のぞみ寮通信

のぞみ通信

2018/01/25

のぞみ通信 2018年1月25日 第233号

エミタイ(校内入り口前にあるパン屋)でのキャロリングの様子

 

「のぞみ寮生 心の習慣 『自主、自立、自制、思いやり』」

寮長 東 晴也

 2018年になりました。どうぞ今年もよろしくお願いします。
 昨年末、連日報道されたニュース「元横綱日馬富士の暴行事件」。皆さんはこの事件の何が問題だと思いますか?そもそものことの発端は?スマホです。スマホを使用する貴ノ岩に対して、日馬富士は自分の感情を抑えられず、貴ノ岩の頭部を殴打せざるを得ない精神状態になった。スマホが、人をそこまで激怒させる原因になることに、ゾッとしませんか?
 のぞみ寮でもこのSNSを巡る課題の渦中です。継続して、寮におけるSNSのあり方を丁寧に審議していきたい。生徒の皆さんの知恵をぜひ貸してほしい。
 さて、その日本相撲協会ホームページには、協会の目的として「相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的」とあります。まさに目的とか本質を見失った協会と力士の姿が露呈した出来事となってしまいました。 
 さて、私たち、のぞみ寮はどうでしょうか。寮では「教育のねらい」として「他者との出会い、自己との出会い、集団との出会い、神との出会い」とあります。これを読めば、のぞみ寮は「出会い」の場だということは、明白です。ならば、このようなねらいをもつのぞみ寮で3年間過ごした48回生は、果たしてこのような「出会い」をして来たと言えるでしょうか。また49・50回生はどうですか。年頭にあたり、おのおの自己に問うてほしい。このことを意識しなくても卒業はできるでしょう。しかし、ことの本質を見失う時、力士による暴行事件のように、的外れな生活をすることになります。
 のぞみ寮には、「教育のねらい」とは別に、「心の習慣」があります。榎本栄次前校長先生が、教えて下さったものです。


 自主  自分から進んで積極的に行動すること。
 自立     自分のことは自分ですること。
 自制     自分がされて嫌なことは、人にもしないこと。
 思いやり  自分が人からしてほしいと思うことを、人にもすること。


 これらの心の習慣は、どんなに学校で勉強しても身につきません。実際に自分が生きて、他者と交わって、苦しんで、その中で他者を思いやり、思いやられてみて、はじめて分かるというものです。
 これからの一年、これらの心の習慣を身につけましょう。

「まず、人間が習慣をつくり、次に習慣が人間をつくる。」シェークスピア

(1月8日開寮礼拝より)

 

 

 

『寮クリスマスより』

ディナースピーチより「出会いと学びから」  H.S(めぐみ館3年 柏崎市)

 敬和に来る前の私は、今とは真逆の人間でした。喋るのが苦手で人前に立つことが恥ずかしくて、人と関わることも嫌いで、でもそれ以上にそんな自分が大嫌いでした。入寮してからは自分を変えるために一から自分を見つめ直し、過去を振り返られるよう日記を書き始め、3年間皆勤、部活を最後までやり切る、という目標を立て、新しい自分をつくり直すことにしました。

