毎日の礼拝

校長のお話

2015/11/30

「東洋のシンドラー 杉原千畝」(マタイによる福音書2章13~15節)

昨日の日曜日からアドベントに入りました。

アドベントはクリスマスを迎える準備の期間です。

アドベントはあらためて自分自身と社会をしっかり考え直す時です。

今から25年程前のことです。

北海道の旭川で平和に関する集会があって札幌から出かけました。

平和集会で話をされるのは杉原幸子さんという80歳を超えた女性でした。

私はこの方の話をぜひ聞きたいと思いました。

というのは彼女の夫は戦前から戦中にかけて外交官をしていた杉原千畝という人だったからです。

杉原千畝は今週の土曜日から唐沢寿明の主演で公開される映画の主人公です。

杉原さんは「東洋のシンドラー」と呼ばれています。

シンドラーはドイツ占領下のポーランドで自分の工場にユダヤ人1200人を雇い入れ、その命をナチスドイツの虐殺から救った人です。

映画「シンドラーのリスト」で有名になりました。

このことからも東洋のシンドラー杉原さんが何をした人かは想像がつきます。 

 

1940年7月27日の朝、バルト三国の一つのリトアニアの首都カウナスで領事をしていた杉原さんは外がたいへん騒がしいのに気がつきます。

窓の外を見ると、ヨレヨレの服装をした人たちが100人以上領事館の柵にしがみついて、必死に何か訴えていました。

やがて彼らがポーランドからやってきたナチスドイツによる虐殺を逃れてきたユダヤ人難民だということがわかりました。

彼らは、ソ連・日本を経由して、アメリカや南米の第三国へ移住するための、日本通過ビザを発給して欲しいと訴えました。

当時すでにオランダもフランスもドイツに占領されていて、ナチスから逃れる道は、シベリア-日本経由の道しか残されていなかったのです。

事情は分かりましたが、ビザを発行するためには本国外務省の許可が必要です。

そこで杉原さんは早速電報で問い合わせます。

しかし返ってきた返事はノーでした。

最終目的国の入国許可を持たない者、そのための旅費を持たない者にはビザを発行するなということでした。

ポーランドからの難民は着の身着のままで逃げてきていますから、そのような許可証を持っているはずはありません。

それに加えて当時国際連盟を脱退していた日本はドイツと条約を結び関係を深めていました。

ドイツの意向に反するビザ発行を外務省が許可するはずはありません。

しかしビザを発行しなかったら多くのユダヤ人がナチスドイツによって虐殺されるでしょう。

そこで杉原千畝は本国の命令に逆らってビザを発行することを決断します。

そしてその日から不眠不休でビザを発行し続けます。

リトアニアを退去しなければならないその瞬間まで、杉原さんがサインし続けたビザの数は2139通でした。

家族用のパスポートもあったので、杉原さんの発行したビザで命を救われたユダヤ人らは約6000人に上るといわれています。

1940年10月6日から翌1941年6月までの10ヶ月間に15,000人のユダヤ人が日本を通過してアメリカなどに渡っていきました。

ということは半数に近い人たちが杉原千畝の発行するビザによって救われたことになります。

 

敗戦後の1947年、杉原さんは日本に戻ってきますが同時に外務省を退職させられます。

表向きは連合国司令部の命令によるリストラとのことですが、本国の命令に背いた事が無関係だったとは思われません。

杉原がユダヤ人難民のためにビザを発行してから28年が経った1968年8月、イスラエル大使館から杉原さんのもとに電話が掛かってきました。

杉原さんが大使館に出向くと高官がボロボロになった一枚の紙切れを見せて、「あなたが書いてくださったこのビザのお陰で私は救われました」と言ったのでした。

そして1985年にはイスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」を授賞されました。この賞はユダヤ人を助け、イスラエル建国に尽くした外国人に与えられるもので、日本人として杉原千畝がはじめて受賞しました。

この時インタビューを受けた杉原さんはただ一言いいました。

「当然のことをしただけです」。

「当然のことをしただけです」は、一般には人間として当然のことと考えられます。

困っている人を助けるのは人として当然のことという意味です。

それができた杉原さんは人間として立派だったから、優しさにあふれていたからだと考えられます。

それもあったでしょう。

しかし杉原千畝の当然のことをしたという、その相手とは困っている人と共に、神様に対して当然のことをした、だったと思われます。

 

杉原千畝はハリストス正教会という教派のクリスチャンでした。

そして東京の早稲田大学に通っている時は近くにあった早稲田教会に通っていました。そこからも彼の決断は神様を裏切ることはできないとのキリスト教信仰による決断だったことがわかります。

領事館の前に命を救ってもらおうと集まってきた人たちはポーランドから逃れてきた難民です。

その難民から目を背けること、無関係でいることはどういうことなのでしょうか。

キリスト教の信仰はイエス・キリストの救いによって、人間は神様に許されて生きることができる、幸せな生活祝福された人生を過ごすためには、イエス・キリストに出会うことだと考えます。

イエス・キリストはどこにおられるのでしょうか。

マタイによる福音書には、ヘロデ王の虐殺を逃れるためにイエスの一家はエジプトに逃げたと書かれています。

つまりイエス様の一家は難民となった、そしてイエス様は難民の子として生きたということです。

ということは難民を拒否することは、そして難民問題に自分には関係ないと目を背けることは、イエス・キリストを拒否すること、イエス・キリストから目を背けることになります。

そんなところにクリスマスがやってくるとは思えません。

今中東を中心に多くの人が国家権力や大国の介入によって難民にされています。

特に難民となったシリアの人たちがあちこちの国で、いろいろな理由をつけられて入国することや通過することを拒否されています。

日本はそうした場所から遠いから関係ないと考えるなら、それは同時にイエス・キリストによってもたらされる平和と祝福からも遠い、関係ないことになります。

その視点からも第4定期テスト最終日の水曜日に、1年生の社会科特別授業で「難民問題」に取り組むことは意味があります。

今年のアドベントの時を、難民問題を自分の現実として考えながら、そして18日のクリスマス礼拝・讃美歌発表会までを共に過ごしたいと思います。

それでは第4定期テストにしっかり集中しましょう。