毎日の礼拝

校長のお話

2016/09/12

「共感が奇跡を生みだす」(コリントの信徒への手紙Ⅱ 11章29~30節)

プロ野球広島カープがリーグ優勝しました。

25年4半世紀ぶりということで地元広島を中心に盛り上がっています。

前回の優勝が25年前です。

ここにいる人たちのほとんどにとって、それははるか昔のことです。

ところが25年どころか、それに100を足してもまだ足りない132年目にして初めて優勝したチームがあります。

サッカーイングランド・プレミアリーグで優勝したレスター・シティです。

創立以来132年目にして初めて優勝したので、これが「レスター・シティの奇跡」と呼ばれて話題になりました。

日本代表の岡崎慎司が中心選手として活躍したので、日本国内でも注目を集めました。

それにしても132年間も優勝できなかったチームがなぜ今年優勝できたのでしょうか。

それをめぐって様々な分析が行われていますが、みんなが納得できる答えは出せていません。

ただレスター・シティの優勝によっておもしろいことが起こりました。

それはほとんど知られることのなかったレスターの町の特徴を、多くの人が知るようになったことです。

レスターはいわゆるイギリス人だけでなく様々な民族が住む多文化都市です。

インドやパキスタン系の人口が30から40%です。

5年前にイギリスで初めて移民が、つまりイギリス人以外の人たちの数が町の人口の半分を超えました。

少数者と多数者の立場が入れ替わったのです。

そのために住民の間にさまざまな摩擦が起き、トラブルになることもあるようです。

 

それをテーマにした小説が昨年出版されました。

タイトルは「老いぼれミック」です。

「老いぼれミック」の主人公は、ハーヴェイというインド系住民でインドの宗教シク教を信じる一家の15歳の少年です。

シク教というのは、インドの身分制度であるカーストを完全に否定し、人間はすべて平等であると考える宗教です。

シク教徒はインドの人口のわずか5%です。

インドの男性というと頭にターバンを巻いた人を思い浮かべます。

でもインドでターバンを巻くのはシク教の男性だけだそうです。

それにもかかわらず多くの人が、インドの男性=ターバンとイメージするのは、外国で生活をするインド人の3分の1がシク教徒であり、シク教を信じる人たちに存在感があるからです。

恥ずかしいことですが、私も初めて知りました。

物語はハーヴェィ一家が引っ越してきたその晩に、隣りの老人が怒鳴り込んできたところから始まります。

その隣人が小説のタイトルにもなっているミックでした。

彼は一日中テラスの前の古びたデッキチェアに座り新聞を読んでいます。

家の周りも中も散らかり放題というゴミ屋敷そのものでした。

ミックは隣人になったハーヴェイ一家に事あるごとに、文句をつけにやってきます

当然ハーヴェイ一家はミックの言葉や態度に腹を立てます。

けれど、どういうわけか一家はミックを無視することができず、無関心でもいられませんでした。

ハーヴェイはやがてミックが抱えている悲しみや痛みを知るようになります。

ミックが民族を差別するような言葉を吐くのには、それなりのわけがあったのです。

そして人種差別主義者のような行動をとるのも、それなりの悲しく辛いわけがあったのです。

「老いぼれミック」という本のタイトルはイギリスの諺である「老いた犬には新しい技を教えてもむだだ」からとられています。

意味は、人間歳をとったら変わりたくても変われない、成長できない、です。

でも「老いぼれミック」は、ことわざとは反対に、たとえ年老いたとしても、人は自分を取り戻し、輝きを取り戻すことができることを教えてくれます。

年齢に関係なく、能力に関係なく、立場に関係なく、変わることができる、成長できると語っているのです。

 

それでは、誰からもどうしようもないとあきれられていたミックがなぜ変わることができたのでしょうか。

なぜ本来の自分を取り戻すことができたのでしょうか。

周囲の人たちからすれば、彼の変わりようはまさに奇跡です。

なぜこうした奇跡が起こったのでしょうか。

ハーヴェイの父の言葉にヒントがあります。

「おまえはよくやったよ ハーヴェイ、ここまでかかわろうとする若い子はなかなかいない。ふつうは、ミックみたいな老人がどんな問題を抱えていても、知らんふりをするだけなのに」。

ハーヴェイはミックの何にかかわったのでしょうか。

ミックの何を受け入れたのでしょうか。

それは彼が持つ悲しみや痛みです。

言い換えるならミックが素直に出せない弱さです。

思い出したくない、しかし忘れることのできない過ちのために、ついつい乱暴な言葉を吐き、周囲を困らせる行動にでるとの弱さを否定するのではなく、それに共感したのです。

そうしたものを抱えながら生きているミックを、無視したり否定するのではなくそのまま受け入れたのです。

共感されることによって、年老いた人間も大いに変わることができる、というまさに奇跡、つまり人間を超えた力によってうれしい出来事が起こったのです。

 

キリスト教で言うならば、イエス・キリストの力が働いたのです。

私が励まされるのは、64歳という間違いなく「じいさん」である私もまた、共感されることによって、まだまだ成長できる、変わることができるということです。

さらに「老いぼれミック」から気づかされたことがあります。

それはレスター・シティが132年目にして初めてリーグ優勝をした理由です。

なぜ「レスターの奇跡」と呼ばれる出来事が起こったのかです。

レスターの町は人口の半分以上が外国からの移民とその関係の人たちになりました。それまで少数者の立場で生きてきた人たちが多数者になったのです。

弱い立場の人たちが中心的な存在になったのです。

それを古くからの住民も移民として住むようになった人たちも、トラブルを起こしつつも共感をもって受け入れたのです。

弱さを共感によって受け入れあう、そこに奇跡が用意されていたのです。

それが132年目の初優勝という見える形になって現れたと思えてなりません。

そしてそれはそのまま敬和学園の学校生活に重ねることができます。

弱さの中にこそ強さがある、人を生かす力があると信じる敬和学園で学ぶ今、自分が奇跡の中を生きているということができます。

そのことに気づくなら、新しい1週間は一人ひとりにとって間違いなく成長の時になります。