毎日の礼拝

校長のお話

2015/12/22

「まことに残念ですが・・・」(ヤコブの手紙1章19~21節)

しばらく前のことですが、お笑いコンビのピースの又吉直樹が初めて書いた小説「火花」が第153回の芥川賞を受賞しました。

芥川賞と同じ時に発表される文学賞に直木賞があります。

本を書く人ならぜひもらいたいのが直木賞・芥川賞です。

直木賞が大衆的な作品に与えられるのと違い芥川賞は純文学的な作品に与えられます。

と言うことは又吉さんの作品が文学的にも優れていたということになります。

しかし又吉さんの受賞を快く思っていない人は、彼の作品が優れているからではなく、出版業界を盛り上げるための話題作りだと揶揄しています。

どちらにしても、本が出版され芥川賞を受賞したのは幸運です。

しかし又吉さんの本当の幸運は出版社の編集者であるAさんと出会ったことだと思います。

出版社の編集者というのは、作家の能力を見つけ出したり、時にはどのような作品を書けばよいのかをアドバイスをしたり、どのような本を出版すれば売れるかをよく知る、いわば本についてのプロです。

編集者が納得しなければ本を出すことはできないのです。

又吉さんは自分の才能を認めてくれるプロに出会いました。

それが彼の最大の幸運だと思います。

 

ただ逆の場合もあります。

そういう意味で面白い本があります。

「まことに残念ですが…不朽の名作への不採用通知160選」というタイトルの本です。

この本は出版社に持ち込まれた作品が、編集者の目にかなわず出版しても売れませんと出版社や編集者が出した断り状を集めたものです。ただしそれらは後に有名になった本やベストセラーです。

なかなか厳しい書き方がされています。

たとえばアメリカの作家であるパール・バックの有名な「大地」には次のような断り状がついていました。

「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません」。

ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺からののがれようと隠れ住んだ少女アンネ・フランクが書いた「アンネの日記」には次のような不採用通知が届きました。

「この少女は、作品を単なる好奇心以上のレベルに高めるための、特別な観察力や感受性に欠けているように思います」。

要するにこんな本を出版しても誰も読んでくれませんよ、と言っているわけです。

ところが、そういうプロの編集者の判断とは違い、これらの本は後に世界的なものになるのです。

そこで気づかされるのは、まず出版された作品と出版されなかった作品のどちらの数が多いかということです。

それは間違いなく出版されなかった作品です。

そしてパール・バックの大地やアンネ・フランクの「アンネの日記」のように、もし出版されていたなら、同じようにベストセラーになった作品も数多くあるのではないかということです。

そう考えると、そういう紆余曲折を経て出版された作品と作家は、決して不幸ではなく、むしろ幸運であったということです。

そこにもし運不運があるとしたら、どこに違いがあったのかということです。

明暗を分けたものは何だったのでしょうか。

それはあきらめるかあきらめないかです。

アメリカの有名な作家にウイリアム・サロヤンがいます。

彼の場合、返ってきた断り状が7,000通以上になり、その高さは1m以上にもなったとのことです。

それでもやがて出版の思いがかない、たいへんよく知られる作家になりました。

まさにあきらめなかった結果です。

あきらめないを別の言葉にすると信じるになります。

運不運を分けたのは、その人が、自分が書いた小説のよさを信じたから、自分の才能を信じたからです。

どこまでも自分を信じることがいかに違う結果を産み出すかということです。

しかしこれができそうでなかなかできないのです。

 

人間とは不思議です。

自分をとことん信じることが案外できないであきらめてしまうのです。

そういう弱さを誰もが持っているのです。

ただ自分が自分を信じられない場合でも神の力を信じることは案外難しくありません。

それは神様が人間の持つ弱さを大切にしてくれるからです。

私たちのためにイエス・キリストを十字架に架けて下さった神様の愛を信じることは、自分を信じる事よりはるかに難しくないのです。

そして運不運を分けたもう一つの理由は素直さです。

「まことに残念ですが」という本に紹介されている断り状を受けった彼らの本がやがて出版されることになったのは、編集者の失礼な断り状の言葉に腹を立てるだけでなく、その批判を素直に聴いたことがあります。

世界で最もよく読まれている推理小説を書いているアガサ・クリスティがそうです。

彼女の第一作「スタイルズ荘の怪事件」はいくつも出版社で断られます。

ようやく出版を引き受けてくれたところもわずか2000部しか発行してくれませんでした。

それでも発行にこぎつけられたのは、彼女が編集者の批判を素直に受け入れ、最初の原稿に大幅に書き直したからです。

彼女の素直さが世界的推理作家を誕生させることになったのです。

 

それは私たちの人生や日常生活にそのまま重ね合わせることができます。

昨日の賛美歌発表会に向けて、しばらく前に佐藤先生が礼拝の際に言われました。

身だしなみ服装をいい加減にしないでほしい。

スカートの丈の短さがいかに他者の心を痛ませることになるのかを考えてほしい。

気遣いホスピタリティの視点から自らの服装を見つめてほしい。

それを素直に聴き受け入れたかどうかは、自らの成長に関わることであり、自分の存在を輝かせるかどうかにかかわることです。

ですから決して小さいことではなかったのです。

そして今日の礼拝後も冬休みの過ごし方についてプリントが配られ、注意促しがあります。

その言葉を素直に受けとめるのか、それとも自分には関係ないと軽く聞き流すのか、それが自分を幸運な人間にするのか、不幸な人間のするのかの分かれ道となることは間違いありません。

そのことを忘れずにクリスマスからお正月にかけての冬休みを過してほしいとと思います。

間違ってもお正月明けの始業日に「まことに残念ですが」ということに自分を落とし込むことがないよう願っています。

それでは、これからも一人ひとりの上に神様の守りと導きがあるように共に祈りましょう。