毎日の礼拝

校長のお話

2016/02/08

「落語・壺算とイエスの奇跡」(ヨハネによる福音書2章1~11節)

NHKの朝の連続テレビ小説、今は大阪を舞台にした「あさが来た」をやっています。

今週はキリスト教と新潟に関係する人が登場します。

それは敬和生がお世話になっている新潟教会の初代牧師であり、後に日本女子大学を作った成瀬仁蔵です。

今からする話は「あさが来た」の時代を背景にした「壺算」という落語です。

当時は水道がなく、家の中で使う水は壺、水がめに貯めて使いました。

水瓶の大きさは1かい、2かいという単位で表しました。

主人公の男の家の1かいの水がめが壊れました。

そこでおかみさんが男に、大きい2かいの水がめを買ってくるように頼みます。

さらに「あなたは頼りないから、知り合いの徳さんについて行ってもらって、できるだけ安く買ってきてほしい」と言いました。

2人はさっそく瀬戸物屋に出かけ、まけてもらうように店の番頭さんに交渉します。

1かいの水がめは3円50銭です。

当時の1円を1万円としますと3万5千円です。

徳さんはこれを粘りに粘って3円3万円にまけさせます。

そして2人で担いで店を出ました。

2かいの水がめを買わなければならない男は徳さんにそれを告げようとします。

すると徳さんは、わかってる、黙っているように制します。

ところが店を出てしばらくして、再び店に戻った徳さんは番頭さんに言いました。

「すまんあ。この男頼りのうて、入り用なのは、2かいの大きな水がめというんや。2かいの大きな水がめに変えてくれるか」。

自分のせいにされそうになった男は「せやからオレは2かい入りの…」と言いかけますが、徳さんはわかっていると目で合図をして、さらに番頭さんに尋ねました。

「ところで2かいの水がめはいくらや」。

番頭さんは当然のように、1かいの倍の大きさですから、お値段も2倍の7円、7万円と答えようとして、あっと声を出します。

番頭さんは徳さんにまんまとしてやられたことに気づいたのです。

先ほど売った1かいの水がめは3円3万円でしたから、2倍は6円6万円ということになります。

徳さんは7万円の水がめを6万円で買うことに成功したのです。

 

ただ話はこれで終わりません。

徳さんは番頭さんに尋ねます。

「ところでこの1かいの水がめ、いくらで引き取ってくれる」。

番頭さんは即座に答えました。

「それはまだお使いになっていないわけですから、当然3円3万円で引き取らせてもらいます」。

2人を店の外に送り出した番頭さんは何か腑に落ちません。

2かいの水瓶を売ったわけですから6円6万円がなければなりません。

ところが手元にあるのは3円3万円です。

そこで2人を呼び止めて店の中に入れ、そろばんで計算しなおします。

けれど何度やっても納得できません。

徳さんから現金は3円3万円しかないが、そこに返品の1かいの水がめがあるやろ、合わせたら6円6万円やないかと言われ、余計に混乱します。

それでもやっぱり納得できず、頭にきてしまった番頭さんは叫びました。「もうよろしいわ、ややこしい。この1かいの壺も持って帰っておくれやす」。

それを聞いた徳さんが言いました。「思う壺や」。

男からすれば本当なら7万円と3万5千円、合計10万5千円もする水がめを3万円で買えたのですから、徳さんは奇跡をもたらしてくれた人です。

 

聖書にもツボ水がめの話が出てきます。

それがヨハネによる福音書の水がめの水をぶどう酒に変えた話です。

結婚式の披露宴では昔も今もごちそうを食べてお酒を飲むようです。

その日の披露宴、出席者が予想より多かったのでしょうか、それとも酒好きの人が多かったのでしょうか。

こうした席には欠かせないぶどう酒が足りなくなりました。

そこで一緒に出席していたイエスの母親が息子に何とかしてもらおうと頼んだのです。

母親はあちこちで物議をかもしている、何となく恥ずかい息子イエスに、こういう時に一肌脱いでもらって面目を保とうとしたのかもしれません。

息子のイエスは世間体ばかりを気にする母親の勝手な頼みでしたから、カチンときて、オレには関係ないと言ったようです。

しかしそこは親子、思い直したのか、何とかしようといいました。

そして水の入った別の場所にある水が入っている6つの水がめを持ってくるように使用人たちに命じました。

その水がめの水が披露宴会場に運ばれた時にはぶどう酒になっていたというのです。

水がめの水を一瞬にしてぶどう酒に変えるのはマジシャンです。

マジックには必ずカラクリがあります。

イエスはマジシャンではありません。

それではどうして水がめの水がぶどう酒に変わったのでしょうか。

予備のお酒を念のために水がめに入れて用意してあったと考えられます。

使用人たちがその水がめを他の物にすり替えて、後で自分たちが飲もうとしたのかもしれません。

あるいはその結婚式お祝いが持ち寄り形式で、料理一品とぶどう酒一ビン持参をすることになっていたのですが、自分一人くらい水を入れてもわからないだろうと、ほとんどの人が考え、結果的に水がめの中は水でいっぱいになったのかもしれません。

そういう何となく後ろめたい気持ちを持っていた人が、イエスの一言と行動によって、考え直すやり直す機会を与えられたのです。

そこにいた人たちはそれぞれの立場で一様にホッとしたことでしょう。

 

ここで明らかになるのが壺算の奇跡とイエスの奇跡の違いです。

徳さんによって得したのは主人公の男とおかみさんで、逆に瀬戸物屋は大損をします。

番頭さんは後でだまされたことに気づき、プライドも傷つけられたはずです。

心の中が怒りと憎しみで溢れたかもしれません。

これが現実なら詐欺にあったと被害届を出すでしょう。

このように誰かをだまして儲ける得をすることが、結果的にとんでもないことを引き起こすことになります。

新潟県の去年1年間の振り込め詐欺の被害総額は6億4千万円とのことです。

だまされた人の多くは年輩者です。

大切なお金をだまし取られたことで生きる気力を失う人、病気になる人いるはずです。

それに対してイエスの行ったことは、それによって傷つく人はいませんでした。

そこにいた人たちがそれぞれよかったと思えるようなことになったのです。

イエスの一言が疑心暗鬼になり、ギクシャクしそうな人間関係を、すべて友好なものしていったのです。

そういう意味で、イエスはまさに奇跡を起こしたのです。

ついつい自分の得になることだけを考えがちになる私たちです。

それによって人間関係を悪くしてしまう私たちです。

その私たちが、イエスの言葉をしっかり聴く、それによって生きる世界をより良いものにしていけることにしっかり気づきたいものです。

この1週間を共に自分の課題にしっかり取り組んでいきましょう。