月刊敬和新聞

2015年7月号より「その日 私は四つのうれしいことに出会った。そして自らを問われた」

小西二巳夫(校長)

 A君の礼拝後の感想
 四月の下旬の月曜日のことです。週の初めの全校礼拝の話は私が担当です。月曜日の朝、うっとうしい気分を抱えて登校するのはふつうといえばふつうです。私が学校に通っている頃、月曜日の朝の気分の悪さはこの上ないものでした。そういう自らの体験があるだけに、週の初めの話は心がふっと軽くなり、今週もがんばってみようかと思ってもらえたらと願いつつ用意をします。その日の礼拝直後のことです。三年生のA君が私に近づいてきて言いました。「今日の話よかったです」。一年生の頃より学校生活の多くの場面で投げやりな態度を見せてきた彼でした。その彼から礼拝の話の感想そのものを伝えられるとは思いもしませんでした。気持ちが素直になってきて、その気持ちを素直な言葉にして表現できる、彼も敬和学園の三年生になったと強く思った瞬間でした。

野生のフクロウ
 礼拝が終わればすぐに一時間目が始まります。創生館への渡り廊下を大勢の生徒が教室に向かって歩いていきます。数人の生徒がチャペルと創生館の間にある中庭を指さしています。近づくと一人が私に言いました。「フクロウがいます」。指さす方にはカラスが何かに向かって攻撃をしているのが見えました。私は非常口のドアーを開けて中庭に出ました。庭石の陰にカラスの攻撃を避けるように一羽の鳥がいました。ガラス玉のような眼をかっと開いた、まさにびっくりまなこのフクロウがいたのです。私は新潟に来る前は北海道で働いていました。その間アイヌ民族の問題について関わることがよくありました。アイヌ民族にとってフクロウは守り神です。祝福の象徴であるフクロウと真正面から向かい合ったのです。六二年間生きてきて初めて見た野生のフクロウでした。

車のナンバー「富士山」
 午後から会議のために出かけました。柳都大橋を渡ろうと右折をした時のことです。反対方向から左折をして合流するように私の前に出た軽自動車のナンバーを見て、ハッとしました。ナンバーに「富士山」と記されていました。新潟、長岡などの地域を表すものにしばらく前から「富士山」があるのは知っていましたが、それを目の当たりにするのは初めてでした。「一富士二鷹三茄子」は初夢で見ると幸せになるといわれる順番ですが、その富士山を見たのです。

スポーツジムが終わって
 その夜スポーツジムの駐車場でのことです。停車していた私の車の前を屋内駐車場からバックで出てきた車がありました。建物の一階部分には区役所が入っています。夜間受付もありますから、何かの用事を済ませてきたのでしょう。その車がロータリーをぐるっと回ったところで止まり、運転していた若い男性が降りて私の方に向かってきます。「えっ、何…」と思いつつ、何かあったのならとにかく謝っておこうとドアガラスを下げました。若い男性が言いました。「校長先生ですか。お久しぶりです。覚えていますか」。その言葉から卒業生であることは間違いありません。「う~ん…」。記憶を呼び覚まそうと頭の中を何かが駆け巡ります。「三九回生?四〇回生?」。このあたりで記憶の断片がばらばらと浮かんできます。「その後、体は大丈夫?」。この自分の言葉をきっかけに記憶の断片が一つになっていきました。体はがっしりしていますが、私の知っている優しい表情と笑顔が印象的なB君であることがわかりました。夜間受付に婚姻届を出してきたばかりとのことです。フロントガラス越しに見えたオジサンが、自分の卒業した高校の校長かもしれないと思い、わざわざ車から降りてあいさつに来てくれたのです。車を走らせながら、その日一日あったことを思い出しました。人は誰かのちょっとした一言や小さな出来事に心が大きく揺さぶられることがある…、生きていてよかったとさえ思うこともあるのです。ということは、逆に何でもない一言が他者をそして何より子どもたちの心と人格を傷つけることがある、生きるエネルギーを奪うことがあるわけです。自らの何でもない一言こそ、日々しっかり磨かなければならないのです。同時に、それでも傷つけてしまうのが人間です。だからこそ敬和学園で働く私たちは神に赦しを請いながら祈りながら働くことが求められているのです。出会いを通してまたまた大切なことを教えられた一日でした。