月刊敬和新聞

2016年9月号より「2016年度後期、一人ひとりの存在の重みを感じながら、支えられている喜びを一身に感じながら歩んで行きたい」

校長 小西二巳夫

頭痛肩こり樋口一葉
 前期の授業の中でのことです。話の流れから質問してみました。「みんなが時々直接顔を見る明治時代の作家は?」。反応は「?」です。「財布を開けたら、時々そこにいるやろ」。「ぽか~ん」。すべったなと思いながら言いました。「樋口一葉、頭痛肩こり樋口一葉やで」。「し~ん」。「やっぱりあかんか」。まじめな顔をしてA君が言いました。「5,000円札なんか財布に入っていません。だから樋口一葉に会うことはありません」。「ごもっともです」とへんに納得させられてこの話の幕は下りました。しばらくしてのことです。劇団「こまつ座」の「頭痛肩こり樋口一葉」を見に行ってきました。題名の通り明治の作家樋口一葉が主人公の話です。この芝居がおもしろいのは生きている登場人物と、死んで幽霊になった登場人物とが一緒に出てくることです。六幕すべてがその年の「お盆」七月一六日に設定されています。そして幕がすすむにつれて幽霊の数が増えていきます。それは前幕(前年のお盆)では生きていた人が亡くなって、翌年のお盆に幽霊として登場するからです。

やさしいまなざしと差し伸べられた手
 物語は夏子(一葉の本名)が作家になる決心をする一九歳から亡くなるまでの24歳、さらに彼女が亡くなって迎える初盆までの6年間を描いています。貧しい生活の中で借金を抱えながら、母や妹との生活を守ろうと必死に生きていく夏子の姿に胸が打たれます。 最後の六幕は夏子も幽霊として登場します。生きているのは妹の邦子だけです。邦子は借家を引き払うために荷物を外に出します。最後に姉夏子や母親やその他の家族たちの位牌の入った大きな仏壇を背負って部屋を出て行こうとします。一家の過去と悲しみが詰まった仏壇はいかにも重そうです。背負い紐が彼女の肩に食い込んで見えます。しかし一歩ずつ進んでいく彼女の足取りはそうした重みに負けない確かさが感じられます。それは邦子の彼女の傍らにやさしいまなざしと支えようと手を差し伸べる五人の幽霊の姿が見えるからです。邦子のこれからを幽霊たちが温かく見守るエンディングに大きな救いが感じられました。

ホームカミングデー
 10月の初めにホームカミングデーを行います。ネーミングのように卒業生を対象にした行事です。5回目の今年は5、15、25、35回生を迎えます。参加お誘いの言葉は「敬和生活の一日を追体験することで、日々の生きるエネルギーを取り戻してください」です。多くの卒業生にとって敬和生活といえば、全校礼拝、ランチ、授業、労作、ホームルーム、部活…を思い浮かべるはずです。そこでそれらを3時間程度のプログラムにしました。友愛館で快適にランチを食べてもらい、自らの存在が包み込まれるチャペルで賛美歌を歌い説教を聴きます。授業はかつて習った先生たちにお願いしました。


その時私があなたを背負っていた
 ホームカミングデーは卒業生に敬和生活を追体験することを通して、今を生きるエネルギーを持っていただきたいとの願いから始めました。ただそれだけではありません。来年50周年を迎える敬和学園の歩みがすべて順調であったわけではありません。学校の存続が危ぶまれる状況に陥ったこともあります。50年はずしりと重いのです。それでもその重みを背負いつつ教育の歩みを続けてくることができた、そこに邦子が重い荷物を背負いながらも一歩ずつ力強く歩んで行く姿が重なります。彼女を見えない存在が温かいまなざしを向け手を差し伸べたように、敬和学園は卒業生と関係者のまなざしと差し伸べられた手に支えられてきたのです。ホームカミングデーはそれを目の当たりにできる時でもあるのです。しかもキリスト教の学校である敬和学園には「足跡」という詩の現実があります。「…一番困った時や苦しい時には一人分の足跡しかないのです。どうして私があなた(キリスト)を最も必要とした時に、私を置き去りにされたのですか。わが子よ、私はあなたから離れたことは一度もなかった。あなたが試練にあって苦しんでいるあいだ、一人分の足跡しかないのは、その時私があなたを背負っていたからだ」。学校そのものがキリストの神に背負われる時があったのです。2016年の後期も一人ひとりの存在の重みをズシリと感じながら、同時に支えられている喜びを一身に感じながら歩んで行きたいと願っています。