のぞみ寮通信

光風館

2017/07/12

光風館通信 2017年7月9日 第495号

< 第二定期テスト お疲れさま!! >

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0709_ko02 第二定期テストが7月4日(火)〜7日(金)に行われました。今回は学期末テストのため前回よりも教科が多く、テスト1週間前からしっかりと勉強している様子があり、夜遅くまで頑張る姿も早起きしようとしても出来ない姿もありました。また、テスト直前の週末にはパソコンがインターネットに接続出来なくなり、光風生は気分転換に使おうとしていたので残念がっていました。「パソコンが使えない!!」と嘆いているひとりに「普段使い過ぎているから、このタイミングで繋がらなくなったんだろう。せっかくだから勉強しなさい」と声を掛けたところ、「は〜い、わかりました」とすぐに勉強する素直さにはビックリしました。
 7月6日(木)は食事時間に寝坊で遅刻することがなかったので、夜食で“チーズリゾット”を作りました。「夜食出来ました!!食べたい人、ホールまで!!」との放送で集まり、学年関係なく一列になって順番待ちをする姿に微笑ましくなります。食事時間をちゃんと守ること、勉強で使った場所をキレイにすること、この2つが守れたので夜食を作りました。美味しく楽しい時間をみんなで共有して、勉強を頑張るキミたちをサポートしていきたいと思いました。(片岡)

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< 礼拝のお話 >
「希望を持って日々生きること」     Y.K(2年・新潟市西蒲区出身)
 みなさんは生きがいを感じながら日々生活しているでしょうか?そんな重々しいことではなくても、今日のランチに好きなものが出ると楽しみにしている人、金曜日の高揚感を求めている人、自己満足欲を満たそうとする人など、人によって違いますが、楽しく過ごすために多かれ少なかれ誰にでもあるはずです。
 “歴史上の過ち”というと代表的なのは戦争だと思いますが、戦争は対等な立場で起こるもの。この見解で話すと、一番酷な出来事はやはり人間視してない人種差別だと僕は思います。第二次世界大戦中に起こったアウシュヴィッツ強制収容所で起こった大量虐殺。壮絶な毎日の中で精神状態を維持し続けるには、一体何による力があったからなのでしょうか。生き残った人たちは「愛・美・夢」の3つの力によって精神状態を保てていたと言われています。過酷な状況下であっても、自分の食料をほかの人にあげる慈悲深い愛情を持ったり、風景に美しさを感じたり、大きな夢を持ち続けることが出来る。彼らはどんなにつらいことがあっても闇の中から希望を見出し、生き抜きました。現状に目を背けて希望を持つ、つまり現実逃避をすることが希望を持つということなのでしょうか。現実逃避は悪いこと、そんな風潮があるこのご時世、彼らのことを通して深く考えさせられました。
 明日はフェスティバル本番です。フェス活動が忙しい中、チーフは焦りでイライラや疲れが溜まっていった日々だったと思います。本番は何が起こるかは誰にもわかりません。我を忘れて取り返しのつかないミスをするかもしれません。何もかも信じられなくなるかもしれません。では、希望とはいつ生まれるのでしょうか?すべてがうまくいっている時に希望は生まれない。何もかも上手くいっていない絶望の状況で希望は生み出される。絶望を行き抜いた彼らのように、辛い時にこそ希望を持ち、たまには現実逃避をして、楽しい時には友人と共に楽しんで充実した敬和生活、そして最高のフェスティバルにしましょう。

 

 

 

 

「自分の物差し」      H.K(2年・新潟県上越市出身)
 僕たちは日常生活の中で「そんなの当然だろ!!そんなの当り前だ!!」などという言葉を使う時があると思います。ほとんどの場合は、他者に対してこういった言葉を使うわけです。では、一体「当然・当たり前」と言う基準は何なのでしょう?たぶん、それはそう言っている人自身の基準です。以前、知り合いが「そんなの当り前だろ?」と言った時に「当たり前って何が当たり前なんだろう?」と聞きました。すると、友人は「確かに、言われてみると難しいな」という会話をしたことがあるのを覚えています。
 少し変な例えをします。フライドポテトやスイカに塩をかけて食べる人が普通の基準だとすると、砂糖をかけて食べる人は普通じゃないことになります。逆に砂糖をかけて食べる人を基準とすると、塩をかけて食べる人は普通じゃないことになります。でも、そんなことは関係なく美味しく食べることが出来ればどちらでもいいと思います。
 問題は自分の考えを基準にして「それは間違っている。普通じゃない」などと言って、他者を判断してしまうことだと思います。僕たちはたくさんのことを「そんなの当然だ。当たり前だ」と言って当然のように自分の物差しで測っているのかもしれません。もちろん、その物差しは他の人と一致することがあって、誰が見ても普通だという時もあります。しかし、そうでない時もあります。大切なのは自分の物差しを確認して「普通とは何なのか?当たり前って何が当たり前なのか?何が正しくて何が違うのか?何をするべきか?何をしないべきか?」をしっかり考えていくことだと思います。みなさんも日常生活で「当然だ。当たり前だ」と言う前にしっかりと自分の物差しを確認してみてください。