月刊敬和新聞

2015年10月号より「ダイヤモンドだね ―敬和学園のさまざまな場面での体験が人生の宝物になる―」

小西二巳夫(校長)

探偵ナイトスクープ
 「探偵ナイトスクープ」は私が好きなテレビ番組です。まず依頼者からの困っていることが紹介されます。そして担当の探偵(お笑いタレント)がどのように取り組んだかが映し出されます。関西発のお笑い要素の強い番組です。ですから依頼内容も深刻なものではありません。たいていの依頼にはばかばかしさや生活感があふれていて、笑えます。ただそれだけではなく、その中に「ふ~ん」と変に感心させられることがあって、そこがおもしろいのです。その日の依頼は1980年代末に流行った女性グループ、プリンセスプリンセス(プリプリ)の「ダイヤモンド」を口ずさみ鼻歌で歌う女性からでした。彼女の依頼は高校生の娘からサビの部分の「ダイヤモンドだね~」がズレていると言われるが、自分ではそうは思わないので一度聴いてほしいというものでした。そこで担当の探偵が依頼者を訪ね確かめてみます。初めに声を出して「ダイヤモンドだね~」と歌います。娘さんは合っていると言います。次に鼻歌で歌いました。すると彼女は「違う」と言いました。探偵にはどこがどう違うのかがわかりませんでした。

浪花のモーツァルト キダ・タロー
 この番組で音楽についてわからないことがあると登場するのが浪花のモーツァルトと称される作曲家のキダ・タローです。依頼者がさっそくキダ・タローの前で歌います。キダさんは即座に言いました。「違う。間違ごうてる」。さすが関西が誇る作曲家です。訳が分からない依頼者と探偵を前に、違う理由を次のように説明したのです。プリプリの「ダイヤモンド」のダとイは同じ音程になっている。けれどダイヤモンドは日常的にはイにアクセントをつけて発音し音程も下がる。つまり日頃のアクセントと音程がそのまま歌う時に出て、それがズレを起こしているとのことでした。たった二音のことです。自分はわかっている、できると思いこむと二つの音符さえしっかり見ることがなくなるのです。思い込みによって楽な方へ楽な方へと流れやすいということです。思い当たる節があってハッとさせられました。

プリンセスプリンセス「♪ダイヤモンド」
 ところで「ダイヤモンド」は何を歌っているのでしょうか。ダイヤモンドは宝石の中で最高の価値があると言われます。それになぞらえて人生の中で最も価値のあるもの、意味があるものは何かを若い女性の目線で言葉にしているのです。「…ダイヤモンドだね AH(AH)いくつかの場面 AH(AH)うまく言えないけれど 宝物だよ… あの時感じた AH(AH) 予感は本物 AH(今)私を動かしてる そんな気持ち…」。人にとって価値あるものとは物ではありません。その時代その場面でしか体験できない時間や出会いなのです。いうなれば目に見えないものです。だから色褪せないのです。それとしっかり出会ってきたことが、今の自分を活かすエネルギーになっている、それは何にも代えがたい価値があると曲の主人公は告げているのです。「…やり直したい夜も たまにはあるけど…」しかもそれはうまくできたこととは限りません。思い出したくない失敗や悔いが残ることも含めてです。

「ザラザラ」、「あつれき」が輝きを生みだす
 たった二音を発音する際にも、できるだけ楽な方へ楽な方へと逃げがちな私たちです。大人であってもご多分にもれません。そこで自分を厳しくしっかり見つめ、安きに流れないように生きてもらうためにはどうしたらいいのでしょうか。それは楽ではない、できるなら目をそらしたい現実のその向こうに本当の楽しさや喜びがあることをそれぞれの場面でしっかり体験してもらうことです。それが生きるエネルギー、宝物になります。ただダイヤモンドも最初から輝きを放っているのではありません。硬いものとの摩擦によって磨かれ、カットされることによって輝くようになります。人もまたしんどさや辛さといったザラザラしたものによって内面から磨かれます。切磋琢磨という言葉のとおりです。そういうプロセスや出会いが人生の色あせない輝きを生みだすことになります。楽な方へと逃げがちになる私たちを、神様がとらえて下さり、一緒に磨きカットしてくれると信じています。敬和学園の三年間が、そのような日々の連続であることを願いつつ教育に励んでいます。