労作日記

被災支援活動

2014/08/01

2014年度 第4回被災支援労作(2014年7月29日~8月1日)

野球部被災地支援労作

 野球部は、7月29日から8月1日までの3泊4日の日程で、被災地支援労作を行ってまいりました。

 前回の野球部の被災地支援労作から3年、同じく宮城県の七ヶ浜の仙台北教会のジレットハウスをお借りしてという労作でした。ほとんどの生徒は初めての被災地支援労作でした。

 「3年経過した分、復興は進んでいる」と思っていた彼らでしたが、南三陸町の語り部の芳賀さんのガイドで被災地をめぐることで、彼らが思っていたよりもいまだ復興が進んでいないことを知りました。また、実際に畑に出て労作をすることで復興の困難さと、自分の無力さに悔しさを覚えました。それぞれにいろんなことを考えた3日間だったようです。

 野球部は微力ながらも、今後とも引き続き支援労作を行ってまいりたいと思います。

 

 

以下、部員の感想の一部をここでご紹介します。

 

「自分は被災地に行くまで、震災から3年もたったのだし、復興もだいぶ進んだだろうと思っていました。しかし、南三陸に着いてみると、あたり一面更地で、本当に進んでいないのだと思い知らされました。また、復興の大変さも、2日間の労作で実際に体験したことで、どれだけ地道で果てしないのだということを知りました。これらのことは何回聞かされても、自分で見て、体験しないと分からなかったと思います。

 宮城で感じてきたことは、復興の遅れや大変さだけではありません。自分は宮城で人の温かさや、本気になって物事に取り組む人の強い心を感じました。畑の開拓作業へ向かうときは『いってらっしゃい』、帰ってきたときは「おかえりなさい」「お疲れさま」と声をかけてもらい、明日もがんばろう。復興支援に来てよかったと心から思えました。

 また、南三陸を案内していただいた芳賀さんや七ヶ浜ボランティアセンターの方々が、被災当初の状況から今に至るまでのお話しをされている時、言葉がつまったり、強い口調になる様子を見て、苦しくて辛くても前へ進もうとする強い気持ちを感じ、人はこんなにも優しく強くなれるのだという驚きと自分もこんな風になりたいと思いました。」

 

 

「3日間、被災地を回って、すごく考えさせられました。いまだに骨組だけのビル、何かにえぐられたような水門、転がった倉庫。学校の2時50分で止まった時計や当時のままの校内。本当に胸が痛みました。本当に言葉を失いました。そして、芳賀さんから聞いたお話。これは全て聞いた自分らが誰かに繰り返し伝えていかなければいけないことだと深く感じました。まだあのような現状があること。テレビや新聞では絶対に伝わりません。一人でも多くのこの経験を伝えていきたいと思います。」

 

 

「今回、私は初めて被災地に行くことが出来ました。2日目、3日目の労作は、思った以上に大変で、4・5本の畝ができ、芽が出るまでになるには相当苦労してきたのだな、と、感じることが出来ました。畑の持ち主さんは、私達に感謝して下さいましたが、このような体験をさせて下さったことに感謝すべきなのだと思いました。」

 

 

「私が被災地支援労作をして感じたことは命の大切さです。テレビなどで震災のニュースなどはよく目にしていましたが、実際に見たのは今回が初めてでした。被災者の話を聞いて、当時の状況がどれだけ大変だったかということがわかりました。自分よりもっとずっと高い波が襲ってきたことを想像すると、本当に怖かったです。

 2日間、自分の中ではたくさんやったという達成感というのがありましたが、よく考えてみると、僕たちがやったことは復興のほんの一部にも満たなかったことでした。それでも、最後には担当者の方からありがとうや助かったよ。など言われて本当にうれしい気持ちになりました。」