみなされるようになった。そして賢い人々が運営するキリスト教学校の多くは進学校になり、株式会社みたいになった。教育の目的も手段も営利になってしまった。
聖書は言う。「神の愚かさは人より賢い」
俺ももう少し、頑張らないとな。
(T.H)