月刊敬和新聞

2015年11月号より「敬和学園の大切なルーチンワーク それは毎朝の全校礼拝です」

小西二巳夫(校長)

30年来の夢を実現するための私のルーチン
 私には30年来持ち続けているにもかかわらず、いまだ実現しない夢があります。それはラグビーの試合についてです。かつて大学選手権で三連覇したことのある京都のA大学が準決勝に進出すること、そしてお正月に会場となる国立競技場でその試合を観戦することです。「今年は!来年は!」と毎年たのしみにしてきたのですが、それが実現しない間に国立競技場は取り壊されました。それでも私のラグビーシーズンは始まりました。A大学の試合を衛星放送で見る時、他の人からすれば笑われそうないくつかの決まりごと(ルーチンワーク)を順番に行います。試合は最後まで正座をして観戦します。試合の深まりにつれて大きな声を出して応援するのを聞きたくないのか、家族はいつの間にかいなくなります。
 ラグビーのルーチンで今脚光を浴びているのが、ワールドカップのジャパン代表だったフルバックの五郎丸選手です。ゴールキックを蹴る時の一連の動作と静止をする時に体の前で手を合わせるのが、合掌つまりお祈りをしているように見えて面白いと人気になっています。

平常心(びょうじょうしん)とルーチンワーク
 ゴールキッカーは自分が蹴るキックによって2点または3点が入ります。勝ち負けを左右するような場面で蹴ることも多いのです。精神的重圧は並大抵ではないはずです。その重圧に負けずに平常心でボールを蹴るためにルーチンワークを行うキッカーが多いのは当たり前かもしれません。平常心は本来仏教用語です。ただし読み方は「びょうじょうしん」です。平常心は唐の時代の禅僧である南泉和尚の言葉です。「平常心(びょうじょうしん)、是れ道(これどう)」。決められた日課を大切に習慣になるまでやっていると、精神力が強くなり、感情の波に流されるのを防ぐことができるというのです。五郎丸選手はゴールキックをする時のルーチンで合掌のようなスタイルをとりますが、これはまさに仏教の平常心を体現しているようで、理にかなっていると言えます。

学校はルーチンを学ぶ場所
 ルーチンがたくさんあり、その大切さを学ぶ場所が学校です。学校でのルーチンは登校する前から始まります。朝起きる。トイレに行く。顔を洗う。朝食をとる。……。学校に行きたくない日もあるはずです。けれどそうした気分や感情に流されずに学校に行くためには、決め事を順番に行うことが大きな力になります。学校につくと一限目から六限目まで時間割ですべて事前に決まっています。テストやそのほかの学校行事も毎年ほとんど変わりません。学校はまさに何年にもわたってルーチンワークを続けているのです。その目的はルーチンの語源であるルート(道)、つまり人生の道を拓いて行ってもらうためです。

全校礼拝は大切なルーチンワーク
 敬和学園にはさらに他の学校にはないルーチンワークがあります。それは毎朝の全校礼拝です。礼拝には様々な決まりごとがあります。毎日必ず行います。カットしたり短縮したりすることはありません。司会者の「今から礼拝を始めます。目を閉じて黙祷してください」との決まった言葉から始まります。同じ順番で賛美歌を歌い聖書を読んで話を聴きます。お話は7~8分です。話をする人は事前に完全原稿を提出します。これが毎日繰り返されます。全校礼拝をルーチンワークにしているのは平常心を持って一日を過ごすためです。敬和学園は授業を中心としたルーチンワークだけでなく、内面的な働きかけをする礼拝などのルーチンワークを続けることが、人生と社会をしなやかに生き抜く力を持つ人に、人生を拓く人に育っていくと信じているのです。敬和学園がルーチンワークを続けるのは、ラグビー的に言えば緊張感の中でゴールキックを決めることのできる人になってもらいたいからです。