月刊敬和新聞

2014年9月号より「敬和学園の指導は、 子どもを信頼することから始まります」

小西二巳夫(校長)

なぜ敬和学園の制服は十人十色なのか
 「十人十色」という言葉があります。敬和学園の制服はこの表現が似合うかもしれません。一般に制服はすべて同じものを身に着けますが、敬和学園のそれには一定の幅があります。グレーのジャケットだけは決まっていますが、シャツは白を基調としたものなら、パンツとスカートは黒紺グレーなら、まずオーケーです。制服が一色でないのは、自分にふさわしい服装とは何かを考えてもらいたいからです。「自分で考える」は敬和学園の教育のすべてに通じるものです。後期の始業日から身だしなみについて、ご家庭の協力を得ながら始めたことがあります。それは女子の制服のスカート丈の本格的な指導です。このことはこれまでも当然指導してきました。しかし、残念ながら聞き流す生徒もいたわけです。保護者の中には自ら学校時代の体験から、スカート丈の指導というと、いい印象を持っておられない方もおられます。敬和学園は教育方針を変えたのか、生徒の自由を奪うのかとの反応もありました。こうした中で身だしなみである制服のスカート丈の指導が始まりました。

私の後悔 当日はバッチリ決めていきます
 身だしなみの指導で私が今も後悔していることがあります。しばらく前のことです。廊下ですれ違う三年生の女子に私は言いました。「まさかそれで面接を受けるつもりか?」。どういう服装と身だしなみであったかは想像できると思います。彼女は屈託なく言いました。「大丈夫です。当日はバッチリ決めていきます。」私はその瞬間、その三年生が期待する結果を得られないと思いました。当日の服装や態度、受け答えだけでいうなら合格点でしょう。けれど「バッチリ決まった」身だしなみと態度で自分を表現する彼女から、面接する側が好印象を持つはずがないのです。その日の身だしなみと態度が彼女自身になじんでいないことを感じたはずです。彼女の身だしなみについて学校が注意しなかったはずはありません。それはそのまま先生や周囲の注意を聞かない生徒であることを教えていることになります。それが周囲の人間の注意をきかないだろう、課題や仕事に真面目に取り組まないということを自ら証明することになると、その時私は彼女にしっかり伝えられなかったのです。

ファッションは表現と印象によって成り立っている
 専門家によるとファッションの基本的要素には表現と印象があります。ファッションというと、個性や自由の表現だけがクローズアップされがちですが、併せて周囲の人の持つ印象が重要であって、そのバランスが取れているところによいファッションが生まれるとのことです。そして表現と印象のバランスをとるのがホスピタリティだそうです。これを日本語にすると、しばらく前に流行った「おもてなし」であり、日常的にいうと「思いやり」です。自分が何を着るか、どのような着方をするのか、そこには当然表現があります。同時に周りに不快な印象や嫌な気持にさせないという思いやりが必要だということです。他の人に自分がどのように映っているかという想像力を持つことです。するとスカート丈が長いか短いか、誰が決めるのか、何によって決めるのかが明らかになります。優先されるべきことは周囲への気配りであり思いやりです。ある哲学者が次のように言いました。「他人の目に自分がどのように映っているのかに関心を失うことは、自分に関心を失うことだ。自分より先に他人の気持ちを考えること、それがまわりまわって自分を支えることになる」。服装にとどまらず、他者が最優先されるのは、結局それが自分を一番大切にすることになるからです。

敬神愛人から敬和学園の指導は始まる
 これは敬和学園が建学の精神としている聖書の言葉そのものです。イエス様は人が生きるために大切な要素を二つあげられました。「あなたの神である主を愛しなさい、隣人を自分のように愛しなさい」。他の人の気持ちやまなざしを大切にすることが、自分を大切にすることになるからです。自分という存在と人格を守り、最もふさわしい生き方につながるからです。その先に平和な社会が作られるからです。そうした想像力と感性を持った人に育ってもらいたいと願いつつ今回の指導を始めました。一人ひとりの内側に十分なホスピタリティを育てたいと心から望んでいます。ある保護者がなぜ今こうした指導を始めたのですかと質問されました。私の答えは「子どもたちを信頼しているからです。敬和の教育は子どもたちを信頼することから始まります」でした。