毎日の礼拝

校長のお話

2017/10/10

「大人の時間 子どもの時間」(コロサイの信徒への手紙4章2節)

私は小学校の低学年の頃から、どちらかというと学校が苦手でした。

同級生とどうも話が合いませんでした。

何かいうと、「ええっ」というような反応されることが少なくありませんでした。

周りからは、たぶん変わった子どもと見られていたと思います。

それは、わからなくもありません。

たいしたこともできないのに、へんにプライドが高くて、時々わかったようなことをいう、ませた子どもでした。

今、自分の子どもの頃を第三者的に見ても、どう見てもつきあいやすいタイプではなかったと思います。

それでも同級生とは何とかやることができました。

私が学校で一番苦手だったのは先生という存在です。

これはどうにもこうにも苦手でした。

先生の前ではうまくしゃべることができませんでした。

先生と個人的なことについて話をする、とんでもないことです。

あったのかも知れませんが、まったく記憶にありません。

先生から理不尽に思えることをいわれて、心の中でそれは違う、それはおかしいと思っても、それを言葉にすることはできませんでした。

その上勉強が嫌い、成績もう一つ、性格は素直でないと、自分でも認めていましたので、先生からほめられたことまずありません。

そういう自分をどのように受けとめていたかというと、それはダメな子どもです。

できの悪い奴です。

学校が苦手、先生が苦手、それは自分に問題があるからと思っていました。

そう思いながら学校生活は続けていました。

というのは、今から60年近く前は、理由に関係なく、学校に行かないというだけで、それこそとんでもない子どものようにいわれていました。

学校が苦手、先生が苦手な私を見かねて親がいったことがあります。

あんたは先生の当たりが悪いね。

相性の悪い先生ばかりが担任になるということです。

そういう言い方で、私を救ってくれた、認めてくれたのだと思います。

 

なぜ、私が、学校が苦手だったのか、先生が苦手だったのか、それを論理的に知る機会がありました。

しばらく前にたまたま読んだ本がそのことを教えてくれたのです。

その本によると世の中には2つの時間があるというのです。

大人の時間と子どもの時間です。

学校には大人の時間と子どもの時間が流れているのです。

大人の時間、子どもの時間というと、イメージとしては、子ども早く寝なさい、夜は大人の時間、大人には大人の時間がある、そんなことのように思います。

でもそういうことではありません。

1日には24時間、1年は365日と決まっています。

人によって違うことはありません。

しかし時間の過ぎ方は年齢に反比例するそうです。

それは、19世紀のフランスの哲学者であるポール・ジャネという人が考え出しました。そこでこれをジャネの法則と呼んでいます。

ジャネの法則によると、15歳から18歳の高校生のみなさんからすると、65歳の私は4倍速で毎日が過ぎて行っているのです。

逆に高校生からすると、私の4分の1の速さで時間が過ぎて行っているということです。

そうすると、ああそうかとわかることがあります。

学校の先生の口癖の一つに、早くしなさい、グズグズするな、ムダなことはやめなさい、というのがあります。

いわれてこなかったという人、まずいないでしょう。

先生の目から見たら、高校生は、自分は普通にしているのに、ゆっくりしているように見える、グズグズしているように見える、ムダなことをしているように見える、ということです。

それを肯定的に受けとめるなら、少しでも早くそして大きく成長してほしいので、早くしなさい、グズグズするなという言葉になるのです。

しかし3倍速4倍速遅く時間が経つというのは、高校の時代にはそれだけたくさんの体験ができる、あれこれできるということです。

こういう形で、神の愛が働いているのです。

それを多くの学校は、もちろん無意識ですが勉強だけを3倍4倍をさせようとしているわけです。

勉強をすること、学ぶことは本来楽しいことです。

でも勉強だけを3倍4倍とさせられてばかりでは、勉強、学ぶことが好きになるはずはありません。

楽しいと感じるはずがありません。

多くの学校は、知らず知らずのうちに、大人の時間に押し込めることによって、人間にとって一生ものの楽しみである、学ぶ楽しさを奪っている、勉強嫌いにしているのです。

私が、学校が苦手だった理由がこの辺りにあったと思います。

大人の時間に比重をおいて、子どもの時間をないがしろにしてしまっているのです。

学校は子どものためにあります。

その学校で子どもの時間がきちんと自覚されて保障されていないのです。

それでは多くの子どもが学校から弾かれることになるのは当たり前といえば当たり前です。

 

敬和学園の特徴の一つに、時間がゆっくり流れている、といわれることがあります。

大人の時間で生きる大人から見たらそう感じるわけです。

でも当事者であるみなさんからすれば、自分たちのふつうの時間が流れているに過ぎません。

いい換えると、敬和学園は子どもの時間を大切にしているのです。

そういう形で神の愛に応えようとして来たのです。

だから安心して学べる、じっくり学校生活が過ごせる、そして、たくさんの体験ができる、ということなのです。

そこでさらに考えないといけないことがあります。

時間が3倍速4倍速遅く動いているということは、それに見合うだけの体験を、その時にしておくことが求められているということです。

それを忘れて、今しかない3倍速4倍速でじっくり時間が流れる時を、スマホ・ケータイにすべて消費するようであっては、それは自ら学校生活をつまらないものにしてしまいます。

せっかく神様が与えてくださった、今しかない時間の流れである子どもの時間を、ぜひ大切にできる一人ひとりとして、今週も学校生活を過ごしていきましょう。