0125_no02 初めのうちは思うようにそれらが実行できず、苦労しました。そして何より、48回生となかなか打ち解けられず、自分の殻に閉じこもり、本当の私を出せずに自己嫌悪に悩まされる日々に苦しみました。しかし、そんな私にめぐみ館の仲間が優しく寄り添い、声をかけてくれ、それに私も応えようと素直な心を次第に伝えられるようになりました。すると、気が付けば私の周りにはいつも仲間がいて、笑顔の絶えることがない寮生活となっていきました。ですが、やはり相手を知っていくにつれ、意見の食い違いからぶつかり合うことも寮では多く起こりました。なるべく人との衝突を避け、恐れていた私でしたが、本当の私を知ろうと対等に面と向かって正直に接してくれる仲間がここにはたくさんいました。この3年間でいろんな個性の人と関わり、私自身人間的に成長したと思います。
  話は変わりますが、私は1年生の後半から東中通教会に通い続けています。敬和に来るまでキリスト教のことを何も知らなかった私が教会に通うようになったきっかけは、友人に誘われたことです。毎週通うようになり、お昼の礼拝だけでなく、早朝礼拝や子供の礼拝にも多く出席するようになりました。教会に行くことが私の普段の生活と精神を支えるものとなっていきました。私は、幼い頃から神様はいると心のどこかで信じていました。しかし、それをあまり表に出すことは無く、現実を受け止め、不安を抱えながら生きていくものだとそう考えていました。敬和に来てキリスト教と出会い、イエスという人が罪深い人々のことも決して見捨てず、その人達のために自分を犠牲にしたことを知って、こんな私でも愛し、見守ってくれる存在があるのだと思うと、安心した気持ちになりました。心のよりどころとできる場所を見つけたことで、私は洗礼を受けるべきだと思ったのです。これは本当に神様に私が導かれたものだと信じて決めたことです。
 こうして寮、学校での生活や部活、そして教会を通して様々な出会い、学びを与えられ、私は大きく成長することができました。もちろんこれらは絶対に一人で得られたものではなく、たくさんののぞみ寮の仲間と先生方、教会の方々、家族の支えがあったからです。ここまで来るのにはほんとうに悩み、躓き、苦しんで、でも決して諦めずに必死にもがいてきました。これまでの支えに感謝して、これからたくさん恩返しをしていこうと思っています。
  最後に、私ももうすぐ卒業です。3年間、特にこの最後の1年はあっという間でした。今この時を大切にして、これから旅立っていく48回生の未来を願って、また49回生、50回生の残りの敬和生活がそれぞれ充実したものとなるよう祈っています。

 

 

 

「帰る場所」  S.T(大望館3年 新潟市)
 2年生の後期から委員会に入った事は私に大きな変化をもたらしました。委員会は整美委員。寮の美化に努める仕事です。ご存知かもしれませんが、男子寮は綺麗だとは言い難いです。少し潔癖だった僕は、1年生の頃からこの寮を綺麗にしようと思っていました。そして今、以前よりも寮を綺麗にすることができました。そこは、良い成長だと思っています。しかし、精神的な面や責任感などの変化で考えると、部活に居た時間のほうが圧倒的に有意義だったし、部活での成長は大きいと思います。入学してからすぐ入部し、引退までやりました。1、2年生の頃はよく情緒不安定で悩みました。部活でうまくいかず、いつも負のオーラを放って寮に帰宅していました。
  寮に帰ると、同級生たちは僕の気持ちも知らんかの様に接してくるのです。ウザイなって思うときもありました。しかしそれが僕にとっては救いでした。もし、声もかけられず、自らも話すことができない寮であったなら、僕は今頃、孤独死していたと思います。大望館は、部活帰りで疲れた僕の「帰る場所」でした。何があっても、いつも通り接し、相談に乗ってくれる仲間が寄り添ってくれたからこそ、そう思うのです。
 もうすぐ新しい生活が始まろうとしています。大望館のように「帰る事の出来る場所」は作ることが出来るだろうか。衣食住に限らず、心と体の休まる場所。何よりも励ましてくれたり、聞いてくれる存在。人の原動力は体力ですが、休息がとれないと体力は戻らないし、休み方が半端だと、休んでいるうちに入りません。だから大望館での生活は、部活や学校以上に大切だったといえます。もう少しで修了ですが、残りの日々を僕の大切な仲間と楽しくやっていきたいです。

 

 

 

『礼拝委員の取り組みから』

「裏側の努力と苦労」  H.T(大望館2年 北海道)
 昨年度の寮クリスマス(以下寮クリ)のことは正直言ってあまり覚えていない。覚えていることと言ったら「友愛館の飾りつけの準備をする」と言いつつも関係のないことをして、ずっとたわいもない話をして遊んでいた事、後々忙しくなって、後悔したことぐらいだ。

