毎日の礼拝

校長のお話

2016/04/13

「ハクナマタタ」(コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9~10節)

2016年4月、敬和学園は49回生を迎えて新しい年度に入りました。

新しい気持ちで学校生活に取り組んでいきたいと思います。

今年の4月は生活に直結する様々なものが値上げされました。

みなさんの身近なところではガリガリ君が25年ぶりに60円が70円に、聖書に出てくる塩も27年ぶりに30%値上げになりました。

さらに日本のミュージカルを引っ張っている劇団四季の入場料も1000円値上げになりました。

1人でも多くの人にミュージカルを見てもらいたいとの願いから、逆に値下げをして頑張ってきました。こうした努力が実って劇団四季のミュージカルは多くの人が見るようになりましたが、お客さんが大型の舞台を期待するようになって、そのために製作費がかさんで値上げせざるを得なくなったとのことです。

劇団四季のミュージカルで一番人気は何か知っていますか。

ライオンキングだそうです。

初演は18年前で、公演回数は1万回を超え、観客動員数は1050万にとのことです。

日本の人口のおよそ10人に1人が見たことになります。

私は最初ディズニーアニメ「ライオンキング」を見たとき思わず言ってしまいました。

「ああパクリや、ジャングル大帝そのものやないか。これはあかんで」。

日本を代表する漫画家に手塚治虫がいます。

代表作品の一つに1950年代に作られた「ジャングル大帝」があります。

ライオンキングのストーリーやシチュエーションはジャングル大帝と被っています。ふつうなら訴えられても仕方ないのですが、これに対して手塚プロダクションが次のように表明しました。

「ディズニーファンだった故人となった手塚治虫がもしもこの一件を知ったならば、怒るどころか『ディズニーに盗作されるとはたいへん光栄なことだ』と喜んでいたはずだ」というコメントを出しました。

大人ですね。

 

ライオンキングの劇団四季のミュージカルのチケットをある人がくれたのです。

なぜ高額なチケットをなぜ私にくれるのかがわかりませんでした。

確かなことはそのチケットの指定日が迫っているということでした。

私の他にもらってもらえる人がいなかったわけではないでしょう。

それに払い戻しをすれば、かなりのお金が返ってきます。

それにもかかわらず私にくれるというのです。

しかしながら私はあまりうれしくありませんでした。

そもそもミュージカルというものがあまり好きではありませんでした。

でももらった以上、見に行かないでは済まないと思いました。

それに加えて私はミュージカルを見るような心境ではありませんでした。

当時私は仕事のことで人間関係がこじらせていました。

何とか修復しようとすればするほど裏目に出ました。

私の仕事ぶりを批判する人の声も聞こえてきました。

自分の対応能力のなさを思い知らされて落ち込んでいました。

そういう状態だったので、ほとんど無関心のままライオンキングを見に行きました。

その時のことを今でもふっと思い出すことがあります。

舞台のスケールの大きさに、そして出演者の鍛え抜かれた体から発散されるエネルギーと鍛え抜かれた踊り、そして鍛え抜かれた歌声に圧倒されました。

エンディングの歌と共に幕が下りるまで、時間を忘れたように見ました。

 

その中で特に私が魂をつかまれたようになったのが「ハクナマタタ」という曲です。

涙がこみあげてきて、次第にこらえきれなくなったのです。

ハクナマタタが涙を流すような歌か、泣くような曲かといいますと、それほどでもあないでしょう。

けれど、この曲が私の状況と重なり合ってしまったのだと思います。

ハクナマタタはスワヒリ語で、日本語にすると「なんとかなるさ」と訳すことができます。

沖縄の言葉にすれば「なんくるないさー」。

イタリア語では「ケセラセラ」。

英語ではマリアがイエス・キリストを身ごもったことを天使から告げられた時に言った「レットイットビー」と共通する言葉です。

ライオンキングの中では脇役のちょっとトボけたキャラクターのミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァの口癖です。

ティモンとプンバァが掛け合いをしながら、ハクナマタタ何とかなるさ、と繰り返すのを聞きながら泣けてきたのです。

その時の私は自分の力ではもう何ともならない状況の中にいたのです。

そう思い込んでいたのです。

自分の力のなさに参ってしまって、家族を含めて周りの人たちを巻き込んでいました。

何ともならないとガンジガラメニになっていた私に、ハクナマタタは何とかなる、何とでもなるという言葉でもって呼びかけてくれたのです。

私は思い込んでいたことがありました。

私は仕事で失敗を重ねるのは自分に能力がないからだ。

能力がないから失敗をするのだと。

でもそれは勘違いだったようです。

ハクナマタタの歌は、私に能力の差が物事を決めるのではなく、人生を決めるのではなく、選択が、つまりその時何を選び取るかが決めるということを気づかせてくれたのです。

何とかしてくれるのは能力ではなく選択であるということです。

ということはどのような選びをしたらいいかです。

 

自分がにっちもさっちもいかなくなった、迷った時には、どのような選び、選択をしたらいいか、そのことについて、聖書は明確な答えを与えてくれます。

それが明らかにされているのが今日の聖書の箇所です。

弱さの中でこそ力は発揮される、とあります。

私は弱い時にこそ強いからです、とあります。

自分の弱さを誇りましょう、とあります。

このように、聖書は行き詰った時、どうしようもなくなった時にこそ、強さではなく弱さを選んだらいいというのです。

その理由もはっきりしています。

それは弱さの中にこそ、私たちを救ってくださる、守って下さるイエス様がおられるからです。

私はハクナマタタによって、その時もう一度やってみようとのエネルギーを与えられました。

それはライオンキングというミュージカルをたまたま見たからです。

たまたまライオンキングのチケットをもらったからです。

たまたまある人がチケットを他の人にあげるのではなく、そして払い戻しをしなかったからです

幾つものたまたまが重なったのです。

しかしそこにたまたまでは片付かない見えない力が働いたと考えることができます。

イエス様はいくつものたまたまを重ね合わせながら、私たちにその時必要な力と考えを与えて下さる方だということです。

それをベースにして、1日1日、自分の課題と向き合い生きていきたいものです。