毎日の礼拝

校長のお話

2016/09/05

「スコーレ№4」(イザヤ書53章4~5節)

私は神戸で生まれ育ちました。

子どもの頃の私の服装・スタイルは母親の趣味によって決まりました。

幼稚園から小学校低学年、夏の今頃なら、だいたいがロンパース、胸当てのついている短い半ズボンのことですが、それに足元はストラップのついている白いサンダル、それにストローハットというものでした。

いわゆるズボンは一年を通して半ズボンをはかされました。

半ズボンはできる限り短いのがオシャレという当時の感覚によって、冬もタイツをはいて半ズボンでした。

とりわけうるさかったのが靴についてです。

どこかに出かける時はもちろん、学校に行く時も、何か行事がある時に必ず革靴を履かされました。

今でも覚えているのが、紺色のコインローファー、これは兄からのお下がりです。

それに茶色の編み上げ紐のついた短いブーツ、これには相当困らされました。

履いたり脱いだりするには、いちいち紐を緩めて締めなおして、それを右左するわけですから、時間がかかってあせりました。

母はよく言いました。

「オシャレ足元から。どんな靴を履いているか、それがきちんと手入れされているか、どんな履き方をしているか、それでその人間の値打ちがわかる」。

靴のかかとを踏むというのは下品この上ない、とんでもないことでした。

手入れについてもうるさく言われました。

革靴はきちんと手入れをしなかったら、すぐに傷がついたり痛んだりします。

雨に濡れたら新聞紙を丸めて靴の内側に詰めて、しっかり乾かします。

こうしてきちんと手入れをすると、革靴は何ともいえないいい雰囲気になります。

今にしてわかるのは、母が靴にこだわるように教えたのは、足元をしっかり見つめられるようになってほしかったということです。

足元を疎かにするようでは、希望も何も生まれないということです。

私が親の願いどおりに育ったかどうかはよくわかりません。

ただ靴にこだわり手入れはしっかりすること、足元に気を配ることは習慣として身についています。

 

そうして育った私ですが、靴との衝撃的な出会いがあります。

4年生の時に新しい革靴を買ってもらいました。

全体が白で甲の部分が黒という、いわゆるサドルシューズです

これを履いた瞬間、足元が軽くなったというのか、歩くのが楽しくなって、飛び上がりたいような気持ちになったのです。

靴一足で気持ちがこんなに浮き浮きするのかと思いました。

こうした私の服装や靴にまつわることを思い出したのは、靴との出会いによって自分の人生に自信を持つようになった主人公が登場する小説を読んだからです。

タイトルは「スコーレ№4」、宮下奈都という人の作品です。

主人公は麻子という女性です。

彼女は小さい時から自由奔放な妹に比べて、自分には取り立てて何もない、平凡な人間だとの自覚がありました。

何となく英語が好きだということで大学を決め、そして英語を使えると何となく貿易会社に勤めます。

けれどすぐに貿易会社が運営している輸入高級靴店に出向させられます。

その店で働いている人たちは、靴が好きでその店で働くことが夢だった人たちです。そこへ本社から2年の予定で出向してきたわけです。

自分の意思ではなくそうした人たちの間で働くことになって主人公は戸惑います。

周囲からはできないことや知らないことを厳しく指摘されます。

自分が願わない職場と人間関係、満員電車を乗り継いでの出勤、そして夜クタクタになって帰ってくる、そんな繰り返しに充実感も満足感も一切ありません。

それが2年以上続くとなるとたまらなくなりました。

それでも主人公は自分にできることは何かと考えます。

 

そこで始めたのが早番の出勤の時に、店の中の掃除や床マットを徹底的にきれいにすることです。

そして店内を見て周り、商品知識を増やすことでした。

そうこうしているうちに少し仲良くしてくる同僚も出てきます。

その同僚がある日店の中央に陳列してある、そして誰もがあこがれるけれどサイズが合わない靴を履いてみたらというのです。

主人公は言われるままに履いてみます。

そして2,3歩歩いてみると、あまりの心地よさに声が出そうになりました。

足の動きに靴が完全についてきます。

土踏まずにぴたっと吸い付くような感じは、今まで知らなかった感触です。

重いのに軽い、存在感はあっても歩く邪魔にはなりません。

それどころか、裸足よりも気持ちがよく、どこまでも歩いていけそうな気がします。

そして自然に笑みがこぼれたというのです。

イヤイヤ働き始めた靴店での、一足の靴との出会いが主人公の心の封印を解き、世界を変えることになりました。

靴に対する見方がぐるりと回転し、同時に主人公の考えや生活も回転し始めたのです。

そしてそれまでとは違う場所から見える世界は、今まで見たこともなかったような見え方がしたのです。

主人公は働くことに積極的になっていきます。

それと同時に主人公が持っている才能が表に出てきます。

それは値段表を見なくてもその靴の値段がほぼわかるということです。

その才能が店の窮地を救うことになりました。

主人公はその靴店で次第になくてはならない存在になっていきます。

しかし3年目に本社に呼び戻されます。

本社勤務、それは今の主人公が望んだことではありません。

しかし彼女は新しい場所でも自分がいきいきとやっていける、一足の靴との出会いが新しい場所でも必ずあるとの確信を持ちました。

 

主人公がすべてに行き詰った時に始めたこと、それは毎日の生活の中で自分にできることは何か、つまり足元をしっかり見て、それに精一杯取り組んだことです。

それを繰り返す中で、主人公を見る周囲の目が変わり、何より本人が変わったのです。

そこに目に見えない力が働いといえます。

そういう形で神様の力と助けが働いたのです。

具体的には一足の靴との目に見える出会いが起こったのです。

そして、主人公の生活はそれまでとは違うものになっていきました。

その人にとっての大切な出会い、それは日常生活の中にあるということです。

日常生活を否定するところ、ワープしたような場所には決してありません。

出会いを通して奇跡、つまり人の思いや願いを超えたことが起こるのです。

日常生活の中に奇跡は隠れているのです。

そう考えると毎日がそれまでとは違うように思えます。

無駄に過ごしたくないと思います

今日、何と出会えるのかと積極的になれそうです。

敬和学園の後期、それぞれの一日を、今いる場所から始めましょう。