0125_no03 今考えると「なんて馬鹿なことをしたのだろうか」と笑えて来る。学年が一つ上がり、礼拝委員になった。1年生の時からの夢「礼拝委員長になること」は叶わなかったのだが、副委員長にはなった。(委員長昇格とかないのかな・・・・・)礼拝委員会になったからなのかはわからないが、今年の寮クリには「特別な想い」があった。今だから言えることだが、今年の寮クリは礼拝以外頭になかった。講師の日比野則彦さんのお話も楽しみで仕方がなかった。
 委員会に入って初めて分かったこと。それは、1年の時に僕たちが何気なく参加をしていた行事、その裏側で様々な委員会の努力と苦労があったこと。実際、僕たち礼拝委員会は何回ものミーティングを交わし、テーマを決め、献金先に頭を悩ませ、講師の先生を誰にお願いするのか、色々なことを話し合った。
 正直、途中で投げ出したくなったこともあった。面倒くさいって何回も思った。だから終わった後の達成感は半端なかった。
 当たり前のように過ごしてきている日常、裏では誰かの苦労があることを忘れないようにこれからの生活を送って行けたらと思う。

 

 

 

『行事委員の取り組みから』

「苦難があったからこそ」  Y.Y(みぎわ2年 新潟市)
  世代交代が行われた9月。私は悩んだ末に様々な委員会の中から特に強い思いのあった行事委員を選びました。初めて委員の顔合わせをした時、私と同じように熱い思いと沢山の考えを持った人がほとんどだったことから私達は絶対にいいチームになれる!と感じました。だから初めてののぞみ寮最大のイベント、クリスマス礼拝後に行われるお楽しみ会の企画にも何も不安はなかったのでしょう。
 しかし事件は企画を考えていた11月の下旬に起こります。副委員長の私と委員長のK君との間に大きな亀裂が入る出来事が起こりました。意見のすれ違いが重なった結果でした。私も彼もお互い、目を合わせる事すら拒む状態が続き、もう企画どころではありません。行事委員担当の澤野先生に、「あと1週間で企画が決まらなければ適当に体育館で鬼ごっことかにしようと思う」と告げられ、私達は諦められてしまっている現実と、この件はもう個人だけの問題ではないことに気づきました。本当は彼と向き合う事から逃げたい自分がいました。きっと彼も同じ思いでいたことでしょう。

0125_no04 しかし、私達はそのままでは終わらせませんでした。私達の、行事を成功させたいという強い思いのほうが上回ったのです。「絶対に成功させよう。俺達が協力したら絶対に出来る」彼の言葉に本気でうなずけた自分がいました。私達が軌道に乗ると委員内の空気もがらりと変わり、考え始めてわずか2日で、今までにもなく全員が楽しめる案にたどり着くことができました。当日は朝からお昼過ぎまで、会がスムーズに進むよう、細かい仕事分担や、セリフをまとめたシナリオを作ったり、景品の渡し方を工夫できないかと考えたり、全員でより最高な会になるよう知恵を出し合いました。
 しかし、予期も出来ない事態が起こりました。寮クリスマスの準備が始まる数時間前に、委員長の彼は、アレルギーからと思われる体調不良で病院に搬送されてしまったのです。 彼がいないことで、どれだけ必要な存在なのかを実感させられました。残された私たちは、彼の思いを引き継ぎ、彼のためにもみんなで成功させるのだという気持ちが、今までで一番強い団結力を生み出し、大成功で会を終えることが出来ました。
 今回のことで私は、歩み寄ることの大切さ、想いが同じならいくらぶつかっても、必ず一つになれること、そしてそれを乗り越えることで人はさらに成長するのだと身をもって知りました。
 このクリスマスの出来事で学んだことを生かして敬和生活を送っていきたいと思うと同時に、今では最強のチームとなった行事委員でみんなが熱く盛り上がれる企画を沢山していきたいと思います。

 

 

 

