月刊敬和新聞

2015年4月号より「自分の人生に出会う瞬間がある」

小西二巳夫(校長)

A先生の展覧会
 敬和学園の卒業生の保護者でご自身も高校の美術の教師をされている、上越にお住まいのAさんから毎年絵画展のご案内をいただきます。年度末の開催なので予定はしていても、このところずっと失礼していました。けれど今回は何としてでも伺おうと思いました。というのはAさんが三月で高校を定年退職されると知ったからです。Aさんは妙高の山々をはじめとして上越地域の四季を時には荒々しく、時には人柄そのままに包み込むような作品をたくさん描かれています。数々の作品を眺めながら実感したのは、Aさんがそこにある風景を愛しておられることでした。さらにこうした絵を描く先生が身近にいることが、どれほど子どもたちの救いになるかということでした。Aさんは子どもたちの心をひらき、ふわっと包み込む存在でおられたに違いありません。

水彩画「鴨川沿い」
 展示も終盤のことです。そこに他の作品とは雰囲気のまったく違う水彩画がありました。その作品がどこの情景を描いたものか、すぐにわかる人はあまりいないと思われます。しかし関西で生まれ育った私には、それが京都の中心部を流れる鴨川の右岸の家並みを対岸から描いたものであることがわかりました。それはペンで柱の一本一本を、瓦の一枚一枚をていねいに写し取り、そこに淡い色づけをした精緻な水彩画です。描かれた四軒の家は料理屋さんです。それはそれぞれの家には鴨川に突き出すように設えた床(ゆか)が、今風に言うならオープンテラスが描かれているからです。床は京都の夏前から秋の初めにかけての風物詩です。床で飲食をするのは格別です。私は思わずAさんに言いました。「この絵をお願いします。ぜひいただかせて下さい」。「鴨川沿い」とのタイトルがつけられた九年前に制作された作品はまるで私が来るのを待っていてくれたかのようでした。

1974年8月 鴨川の床で
 40年前の8月夏のさ中、私は「鴨川沿い」に描かれたあたりの料理屋さんの床で、すき焼きをごちそうになっていました。9月初めにフランスに留学する私のために、母の知人数人が送別会を開いてくれたのです。留学といえば格好いいのですが、何とか自分を変えないといけない、このままではどうにもならないとの切羽詰まった思いから決断したフランス行きでした。確かな展望はありません。その私を今はもう逝かれた人たちが気遣い、励ますためにおいしいものを食べさせてくれたのです。「鴨川沿い」によって私は40年前の自分と私のために集まって下さった人たちに再び出会ったような気持ちになりました。

自らの人生に出会う瞬間
 4月9日から一泊のオリエンテーションキャンプがありました。前日に入学祝福礼拝を終えた新入生のための恒例のプログラムです。最初に校長アワーがあります。私はどのような学校生活を過ごしてほしいかを自らの高校生活と重ね合わせながら話をすることにしています。毎年キーワードを考えた上で原稿を作るのですが、今回はそのキーワードを途中で変えざるを得なくなりました。それはいつの間にか湧きあがってきた「自分の人生に出会う瞬間」との言葉が頭からどうしても離れなかったからです。私のこの言葉に対する思いは、人には自分のこれまでが一本の道のようにスッとつながるような何かが見える時がある。目に見えない大きな力によって、その時々に出会った人や言葉に助けられ支えられている。私の人生も捨てたものじゃない、生きていてよかった、との確信を持てる時がある。これからもそうした人生が続くはず、などです。敬和学園の学校生活にはさまざまな形で「自分の人生に出会う瞬間」が用意されている。だから一日一日一緒に歩んで生きましょう、と話しました。オリエンテーションキャンプの翌日、「鴨川沿い」が届きました。作品を見ながら「自分の人生に出会う瞬間」との言葉がなぜ私の心を捉えて離さなかったのかがわかりました。「鴨川沿い」は私の40年が見えない存在とその時々に出会う人や言葉によって、支え助けられてきたことを教えてくれたのです。だからそれを「自分の人生に出会う瞬間」とのキーワードにして、新たに敬和学園で学校生活を始める48回生に話さなければと心を揺さぶられたのです。敬和学園に学ぶ一人ひとりに、生きる喜びを素直に話せる自分でありたいと思います。そのためには一日一日を懸命に、そして謙虚に生きる者でなければならないのです。