毎日の礼拝

校長のお話

2014/08/27

「ローカルバス乗り継ぎの旅」(マタイによる福音書6章31~34節)

今日から2014年度の後期が始まります。

7月の前期終業礼拝の際に、中身の濃い夏休みにして下さい、人や本を通してよい出会いをしてほしいと話しましたが、みなさんの夏休みは実際どうだったでしょうか。

それを経て今日から再び学校生活が始まります。

そこで10月の秋休みまで、そして12月の冬休みに入るまでの間、学校生活の中で、ぜひ自覚をしてほしいことを話します。

 

 

テレビ番組に「ローカルバス乗り継ぎの旅」というのがあります。

低予算で作られ、人気が出るとの期待もされなかったのに、いつの間にか人気がじわじわ上がってきて、全国ネットで放映されるようになった番組です。

出演者は元アイドル50代半ばのまじめな太川陽介とどこまでもとぼけたような雰囲気の漫画家の蛭子能収(えびすよしかず)です。それに毎回違う女性ゲストを加わります。

その3人で、2泊3日から3泊4日に日程で、路線バスだけを乗り継いで目的地に向かうという旅の番組です。

路線バス以外の交通機関は一切使ってはならないのがルールですから、時には長い距離を歩かなければなりません。

ローカルバスという名称からもわかりますが、たいていバスの本数は多くありません。

1本乗り遅れると、次のバスまで2時間以上待たなければならないこともあります。

だいたいが、人が多くは住んでいない地域、過疎地を走るバスですから、地図上では存在する路線や停留所であっても、すでに廃止になっていることもしばしばあります。

その情報を事前に得るためには、今なら携帯端末を使えば簡単です。

しかし、この番組はそういうツールを使うことは禁止されています。

情報はバスターミナルの案内所で尋ねたり、そこから電話してもらったり、歩いている人に聞いたり、とアナログな方法しかゆるされていません。

ですからまじめな太川さんは、走っているバスの中や、宿に泊まった夜に小学校の社会科地図帳を見ながら、行き方をあれこれ思案します。

どのルートをたどればバスを乗り継げるか、どこに泊まればいいのか、食事はいつとるのか、出発は何時か、太川さんの表情はだいたいが真剣です。

パートナーの蛭子さんはすぐに思ったことを口にします。

「ア~ア疲れた」。「お腹が空いた…」。真剣に考えている風には見えません。

ですから2人は感情の行き違いなどから時々衝突しそうになります。

その雰囲気を和らげてくれるのが女性ゲストの存在です。

 

 

この番組のおもしろさは、そしてそれなりに人気があるのは、旅が本来持っている緊張感や危険性が十分に出ているからです。

乗り継ぎ場所への到着が渋滞などで遅れたために、そのバスが発車しそうになっていて、あわてて追いかけて走ることがあります。

先ほども言いましたが、バス路線が廃止になっていたために、予定が変わり10㎞の山道を、足を引きづりながら歩くことがあります。

結果的に1日に2万歩以上歩くことになったために、夕食の際に座れないほど足腰が痛くなります。

足の皮がむけて血が滲み、それを消毒する際に悲鳴をあげることもあります。

バスがなくて、何もすることがないまま半日足止めを食うこともしばしばです。

一生懸命乗り継いだけれど、制限時間内に目的地に到着できず、そこで打ち切りになり、何とも悔しい気持ちで番組が終わることも時として起こります。

それだけに、彼らはちょっとしたことや小さな出会いに大きな喜びを感じて歓声をあげることがあります。

 

 

それは山形県の米沢から青森県の大間に向かう旅の途中のことでした。

秋田県に入った3日目の朝のことです。

前日は大雨で予定が大幅に狂いました。

その上宿もあちこち満員でようやく体を休めることができるようになったのは、ずいぶん遅くなってからでした。

その朝も前日のアクシデント続きから3人はぐったりしていたのですが、バスの中で蛭子さんが太川さんに言いました。

「この旅の間にスイカが食べたいなあ」。

それを聞いた太川さんは思わず答えました。

「ちっちゃいなあ。スイカが食べたいなんて、小さい夢だあ」。

そして到着した道の駅で550円の小玉スイカを見つけた蛭子さんは、それをお店の人に頼んで冷蔵庫で冷やしてもらいます。

1時間後、次のバスの発車に間に合うように戻って来た彼らは、そのスイカを切ってもらいます。

かぶりついたその瞬間です。

太川さんが大きな声をあげました。

「うまい。生き返る。元気が出てきた。いやされる」。

 

 

夢は大きな方がいいと言われます。

大きな夢を持ちなさい、とも言われます。

それはそれで生きる上で意味あることです。

しかし私たちの毎日を元気にしてくれるのは、太川さんの言葉からもわかるように、むしろ小さな夢です。

キリスト教は人が自分の人生を生きることを旅にたとえます。

人はこの世を旅するために生まれたといいます。

旅人として生きることによって、その人の人生を全うできるかと考えます。

そしてその旅がすべて順調であるとは考えていません。

さまざまなアクシデント、起こってほしくないこと、願っていないことも起こる。悲しいことや辛いことが様々な形で自分に降りかかってくると考えています。

それは「ローカルバス乗継の旅」で太川さんたちが体験することそのものです。

 

 

そして、旅人して生きる私たちに、聖書は様々な言葉で励まします。

今日の箇所もまさにそうです。

今日の個所のタイトルは「思い悩むな」です。

これは悩む人間はダメだということではありません。

人間が悩んだり心配したりすることが前提で書かれています。

あれこれ悩みが尽きないその時に、忘れないでいてほしいこと、思い出してほしいことがあると語りかけているのです。

それはその人がその日を生きるために必要な力やエネルギー、そして出会いを神様は必ず用意して下さっているということです。

特別何かではなく、日常生活の中で繰り返される行為のそのものの中に、それは用意されているということです。

だから今日という日を一生懸命生きましょう、自覚を持って生きましょうと促しているのです。

 

 

例えば私たちは朝間違いなく起きます。

起きることで、家族や寮の先生からの「いつまで寝ている。早く起きなさい」との小言や厳しい言葉と共に起こされるのと、自分の意志で早く起きるのでは、同じ起きるにしてもまったく違った意味を持ちます。

小言共に起こされたその日一日がさわやかに過ごせる可能性は、自分の意志で早く起きることより、はるかに小さいのは当たり前です。

自らの意志で早く起きると間違いなくお腹が減ります。

お腹が減って食べると、思わず出てくる言葉が「おいしい。うまい」です。

その「おいしい」とのひらがなにすればわずか4文字の言葉ですが、この言葉によって、人は大いに生きる力や希望を持てるようになるのです。

勉強させられる、座らされるのではなく、自らの意志で学ぼうとする、そこに出会いと喜びが用意されているのです。

2014年の後期をぜひそういう一日一日しましょう。

一日一日を共に助け合いながら、歩んでいきたいと願います。