自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2017/06/02
豚キムチ丼・中華サラダ・ワカメスープ・牛乳・バナナ
今日の礼拝で、ある先生が、お子さんの不登校と、自身がうつ病を経験したお話をし、「その経験があればこそ、いま、不登校の親御さんの気持ちも、苦しんでいる生徒たちの気持ちも分かるようになった」というお話をした。
自分の人生に起こったことは、悪いことも含めて、必ず何らかの意味があるのだ。それはすべての事柄は、神の手の内にあるのだから。
昨日、ランチを食べていたら、体育科のA先生が、マスクをしていた。
普段元気な先生なので、「鬼の霍乱ですな」と英語科の某先生が冷やかした。
するとその先生は、「はい。でも、いろんな生徒から『大丈夫?』と声をかけてもらって、とても幸せです」と、しみじみ言った。
なるほど。やっぱり人生、悪いことの中にもきっと良いことが含まれているんだな。
目の付け所で、幸せにもなり不幸せにもなる。
「お前、なかなか分かって来たじゃないか。そういう見方が出来るようになれば、敬和の先生として一人前だ」と俺は偉そうなことを言った。
そうしたらその先生は、「はい。妻からは絶対そんな優しい言葉をかけてもらえないんで、尚更です」と、これもしみじみ言ったので、俺たちは大笑いした。
「そこへ落としてきたか。それができるようになれば、なお一人前だ」俺は笑いながら言った。
どんなよい話も、ランチホールでは「オチ」がなくっちゃ駄目なんだ。
(T.H)