月刊敬和新聞

2017年4月号より「忖度からホスピタリティへ」

2017年新語・流行語大賞 有力候補
 毎年12月の初めに発表されるものに新語・流行語大賞があります。これはある出版社が主催するその年一年間に発生した「ことば」のなかから、世相を軽妙に映して多くの人々の話題に上った新語や流行語を選んで、そのことばに関わった人や団体を表彰するものです。ちなみに2016年はプロ野球セントラル・リーグで25年ぶりに優勝をした広島東洋カープの「神ってる」でした。ある漢字を辞書で調べていた時にふっと思い浮かんだことがあります。「これは2017年の最有力候補になるだろう」。その漢字とは「忖度」です。言葉の意味はある程度わかっていました。読むことはできました。でも恥ずかしいのですが書けませんでした。私だけでなくそういう人は少なくないと思います。その忖度が急に脚光を浴び、漢字が新聞紙面上に毎日のように載るようになりました。それはある私立学校の認可設立をめぐる話題が毎日のように議会で質疑答弁され、当事者の動向が報道されるようになったからです。しかもあまり印象のよくない言葉として知られるようになりました。英語には直接言い換えることのできる言葉がありません。

忖度とは
 辞書によると忖度は「他人の心中をおしはかること、相手の真意を推量すること」とあります。別に悪い意味の言葉ではありません。相手の気持ちや存在を大切にすることです。相手からすると「いわなくてもわかるだろう」となります。忖度は人間関係を良好にするためには必要な感性だということでしょう。そこではっきりさせないといけないのは、他人とは誰か、どのような立場の人かということです。今回の騒動からして、それはどうやら立場や力の強い人のようです。力や権力を持った人へ立場や力の弱い人が意向をおしはかるような行動をとったかどうかが取りざたされているのです。それに対して多くの人が嫌悪感を感じたということです。一連の報道から明らかになるのは、忖度は同じ価値観を持っていることが前提で成り立つということです。狭い価値観の社会で通用する感性です。言い方を換えれば同じ価値観や考え方を持つことが強く求められているのです。

2013年新語・流行語大賞
 新語・流行語大賞についておもしろいことに気づきました。2013年新語・流行語大賞は「お・も・て・な・し」でした。オリンピックの誘致活動の中で使われた言葉です。これが誘致成功のキーワードになったといわれています。ふだん使いの言葉にすると「気遣い」です。英語にするとホスピタリティになります。違う文化や価値観を持つ人たちや、多様な民族を、心を尽くし精神を尽くし思いを尽くして、できる限りの気遣いを持ってお迎えします、ということです。聖書に出てくるイエスの言葉そのものです。イエスの生きた当時のユダヤ社会はよくない意味での忖度が大いに幅を利かせていました。弱さや違いを持った人たちが生き難さを抱えながら生活していたのです。イエスはその社会と時代に対して弱い立場の人や少数者にしっかりとホスピタリティを持つこと、気遣いをすることを求められたのです。それが社会を根底から豊かにすることになるからです。

敬和学園のホスピタリティ 敬神愛人
 忖度の前提である「いわなくてもわかるだろう」がわからない人が増えているといわれることが多くあります。「空気が読めない」がその典型的な表現です。場の空気は読まなくてはいけないものでしょうか。忖度が理解できず受け入れられないのは喜ぶべきことなのかもしれません。それは社会全体の価値観が一つではなくなってきている、多様性を持った人たちが増えてきていることの表れだからです。ただその過程の中で「いわなくてもわかるだろう」が苦手な人は生き難さを抱えながら生きているのです。「忖度からホスピタリティ」へ変わっていくこと、それはイエスが「神を愛し隣人を愛する」でもって求められたことです。敬和学園はそれを建学の精神にしています。イエスの求めに応えるためにつくられた学校です。そこに教育の使命があります。「敬神愛人」の建学の精神を持った人を育てることは誰もが生きやすい社会にしていくこです。これからもその道をしっかり歩んでいかなければならないとあらためて教えられました。