『食事委員の取り組みから』

「笑顔あふれるクリスマスディナー」  H.M(めぐみ2年 新潟市)
 1年生みんなでにぎやかに取り組むクリスマスの飾り付け。寮生だけ行うチャペルでの礼拝。そしていつも以上にスペシャルな食事。1年生の夏、途中入寮した私にとって寮クリスマスは、のぞみ寮で経験する初めての大きなイベントでした。今でもあの時のワクワクした気持ちと楽しい雰囲気は鮮明に思い出すことができます。その中でも私が一番覚えているのが食事の時間です。そんな寮クリスマスの食事にかかわってみたいと思い、私は食事委員に立候補したのです。
 食事委員は主に寮クリスマスの食事の運営をしますが、各館の食事委員が集まりミーティングを重ねました。ミーティングは和やかで、食事委員で集まる時間が楽しみでした。
 まず初めに取り組んだのが当日のメニュー決めです。先生からのリクエストは、「バランスがよいこと」「テーマのあるメニューであること」でした。考えていくと意外と難しく、メニューを決定するのに時間がかかってしまいました。ようやくメニューが完成し、管理栄養士の五十嵐さんに一発OKをいただきメンバーで喜び合いました。
 当日までの準備のもう一つの仕事は、クッキー作りです。当日の食事テーブルで一人ひとりに配るものです。1年生の時はクリスマスの飾りつけの準備で参加できず、食事委員として参加できることを楽しみにしていました。有志を募ってクッキーづくりをしたのですが、参加してくださる方がたくさんいて、和やかにスムーズに終えることが出来ました。
 当日は、サンタクロースに扮し、ホスト役で食事のセッティングをしました。メニューが好評で、「おいしい」と食べている方が多くうれしくなりました。ゲストの皆さんはじめ、寮生のみんなから笑顔があふれていたことは、幸せな気持でいっぱいでした。
 寮クリスマスを通して、食事委員のメンバーとのつながりができたことも、うれしいことでした。最後に食事の準備をしてくださった調理の皆さんに心から感謝します。

 

 

 

『教師からの一言』

「分け与えることの喜び」   みぎわ館担任 小林 渚
 のぞみ寮生が冬休みに入る直前、みぎわ館内では「シークレットサンタ」がたくさん出没しました。みぎわ館47回生達は、誰が誰にクリスマスプレゼントを渡すかを決めて、誰があげたのかは、決してばれないようにするという楽しい企画を考えました。また、12月21日の終業日の朝には、みぎわ館生全員のレターBOXにクリスマスカードが届いていました。それも、一人ひとりにメッセージが添えてあるカードでした。差出人の名前は書いてありませんでした。さらに、冬休み期間の寮開放中にも、事務室に手作りのケーキを届けてくれた生徒がいました。「先生、シークレットサンタだから、誰から届いたかは言わないでね。」と言って、そのサンタさんは事務室を出ていきました。ニコニコ微笑みながら、その後ろ姿はなんだか嬉しそうでした。
 みぎわ館内でシークレットサンタが流行ったのには理由があります。のぞみ寮クリスマスの中で、社会科の和田先生が学生時代に体験したシークレットサンタの出来事を話してくれたからでした。私たちは、どうしても見返りを求めたくなってしまうことがあります。自分はあの人にしてあげたのに……と思いたくなる時があります。でも、本当は、自分に何かが返って来て欲しいから私たちは「与える」ということをするのではないはずです。喜んで欲しいから、その人の笑顔が見たいから私たちは分け与えるのです。のぞみ寮クリスマスを成功させようと企画運営をしてくれた寮生達も、「喜んでもらいたい」というただそれだけのシンプルな気持ちで取り組んでいました。「喜ばせたい、楽しんでもらいたい」という気持ちが、至る所で現れていたと思います。1年生の飾り付けも、2年生たちのディナーやお楽しみ会も、クリスマス礼拝も、そこに集う人達と、ただ素敵な時間を過ごしたい、その一心で取り組んだ寮生の姿は、本当に誇り高いものである。そんな風に感じることのできる時間でした。