月刊敬和新聞

2016年3月号より「四六回生の『敬和学園という体内時計』が動き始めます」

小西二巳夫(校長)

体内時計が8時間進んでいる
 6年前のことです。大学病院で呼吸器系の検査のために一晩入院しました。検査結果は問題なしでしたが、問題はその後です。先生が検査表を見ながら尋ねました。「小西さんは海外で生活をされたことがありますか」。「仕事で出かけたことはありますが…。生活は30数年前にフランスで勉強したことぐらいです」。「フランスとの時差は?」。「8時間ぐらいだと思います」。「それですね。小西さん、あなたの体内時計は8時間進んでいます」。
 「体内時計」「8時間進んでいる」が予想外の言葉でしたので、フランスの時差は8時間早いのではなく遅いと訂正する余裕もなく、そのまま続いての説明を受けてしまいました。その時から「体内時計」という言葉が頭の片すみにありました。ある時はッと気づいたのです。フランスで生活したのは3年です。私の人生の21分の1です。そのわずかな年月がそれからの生き方のベースになっているのは確かなのです。

敬和学園という体内時計を持つ人になった
 私の個人的な経験から46回生の3年間を考えることができます。そこで言えるのは「46回生は敬和学園という体内時計を持つ人になった」です。人生を支えるベースを作る教育を受ける中で、46回生は「敬和学園という体内時計」を持つようになったのではないでしょうか。敬和学園が日々の生活の中で大切にしたのは、神様から一人ひとりに与えられている様々な能力や個性を引き出すことでした。「能力」は認知能力、非認知能力に分けられます。認知能力は学力テストや偏差値などの数字や記録によって表わせます。一方非認知能力は、社会性がある、意欲的である、忍耐力があるなどの人間の気質や性格に表れる内面的なものです。非認知能力を別の言葉にすると「生きる力」「生き抜く力」となります。これらは他者から学ぶものであり、人間関係の中で身につけていくものです。そこに敬和学園は学校行事に時間とエネルギーをかけ、他者と共に行う労作活動に取り組み、コミュニケーション能力を養う寮教育に力を注いできた根拠があります。それらが3年間の学校生活の中で組み立てられ、「敬和学園という体内時計」になったのです。

46回生が実感できていること
 ところで私の体内時計はいつから8時間進んだ動きを始めたのでしょうか。私はもともと8時間進んでいる体内時計らしきものを持っていたのかも知れません。それがそれまでとは違う価値観の中で生きたフランスの3年間によってしっかり形になったのだと思います。ただしそれが実際に動き始めたのは、日本に戻り必死になって生き始めた、自立した人になろうとした時からだと思うのです。ということは46回生の「敬和学園という体内時計」も動き出すのはこれからです。自立した大人になるとは、協力してくれる人や一緒にやってくれる人を見つけ、それを増やしていくことです。同時に、自分もまた必要としている人に協力し、力を尽くす人になることです。46回生はそれを3年間の学校生活で体験してきたのです。
 46回生のこれからがすべて順調であるとは思えません。これまでと同じように、それぞれの場所で、時として行き詰まり、自分の力では何ともならない状況に追い込まれることもあるはずです。けれど絶望的に思える時にこそ、それをどのように捕らえ直したらいいのか、どのようにしたら乗り越えられるかを知る人になっているのです。どのような時にも傍に理解してくれる人、支えてくれる人が必ずいることを知る人になっているのです。

敬和学園という体内時計が動き始める
 敬和学園を卒業することによって、敬和生活の中で様々な形で出会ったこと、悩んだこと、苦しんだこと、そして共に喜び合ったことなどが、「敬和学園という体内時計」となって、46回生のこれからを支えるようにいよいよ動き始めるのです。そう考えると、新しい世界に踏み出すことがワクワクしたものになっていきます。自らが選び入学させてくださった神様が46回生を見放されるはずはありません。たとえ誰もいない、孤立したように思えても、そこには寄り添ってくれるイエス・キリストという存在がいるのです。それを忘れず生きていくことが、自分のためだけでなく、周囲の人を支え励まし、さらに平和を作り出すことになるのです。そこに46回生の生きる意味があり、神様から与えられた使命があります。